2-25 【地下の石部屋】
病院内に避難している町人達のほとんどが静かに眠っているとは言え、病院の看護師の人達は相変わらず忙しそうに動き回っている。
不安で眠れない人達に睡眠魔法をかけてあげたり、痛みに呻く町人には、その傷みを和らげる為の処置をしてあげたりと大忙しである。
タツミは看護師の誰かに死体を置いている場所、つまりは霊安室の役割を果たしている部屋を聞いてみることも考えたが、もしもこの看護師達の中に噂の黒幕の仲間がいれば、こちらの情報が筒抜けになってしまうと思いやめた。
ただでさえ、こちらの行動は筒抜けだと言わんばかりに的確に攻撃を受けている現状、念には念を入れるべきである。
故にタツミは、誰にも見られることなく目的の石造りの部屋と霊安室を目指している。
カツッカツッ···
廊下を歩く看護師の足音。
反響する音や振動、魔力で強化した五感の知覚を頼りに進んでは、咄嗟に近くの部屋へと隠れることを繰り返しながら、まずは病院の全体図が描いてある受付を目指す。
幸いにも非常時ということで、何かあった際に退路を防ぐことが無いよう病室の扉はほとんど全て開いており、今のところ身を隠す場所には困ることなく進むことが出来ている。
病室の中に避難している町人達も基本的にカーテンのようなもので中を仕切っている為、気配を殺しながら身を隠す為だけに侵入するタツミに気付く人はいない。
普通に受付へ向かうよりは何倍もの時間はかかったものの、なんとか受付のある一階まで誰にも見られることなく降りてくることができた。
既に深夜を回っており、慌ただしく働いている看護師達の不眠の努力の甲斐もあってか、受付の待ち合いに避難している町人達は皆、静かに寝息をたてている。
受付の係の人も流石に疲れたのか、ゆらゆらと頭が揺れているのが見える。
人に見られることなく見取り図を確認する絶好の機会を得たタツミは忍び足で見取り図が見える位置まで進み、大体の位置関係を頭に入れる。
(霊安室、霊安室···あった。やっぱり地下か)
目当ての霊安室は全体図を見ると地下に配置されていた。
ただ、図で見る限りだと霊安室はそこまで広い間取りではなく、タツミが教会の本尊から配管を通って侵入した石部屋程の大きさは無いように思える。
(霊安室=石部屋って訳じゃなさそうだな。まあ、とりあえず向かってみるとするか。)
タツミがそう考え歩を進めようとしたその時、不意にタツミの服の裾が軽く引かれる。
「!?!?」
「おにーちゃんトイレ」
考え事をしていたことで、近づいてくる音に気付けず驚いて振り替えるとそこにいたのは眠気眼を擦りながら小さな男の子がタツミの服の裾を握っていた。
タツミは思わずフロア全体を見渡す。
この子の声に反応して起きた人はいない様子にホッと胸を撫で下ろし、男の子に小声で話しかける。
「トイレか。よっしゃ。」
タツミは男の子を抱えつつ、先程全体図で見て把握したトイレの場所へと忍び足で到着する。
男の子を個室に入れ、用が終わるまで個室の外で待っていると、男の子が個室の中からタツミに話しかけてきた。
「おにーちゃんってさっき皆を運んでくれた人だよね。」
何故、この子が見ず知らずのタツミにトイレに連れていくのをねだったのか少し疑問ではあったが、この質問で合点がいった。
この子は先程、ルーナやエリス、ハルベリアを探している際に三人と一緒にいた町人達の一人であったのを思い出した。
「そうだよ。」
タツミは優しい口調で答える。
「僕すごくうれしかったよ。僕もおにーちゃんみたいになりたいなって思った。」
「そうだな。じゃあまずは一人でトイレに行く練習だな。」
「それは···また今度。」
男の子はそう言って笑いながら個室から出てくる。
「それでね。後ね、怪我しながら僕達を守ってくれてた猫のおねーちゃんにこれをあげて欲しいなって。」
男の子はそう言ってズボンのポケットから小さくて綺麗なガラス玉を取り出した。
「僕のお守りなんだけど、あのおねーちゃん凄く痛そうだったけど···でも凄く一生懸命に赤い鎧のおねーちゃんと一緒に僕達を守ってくれてたから、早く治って欲しいなって思って。」
