1-18 【亜人の血】
眼前に広がる沼地。
その景色を前に、エリスは叫ぶ。
「木の上を行きましょう。」
エリスは跳躍。長く伸びた木の枝の上に飛び乗る。
沼地の上を走れば、足を取られてしまい、今やっている移動しながら度々迎撃するという戦法はもう取れなくなるだろう。
足を止めてしまえば数で圧倒的に劣る二人など一瞬のうちに大群の前には飲み込まれてしまうことは目に見えている。
沼地の方角へと誘い込まれてしまった二人ではあるが、予めエリスが森の大まかな地図を見ていたこともあり、『沼地へと誘い込まれている』と道中で気付くことができた為、そこへ到着するまでの間に対策の方法を考えることができていた。
|(私だけならまだ何とかなりますが、ハルベリアさんも一緒となるとそうもいきません。)
沼地の中を進むよりは、木の上を駆けた方がまだ効果的に逃げることができるだろう。
それに狼はまだしも、鹿達は木の上を追いかけてくることはできない。
沼地に足を取られるのは相手も同じだことだと判断。
気を付けるべきは
「キィィィ!!」
別の木の上から跳躍してきたグロリアスモンキーをエリスは撃ち落とす。
木の上で行動をものともしないグロリアスモンキー達。
馴れない足場での戦闘、移動することを強いられる二人は、おそらく今までよりも苦戦を強いられることになるだろう。
「さぁ!ハルベリアさんも!」
エリスはまだ陸地に立って戦闘をしているハルベリアに声をかける。
「・・・」
ハルベリアは一瞬、躊躇った様子を見せ跳躍。
ズンッ
ハルベリアが木の上に着地するのを確認したエリスは木の上を駆け始める。
「このまま沼地を抜けるまで突っ切ります。」
そう言って駆けるエリス。
やはり猫の亜人だけあって、抜群のバランス感覚でグロリアスモンキー達の動きに負けない速さを見せる。
「くっ・・・」
しかしハルベリアの方はそうもいかなかった。
木の上を跳躍し移動するも、グロリアスモンキー達の方が圧倒的に速いのである。
「ハルベリアさん!」
しまった。という顔をしてエリスはハルベリアの方を振り返る。
ハルベリアの機動力を完全に自分と同等と考えていたエリスは、その失敗に気付く。
「キキィィ!!」
ハルベリアが木の上でグロリアスモンキーの群れに囲まれる。
「囲みを破ります!」
ハルベリアの前方を囲むグロリアスモンキー達を風の弾丸で撃ち落とし、ハルベリアの進行方向を確保する為に、エリスは掌で照準を合わせる。
「ピィィィィィイイイイイ!!」
ドォォォン!!
その瞬間大きな鳴き声をあげ、ハルベリアの乗っている木へ向かって鹿が突進をかます。
ミシミシミシッ
「くっ!」
木全体が大きく揺れる。
ドォォォォン!!
二発目の突撃が木を揺らし、ハルベリアの乗っている枝が
バキンッ!!
音を立てて折れた。
「なっ!?」
エリスのように軽装であれば、もしくは木の枝は折れなかったのかもしれない。
しかしハルベリアの装備している鎧の重みがそれを許さなかった。
ドボンッッッッ!!!
大きな水柱を上げてハルベリアが下の沼地へと落下。
下半身が完全に泥の沼へと浸かりきってしまう。
落下の衝撃でハルベリアの魔法発動の媒体である剣を落としてしまい、最早自力で脱出するのはほとんど不可能だろうと察した彼女は、こちらへ助けに向かおうとしているエリスを声で制する。
「来るな!!」
「!?」
エリスの動きが止まる。
「エリス、君は逃げろ。私に構うな!」
ここでエリスがハルベリアを助けに来ては、二人とも沼地の上で無数の動物達へと囲まれてしまう。
そうなれば、二人とも移動しつつ迎撃を繰り返すことなど最早不可能となる。
互いにこの場で消耗戦となり、いずれは数に劣るエリスとハルベリアが力尽き果ててしまうだろう。
それだけは避けなければならない。とハルベリアは考える。
「本質を見失うな!タツミ様に課せられた使命は時間稼ぎだろう!」
まだここでハルベリアを見捨て、エリスだけで移動しつつ迎撃を繰り返す方がそれが達成できる可能性は高い。
「私も騎士だ。ウィルフレッド家の者に仕え、共に『試練』を乗り越えることを決断した以上、死ぬ覚悟も持っている!」
そう言うとハルベリアは拳を握り上に構えファイティングポーズを取り、
こちらの様子を伺っている獣たちに、まだ戦闘を続行する意思があることを見せる。
「・・・このっ、バカーーーーー!!」
そんなハルベリアに対して、エリスは罵倒しつつハルベリアの横に立つ。
「なっ!?」
急なエリスの行動に言葉を失うハルベリア。
「バカはお前だ!エリスまでこっちに来ては・・・」
ハルベリアがそこまで言って、エリスの身体が沼地に全く沈んでいないのに気付く。
エリスはいつの間にか履物を脱いで裸足になっており、その足は沼地に立っているというのにも関わらず全く汚れていない。
「本質を見失っているのはハルベリアさんの方です。タツミ様は、あの人は私達のどちらかでも欠けることを望みません。望むわけがありません。タツミ様は私たち二人が無事なことを前提に時間を稼ぐことを成し遂げるつもりのはずです。」
「・・・」
ハルベリアは思わず無言になる。
きっとそうなのだろう。
成人の儀で見た、自らの身分が低いことを受け入れつつも、それを悲観することなく、勇者の血を受け継いだ誇りを胸に、前へと進もうとしていた姿。
