2-9 【ルーナ・デャング】
教会の裏手。
そこには大きな木の小屋が一件、そしてその小屋の隣にはとても大きな池が一面に広がっていた。
タツミが裏手へと辿り着いた時、ルーナ・デャングはその池のほとりで一人佇みながら、風に揺れる水面を眺めていた。
(とりあえず、早く連れ戻してマーリン様達に合流しないと)
タツミはそう思い、こちらへ背後を向けているルーナへと歩いて近付いてゆく。
「エリア教の教会にはね、絶対に敷地内に水の溜まり場があるの。」
「!?」
急に話を始めるルーナ。
足音を消している訳では無いので、背後から近付いているタツミに気付いたとしても何も不思議ではないが、こちらを振り返りもせずに話し始めたことにタツミは驚いた。
「この教会はこの池が本尊なのね。水が輝いてるもの。見て、鯉も跳ねてる。」
そう言って、ルーナはやっとタツミの方を振り返る。
「ここから流れ出た水が教会の敷地内の至る所を巡り巡って、そしてエリア教の土地は流れる水の力で清められる。表立って敷地の中に水路が見えてないからきっと、池のどこかに排水を設けてそこから地下を通って水路を組んでるんじゃないかしら。」
笑顔で語るルーナが言うように、池は見えるがそこからの水路はどこにも伸びていないように見える。
おそらくルーナの言う通り、地下にでも配管を繋いで水を巡らせているのかもしれない。
ただ、タツミには水が輝いている。の表現はイマイチ理解できなかった。
「エリア教の敷地内に入るのは初めて?タツミ。」
驚いたことにルーナがタツミの名前を呼ぶ。
こちらにまったく興味を示す素振りを見せていなかった為、てっきり先程教会の入り口前で行った自己紹介すら聞いてないと思っていたが、案外そうでもなかったらしい。
「どうしてそう思うのかな?ルーナさん。」
タツミは質問を返してみる。
「さんはいらない。ルーナでいいよ。」
ルーナはそう言ってタツミを手招きする。
「じゃぁルーナ。どうしてそう思ったんだ。」
タツミはルーナに手招きされるままに、ルーナへと近付いていく。
「それはね――」
ルーナがそこまで言った瞬間。
ズボッ
ルーナへと歩いて近付いていたタツミの右足が、その直前でずっぽりと膝まで地面に埋まってしまう。
「!?」
教会の裏手の地面が、ある程度の水気を含んでいたことは、最初に踏んだ時の感触から理解していた。
しかし、まさか湿地帯における沼のようなものに足を取られるとは思っていなかったタツミは流石に驚く。
「あはははははははは!引っかかった!あははははははは!」
そして、無様に右足を沼へと取られたタツミの姿を見てルーナは笑う。
「勇者様の子供って言ってもやっぱりこういうのには引っかかるのね。」
ルーナはそう言って足が嵌っているタツミへと、手を差し伸べる。
「・・・・あのな」
タツミは差し伸べられた手を取らず、ルーナを睨みつけながら嵌ってない左足に力を入れて、ゆっくりと右足をあげていく。
「父親が勇者だからといって、俺も同じように凄い訳じゃない。勿論、そうなれるように日々努力はしてるつもりだが、俺は俺だ。」
「へぇ、そう」
タツミの返事に、ルーナは嬉しそうな反応を示すと、指を小さく小刻みに振る。
するとタツミの左足の接地面に魔法陣が輝きだす。
「なっ!?」
ズブズブズブ・・・
タツミの両足が、沼へと沈んでしまう形となってしまった。
「私と気が合いそうね。タツミ。私もその考え方してるの。親が教主様だからといって私も同じように尊い存在な訳じゃない。私は私よ。」
ルーナはそう言って、再びタツミの目の前へと手を差し伸べる。
「ほぅ・・・で、気が合うことと、今俺の左足まで沼に沈めたことと、どう関係があるんだ。」