タツミはそのガラス玉を小さな掌から受けとる。
男の子がまだ亜人とは何かを、どういう存在かを知らないのか、それとも知っていてそれでも尚の行為なのかはわからない。
わからないがこの小さなガラス玉がタツミにはとても嬉しく思えた。
エリスの行動が、意志が報われた気がした。
「絶対に渡すよ。約束する。」
タツミはそう言って男の子の頭をポンと撫でる。
「あ、そうだ手を洗わないと」
男の子はそう言ってトイレの洗面器に向かう。
「え····」
タツミは無言でガラス玉へと視線を落とす。
「·····手を洗ってから渡して欲しかったな。」
そんなことを言っていると、急に轟音が病院全体に響く。
衝撃で建物全体が少し揺れたのがわかる。
「地震?」
男の子が少し怖がる様子でタツミに問いかける。
「大丈夫さ。すぐに収まる。さぁ手を洗ったらまたさっきのとこに帰るんだ、今度は一人だけどやれるな?未来のヒーロー。」
「う、うん! 僕頑張るよ!」
男の子はそう言うとさっき来た道を一人で進んで行く。
もしかしたら、今の轟音で何人か起きたかもしれない。
音源はおそらく地下だが、今のような短く一瞬の揺れはおそらく地震ではない。
(嫌な予感がする。急がないと。)
轟音が鳴り響く少し前、タツミが足音を消しながら五階の三号室を抜け出したすぐ後、静寂の帳が降りた同部屋の中を、一人眼を開け無言でジッと佇んでいる少女が顔をあげた。
少女がいつから眼を開けていたのか、それを知るものは誰もいない。
少女すら自分がいつからこの体勢でいたのか、ハッキリとは覚えていない。
部屋を出ていったタツミの足音が段々と遠ざかっていくのを耳で確認しつつ、少女は立ち上がって部屋の出口へと歩く。
「······」
少女は部屋を出る前にふと背後を振り返る。
カーテンで仕切られている為、ここから全員を確認することはできないが、動く様子も起きている気配も感じないことを確認すると、ゆっくりと指先で出口の壁に魔法陣を描く。
描き終えた魔法陣に掌をそっと当て、少女は魔力と共に祈りをこめると、部屋を出る。
そしてタツミが向かった反対の方向へと足を向けるとそっと歩き出す。
少女はフロアの端である壁に到達すると、その壁へと手を伸ばしゆっくりと力を入れる。
すると壁は隠し扉になっており、縦を軸にぐるりと一回転し、少女の姿が消える。
「···どうやらあの端の壁、隠し扉になってるようです。」
それを病室の入り口から覗く二人。
夜目の利くエリスが、暗闇の中でも少女が何をしているのか見て、状況を説明する。
「ふむ···追ってみよう。」
エリスの後ろに待機していたハルベリアがそう言うと、二人は少女が消えた壁の前へと向かう。
「もう歩いても大丈夫なのか?」
ハルベリアはエリスに問いかける。
「まだ痛みはありますが、問題ありません。」
エリスは笑顔でそれに答える。
二人が壁へ到達すると、エリスは先程、少女がしていたように手を伸ばし、ゆっくりと力を入れて押す。
先ほどの少女の時と同様に壁が縦を軸に回転し、二人を壁の向こう側へと引き入れる。
「梯子か」
壁の向こう側には梯子がかけられてあり、その梯子は下に向かって続いていた。
「どこまで続いているのでしょうか」
エリスが暗闇の中、下に向かって架けられている梯子を見て言う。
「エリスの眼を持ってしてもどこまで続いているのか見えないのか」
ハルベリアはそう言って少し驚いた顔をする。
「少なくともここからでは底は見えません。かなり深くまで続いていますよこれ。」
エリスはそう言うと、覗きこむのをやめ、梯子に足を架け降りる様子を見せる。
「少なくとも見える範囲にあの子はいません。これ以上離れてしまう前に行きましょう。」
「そうだな。」
二人は暗闇の中、梯子を降り進んで行く。
梯子を降りた先は一本道になっており、石材でできた廊下がまっすぐ、廊下の先に見える鋼鉄の扉へと続いている。
少女は鋼鉄の扉の前に立つと懐から鍵を取り出し、鍵穴へと鍵を差し込む。
ガッチャンッ!!
