2-10 【良い方にも悪い方にも】
教会の扉を開いて中に入ると、青いカーペットが敷いてある長い廊下が一本、礼拝堂へと繋がっていた。
その廊下の左右の壁には2,3の扉が存在していたが、その中の右側の一番手前の扉をルーナが開く。
まるで扉の中に何が存在しているのかを予め知っているかのように、迷わず扉を開いたルーナ。
扉を開いた瞬間に立ち込める良質な木の匂い。
扉の中にある衝立が邪魔をして、何の部屋か判断する為は衝立の向こう側へと進む必要があるのだが、香ってくる匂いからタツミはその扉の中の部屋が何なのかを理解することができた。
「・・・風呂?」
まさか入ってすぐの扉が浴室と繋がっているとは思ってなかったタツミは、思わず呟く。
「そう、エリア教の教会は必ず入口から見て右側の最初の部屋は『禊の間』と言って、一般的な家庭でいうところのお風呂みたいな造りになってるの。」
驚くタツミにルーナは説明しつつ、中へと歩を進める。
「ここで教会の外、つまり俗世での穢れを落として身体を清めてから教会の中で祈りを捧げるのがエリア教の日常なの。」
ルーナの説明に、タツミはなるほど、と思いつつ彼女の後を追って中に入ろうとした瞬間、ルーナが振り返りタツミに告げる。
「なに入ろうとしてんのよ。ここは女性専用。隣の扉が男性専用の禊の間になってるはずだから、あんたはそっちで汚れを落とすの。」
バタンッ!
ルーナはそう言うとタツミの目の前で扉を閉める。
「・・・なるほど」
よくよく考えれば、風呂場と同じような造りになっているのであれば男女が分かれているのも当たり前のことである。
知らずとはいえ、危うく変態の烙印を押されるところであったと思いつつも、タツミはルーナへと扉越しに
「もしルーナの方が先に出たら、扉の前で待っててくれ。」
と、声をかけ隣の部屋の扉を開く。
こちらの部屋も扉を開くと目の前に衝立があり、先程の部屋と同じような木の香りが漂ってくる。
備え付けてある空き籠に着ていた衣服を放り込み、籠の中に用意されているタオルを手に取る。
「これが風呂から上がった時に身体を拭く用で、こっちが・・・」
タオルの下に、身体全体を被える程の大きさの、中央に穴の開いた一枚布が折り畳まれて入っていることに気付く。
「これは風呂上りに湯冷めしないように身体に纏う用のやつかな?」
所謂バスローブのようなモノだと考え、籠の中に入れたまま、タツミは一糸纏わぬ姿で浴室の入り口を開ける。
汚れているのはルーナの魔法で泥だらけになった足のみであるので、足の汚れだけ落とすことが出来れば良いのだが、折角水を司るアクエリアスを神と崇める宗教であるエリア教の教会の、それも大きそうな風呂場を使用することができるのだから全身を洗うつもりでいる。
「おぉ、すげぇ」
浴室の入り口を開いたタツミは、思わず声を漏らした。
目の前一面に広がる大浴槽。
そしてそこへ注ぎ込まれている大量の水はまるで滝のような勢いでゴウゴウと音を響かせている。
周囲を見渡せば人一人見当たらず、まるで貸し切り状態。
「王城の風呂場も大きかったけど、流石にこんな滝みたいなものは無かったな。」
タツミは大浴槽の入口横に綺麗に山状に整列されている桶を一つ取り、大浴槽から水を掻い出して頭から勢いよくかけ流す。
水の温度は熱くもなく、それでいて冷たくもない温度で、まるで人肌と同じ程度に調整されている。
『禊』とルーナが言っていたことを思い返せば、熱心な信者はそれこそ、何時間もこの水に曝されたり、大浴槽へと勢いよく注ぎ込まれている滝のような水を浴びて穢れを落とすこともあるのだろう。
そう考えれば、長時間ここにいても体調に不都合を起こさないように配慮されているのかもしれない。