心のどこかで女だからと、騎士長になることを諦めていたハルベリアは、だからこそ
その姿に胸を打たれ、憧れた。
王城での立場の低い生活の中でもきっと諦めることなく上を目指したのだろう。
自分より上の立場の人間がどれだけいようが、自分より能力のある人間だどれだけいようが、
それを受け入れつつも、タツミはきっと諦めなかったのだ。
そしてそんなタツミは、圧倒的な数の敵を相手に諦めることなく時間を稼ぐ為に魔人に立ち向かっている。
今もまだきっと、魔人相手に戦い続けているだろう。
「そうか・・・諦めるのが早すぎるのか、私は」
ハルベリアは自嘲気味に笑う。
「そうです。早すぎます。」
エリスは落ちていたハルベリアの剣を拾い上げ、ハルベリアへと渡す。
「できるだけこの姿は見せたくなかったのですが、こうなってしまった以上私も出し惜しみはしません。」
エリスはそう言うと、沼地に手を着く。
しかし、その手も沼に浸かる気配はない。
まるで少し浮いているかのようである。
「あまり・・・好きではない姿ですので」
ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ
エリスの腰の辺りから二股に割れた尾が生え、手足の爪が強く、大きく伸びる。
歯は鋭く尖った牙となり、眼は碧く輝く。
「エリス、その姿は・・・」
ハルベリアがエリスの姿を見て驚く。
亜人が人間から畏れられる理由の一つ、そこには
一部の、人間ではない方の血を色濃く受け継いだ亜人は、自らの血を開放することで受け継いだ人間ではない方の能力を発揮できる者が存在している、ということにもある。
この能力が故に、この姿が故にどれほどの迫害を受け、どれほど虐げられたのだろうか
それを考えると、あまり見せたくない姿。というのも頷ける。
「ハルベリアさんはにゅま地を渡りきって陸地まで上がって下さい。渡り切るまでの間、私が全力でフォローします。」
「ああ、わかった。・・・ん、にゅま地?」
ハルベリアはエリスの言葉を聞き返す。
「そ、そこは気にしにゃいでください!こにょ姿にぃにゃると『にゃ』行の発音が上手くいかにゃいんです。」
「なるほど、『な』行がおかしくなるのか、ふふっ」
ハルベリアは笑い、剣を手に取る。
「笑ってる場合じゃにゃいですよぉ!」
エリスが少し照れながらハルベリアを急かす。
「それもそうだ。では、お言葉に甘えるとしよう。」
ハルベリアは剣を沼地に刺し、魔力を放出。
足元の泥を吹き飛ばし、ゆっくりと身体を沼地から出してゆく。
そこを目掛けて、グロリアスモンキーの一匹が小石を投擲の構えを取る。
エリスは一瞬にしてそのグロリアスモンキーとの距離を詰め、投擲される前に小石を持つ腕に向かって脚を一閃。
「ギィィィ!?」
グロリアスモンキーの腕が、小石を持ったまま胴体から切り離され落ちて行く。
「ごめんにゃさい。お猿さん。でも、ハルベリアさんにぃは何一つ手出しはさせませんから!」
まるで猫のように動くものを見抜き、風のような速さで動き、掌と足に展開している風の魔法によって強化された爪で切り裂く。
先程まで、遠距離から中距離の一から風の弾丸を放って戦うスタイルだった彼女が一転、今度は高速で移動しつつ風で切り裂く近距離スタイルへと変化する。
「絶対にぃ二人で生き延びてみせます!」
「くそっ、近付けねぇ!」
魔人に対して大きく啖呵を切ったタツミであったが、攻撃のキレも速度も最早完全に落ちていた。
残った一匹のサブリーダーらしき個体の攻撃を躱しつつ、ボスの個体の行動を見張る。
ボス個体が何か行動を起こそうとした場合にのみ、意識をボスへと向けその攻撃を全力で躱す。
先程まで三匹のサブリーダーを同時に相手しつつも、ボスへの警戒を何とか行えていたタツミであったが、残された力では最早一匹を相手にボスを警戒するのが限界であった。
三体のウチ二体はすでに戦闘できる状態ではないのが幸いではあるが
そうなる為の代償はかなり高くついてしまった。
「ほらほら、そんなことじゃ全然たおせないよ」
魔人がこちらに声をかけてくるが、それに答える余裕すらタツミにはない。
全身は痛み、身体が悲鳴を上げているのがわかる。
しかし、頭は割と冷静であった。
(なんとか近付くことさえできれば)
先程、ボス個体の攻撃をまともに受けて倒れ、それから何とか復帰した際
ふと頭をよぎった仮説があった。
今タツミはその仮説を試みる為に行動しているのであるが、そのためにはボスの個体へと近付く必要があった。
「くっ!」
ボス個体がこちらへ向かって、埋まっていた大岩を掘り起こし投擲。
それを紙一重で躱し体勢を整え、サブリーダーからの攻撃に備える。
もちろん、その大岩を躱した隙に合わせて攻撃してきたサブリーダーであったが、
予期していたタツミはその攻撃を躱し、そのままサブリーダーの腕を掴む。
「キィッ!?」
「どぉぉおおおおりゃああああぁ!」
そのまま振り回して勢いをつけジャイアントスィングのような状態になり、全力でボス個体の方へと思いっきり投げた。
それを躱すために跳躍するボス個体。
(今しかない!)
タツミは頭に浮かんだ仮説を試す為、痛む身体を無視し、全力で駆けた。