一般的な鍵を開く音に比べると、かなり大きい音を発して鋼鉄の扉の鍵は開く。
ギギギギギギ
扉だけでもかなりの重さがあることを感じさせる音を響かせながら、少女がその鋼鉄の扉を開くと、中は廊下と同じ石材で作られた大部屋となっており、壁一面には小さな窓程の大きさの金属製の扉が無数に存在し、そこには五桁の数字がそれぞれの扉に書かれている。
少女はその部屋の壁や床等には一切の興味を見せず、ただまっすぐに石造りの部屋を進み、部屋の端にある先程と同様の重厚な鋼鉄の扉の前に進む。
その扉にも、やはり少女は先程と同じく鍵を差し込み大きな音と共にロックを解除し、先へと進む。
次の部屋も、大きさこそ先程の部屋よりも大きいものの、壁一面に小さな扉が付いてあることや、部屋を造りあげている材質が石であること等、ほとんど同じ造りになっている。
先程の部屋との相違点を上げるとするならば、部屋の奥に祭壇のような階段が設けられてあり、さらにその階段の奥に人間が数人入ってもまだ容量に余裕のある程の大きさの鉄釜が置かれてある点である。
天井からその釜の中へと配管を通じて水が注がれ続けているが、釜の中の水は一切、その鉄釜から溢れている様子はない。
少女はその祭壇のようになっている階段を上がり、水の張ってある鉄釜を上から覗き込めるような場所に立つと、その場で両膝を曲げ、両手を顔の前で組み眼を閉じた。
「殊勝な心掛けですね。」
聞こえてきた声に対し、少女は眼を開ける。
鉄釜の水面に映る自分の姿の背後に白衣を着た男性が立っているのが見える。
「大事を成す前に本尊へと祈りを捧げる。やはり宗教家というものは自らの信じる神に願わずにはいられないものなのですか? それとも神ではなく一人の子供としてーー」
「あんたはいつからそこに?」
白衣の男性の言葉を遮り、少女は質問を返す。
「······つい先程ですよ。こちらの時間の概念で言うところの一時間程前ですかね。」
男性はそう言いながら少女の肩に手を置く。
「鍵がかかってた。」
「鍵など私の前ではあって無いようなものですから。」
少女は男性の答えに対し矛盾点を上げるも、男性はそれに対して常識の範囲の外から答えを返しつつ、肩に置いた手を少女の鎖骨、そして胸へと回すと、そのまま掌が少女の体内へと入っていく。
「···っ」
得体の知れない何かもやもやした感触に心臓を直接握られるような気持ち悪さを感じ、少女は顔を歪める。
「ね?」
男性は掌を少女の身体から出すが、少女の身体に一切の外傷は無く、血すら出ていない。
「···便利な能力ね。」
「私からすれば貴女の能力の方が十分便利だと思いますがね。」
二人がそのような会話をしていると、石部屋の入り口から声が放たれる。
「そこで何をしているのですか?」
背後からの聞き覚えのある声に少女は、そして男性は振り返る。
この部屋の入り口にこちらを向きながら立っている二人の少女。
片方の名は猫の亜人であるエリス·シアンブル。
もう一人の名はハルベリア·レオネル。
どちらもよく知っている顔である。
「そのまま動かずにこちらの質問に答えて下されば手荒な真似はせずに済みます。」
エリスは指先に魔力を込め、祭壇の上にいる二人に対してその先を向けながら警告を放つ。
「もう一度聞きますね。そこで何をしているのですか? ルーナさん。そして隣の白衣の方。」
今日一日を共に過ごした相手が、そこにいた。
スマホ投稿だと、パソコンと比べて数字等が色々と文字形式が異なるのですね。
その辺りはパソコンが修理から返ってきたら順次直していこうと思います。