ゆっくり膝の下あたりまで身体が沈んでいくのを感じながら、タツミは差し伸べられた手をジッと睨む。
「それはそれ、これはこれ。私が折角助けてあげようと思って差し出した手をタツミは無視して自分で出ようとしたでしょ。汝、困っている者には手を差し伸べよ。ってこれエリア教の教えなの。それを破る訳にはいかないでしょ。」
「手を取らない奴には手を取りたくなるまで困らせろ。って一文でも補足で付いてるのかよ。」
タツミはそう言いながら、渋々ルーナの手を取る。
「そうそう、最初から手を取れば両足が埋まることもなかったのに――ってきゃぁ!?」
ルーナがそう言っている最中、タツミは握っている手を一気に自分の方へと引っ張る。
ズボンッ
引っ張られた拍子にルーナは顔面から沼へと嵌る。
「ははははは!お返しだ!」
タツミはそう言って笑う。
「・・・やってくれたわね。タツミ・ウィルフレッド!」
スッ
怒りの表情を向けながら顔を上げたルーナへと、今度はタツミが手を差し出す。
「起こしてあげましょうか?ルーナ・デャング」
少しの間、二人の目線が交錯する。
そして、気が付けば同時に二人は笑い声を上げていた。
「あははははははは!なーにが起こしてあげましょうか?よ。その足じゃ踏ん張れないくせに。」
「はははははははは!泥だらけの顔で凄まれても全然怖くないな。」
当初、シムスから彼女の護衛を頼まれた際、ルーナの落ち着きのない行動を目の当たりにしたタツミは、この落ち着きの全く無い少女を護衛することが一体どれだけ大変な事なのだろうか。と不安になったりもしたが、実際こうやって話してみると、なんてことはない、少し活発な普通の女の子だと理解できた。
少なくとも普通に会話できる相手である、ということがわかっただけでも今回のタツミの本来の任務を達成するにあたってかなりのプラスの材料である。
「改めて、護衛の件よろしくね。」
やっと沼から抜け出した二人は、少しの休憩を挟み、ルーナからタツミへと手が差し伸べられる。
「あぁ、こちらこそ、よろしく頼む。」
タツミもその手を握り返し、改めて挨拶をする。
「おや、いつまでも教会の中に入ってこないと思って様子を見に来たら、この短時間で仲が良くなっているじゃないか。少年。」
「「!?」」
そんな二人の様子を見て、いつの間にか近くまで来ていたマーリンが笑いながら話しかける。
「何とか、やっていけそうです。」
笑顔でそう答えるタツミへと、ゆっくり近づいてくるマーリン。
近付き際にボソッとタツミへと話しかける。
「王都の方で緊急の呼び出しがあった。今日一日はここに滞在する予定だったが、話が変わった。今から出ねばならん。」
「もう行くのですか?」
タツミは思わず聞き返す。
「この十日間のうちに何か君の手に負えないような状況が起きた時にこれを使いたまえ。」
しかしマーリンはタツミの質問には答えず、一枚の紙をタツミへ手渡す。
「・・・これは?」
「その紙には私の魔法が1回分発動できるだけの魔力が込められている。何が発動するかは秘密だが、それでもきっと君の力になれるはずさ。少年。」
マーリンはそう言うと、タツミの頭をクシャっと撫でる。
「それでは任せたよ。タツミ少年。」
そう言って、マーリンは乗って来た馬車の方へと歩いてゆく。
「あぁそうそう・・・」
不意にマーリンが立ち止まり、微笑を浮かべながら振り返る。
「皆はすでに教会内の食堂にいる。君たちも向かうのならそこへ向かいたまえ・・・・・・その身体中の泥を綺麗に落としてね。」
マーリンが去った後、二人は冷静に自分たちの今の姿が、かなり泥だらけであるということに気付き、急いで教会の中へと向かうのであった。