そんなことを考えながらもう一度、桶で水を掬って頭から水をかけ流していると、背後からガラガラと入り口が開く音が聞こえた。
どう考えても共用の浴室である。
タツミの後から別の信者の人が入って来ても何もおかしいことはない。
が、折角の貸し切り気分が薄れてしまったな、と思いつつも、折角なので挨拶しておこうとタツミが振り返ると、そこには中央に穴の開いていた大きな一枚布を羽織ることで肩から下を隠して浴室へと入ってきたルーナの姿があった。
「え・・・なんであんた・・・・全裸なの?」
浴室に入った時には隣に沢山の桶が積んであった為気付かなかったが、タツミの入って来た入口の少し横に積んである桶の山のさらに向こうにもう一つ入り口があり、どうやらそこは女性用の脱衣所へと繋がっているのであろう。
つまりこの巨大な浴室は【混浴】であることを一瞬で察しつつ、タツミはルーナの言動から脳内に一つの考えが巡る。
「そうか・・・その布は風呂上りに湯冷めを防ぐ用じゃなくて、浴室内で身体を隠すために使-」
「このっ!露出狂!!」
タツミが言い終わるより前に、無数の桶がタツミへと降り注ぐのであった。
「もう帰るのですか?」
馬車の運転席に座っていた男性が、客室へ乗り込んだマーリンへと声をかける。
「あぁ、やはり顔も肩書も割れすぎていると警戒されすぎてしまうみたいだね。」
マーリンはそう言って来た時と同様に、長時間座っていても疲れないよう適度な硬さに調節された客室の座席に腰をかける。
「あの男、アンドレ・ガルディードと言ったかな。あそこまで私に警戒心を向けていては何か隠していますとアピールしているようなものでもあるが、それ故に私ではそれ以上のことは調査できないだろう。」
「最悪、警戒しつつ付けることによってマーリン様に怪しまれたとしても、絶対にボロは出さないように勤めるでしょうね。」
馬車の運転席の男はマーリンの意見に肯定の意見を述べる。
「あの様子だと、私がここにいない方が間違いなく物事は進むさ。」
マーリンは嬉しそうに語る。
「それは良い方向に、ですか?それとも悪い方向に、ですか?」
そんなマーリンの含みを持った笑みを、運転席の男性はいつものことだと言わんばかりに気にしない様子で彼女へ問いかける。
「さて、それはタツミ少年の能力にかかっているさ。」
そこまで言ってマーリンの表情が一気に真面目になる。
「それよりも問題は王都の方だ。明日には王都へ帰るということは一定の地位以上の人間であれば知っているはずだが、それでも敢えて今日のうちに私に呼び出しがかかるとはな・・・」
「王都に緊急事態・・・でしょうか?」
運転席の男性の返しをマーリンは鼻で笑って答える。
「ふふっ、今日は王都にアズリードがいる。あの男がいて王都が危機に陥ることなど、魔王でも復活しない限りは無いさ。」
「では一体・・・」
「バレたのだろうな。私がタツミ少年を勧誘したことが。他の組織に対して、タツミ少年への勧誘を意図的に禁止していた黒幕の男に。」
マーリンは笑みを崩さないまま、座席奥へと深く腰を移動させる。
「アチラさんの子飼いの犬共は、存外良く鼻が利くらしい。私の予想よりも少しバレるのが早かった。」
そう言いながらマーリンは客室の窓の外へと視線を移す。
窓の外の景観から、馬車は教会のあった街を、そろそろ抜けようとする最中であることが分かる。
「なんて言ってやろうか。ふふ、良い訳でも考えておこう。」
マーリンはそう言いつつ、馬車は街を離れていく。
その馬車の背後数メートルを、一定の距離に保ったまま、足音も無く、それでいて一切の気配を絶ちながら進む集団の影が、追いかけていた。