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二人の綺麗じゃない結末


「――バカ!!」


 莉子を現実に引き戻したのは鋭い声と、腕をつかむ強い痛み。

 大上が庇うように莉子の体を抱きしめた。彼の着るシャツに顔を押し付けられる。

 ワゴンは、ものすごいスピードで目の前を駆け抜けていった。

 警戒をゆるめず遠ざかる車を注視していたが、戻ってくる気配はない。ようやく少しだけ肩の力を抜いた。 

 助かった、と思った瞬間、心臓が飛び出しそうなほど鼓動し、冷や汗がどっと出る。つま先から、しびれるほど冷たい何かが込み上げ全身が震えた。まだエンジン音が耳の奥に残っているみたいだ。

 守るつもりが、すっかり庇われてしまったことに気付く。飛び出した莉子を、大上が体を張って引き戻したのだ。もし彼の助けがなければ大怪我をしていたかもしれない。いや、あのスピードなら打ち所によっては、死ぬこともあり得ただろう。

 しばらく互いに身動ぎ一つできずにいたが、努めて深呼吸することで徐々に冷静さを取り戻す。莉子は、いつまでも離れずにいる大上の背中を叩いた。

「⋅⋅⋅ありがとう、大上くん」

 もう大丈夫、の意味を込めたつもりが、なおさら抱きしめる力が強くなった。まさかこんな状況で不埒な気持ちになったわけでもあるまいと、半ば呆れつつ腕から抜け出そうと試みる。だが、全く振りほどけない。

 女子の中では背が高い方なのに、すっぽり彼の腕におさまっている。急に寄る辺のない気持ちに襲われた。これではまるで、普通の女の子みたいだ。守ってあげたくなるような、非力でか弱い女の子という生き物。

 シャツの柔軟剤の匂いを意識して、やけに焦る。らしくない思考を振り払った。なんだか顔が熱い。

「ねぇ、離してってば――」

 平静を装いながら顔を上げた瞬間、言葉を失った。

 大上は、限界まで目を見開いていた。その瞳はガラス玉のように透明で、目の前にいる莉子さえ映していなかった。顔は信じられないくらい青ざめ、それなのに全身汗まみれだ。莉子の声もまるで耳に入っていない。明らかに様子がおかしかった。

「――ダメだ⋅⋅⋅」

「え?」

「死んだら、どうするんだ⋅⋅⋅」

 震える呟きが、空気に溶けてしまいそうなほど密やかに、莉子の鼓膜を打った。

 大上がますます強く抱きしめる。骨がきしむほどの力に恐怖を覚え、悲鳴に近い声で叫んだ。

「大上君!」

 すると、彼の体がぴくりと動いた。少しずつ弛緩するように、ゆっくりと腕がほどけていく。

 痛む腕をさすりながら、莉子は大上を見上げた。

「⋅⋅⋅ケガは?」

「あ⋅⋅⋅⋅⋅⋅少し、サイドミラーが」

 まだ頭が働いていないのか、大上は問われるがままに答える。あのスピードで当たれば痛いに決まっているのに、そんな素振りは見せない。もしかしたら感覚が麻痺しているのか、あるいは、痛み以上の何かが彼を支配しているのか。  

「一応病院に行こう。この時間からでも診てくれるとこ知ってるから」

「でも⋅⋅⋅⋅⋅⋅」

 有無を言わさず大上の手を引いて歩きだす。こんな不安定な彼を一人にしておけない。莉子は近所の診療所へと向かった。


 

 子供の頃からお世話になっている診療所は、診察時間外に飛び込んできた莉子たちを優しく迎えてくれた。

 腰にサイドミラーがかすったということだったが、触診した限り骨に異常はみられず、軽い打ち身だろうということだった。患部は赤くなり始めていたが、湿布を貼れば一週間もしないで治るという。念のためレントゲンも撮るそうで、大上は明日もう一度来ることを約束していた。

 何度も礼を言って診療所を後にする。

 莉子たちは並んで歩いていた。外はもうすっかり暗くなり、昼間の暑さが嘘のようにひんやりとしていた。この地に寝苦しい夜がやって来るのは夏本番の一週間ほどで、暑さが苦手な莉子としては嬉しいところだ。

 時間が経って莉子はなんとか落ち着いていたが、大上はひどく沈んでいる。何か考え込んでいるようにも見えた。かける言葉が見つからず、ただ黙々と歩く。

 薄暗い街灯が照らすT字路に差し掛かった。右に行けば事故に遭いかけた道。つまり大上の家の方角だ。莉子の家は反対方向。

 大上が静かだと調子が狂う。拒絶されてもしつこく追い回す莉子が、よっぽど気持ち悪いのだろうか。

 先ほど様子がおかしかった理由も聞きたいし、何より話の続きをしたかったのだが、沈黙に負けて話しかけることすらできなかった。

 莉子が街灯の下でゆっくり立ち止まると、大上も足を止めた。だいぶ勇気が必要だったが、言わなければならない言葉を口にした。

「ごめん、助けられちゃった。私が守るつもりだったのに」

 自分は冷静な方だと思うし、危急の際にも対処できると考えていた。大上を守ることができると。だが違った。車が向かってくるのを見た瞬間、何も考えられなかった。やみくもに動く莉子を庇った大上の方が、よっぽど冷静だったように思う。むしろ自分さえいなければ、彼は怪我をしなかったかもしれない。

 情けなさに落ち込む莉子を穴が開きそうなほど見つめ、「いや、そんなの謝んなくていいんだけど」と、大上はぽつりとこぼした。

「⋅⋅⋅⋅⋅⋅守るためにいたの?俺を?」

「他に、何があるの?」

「いや⋅⋅⋅マジですんごく好かれてんだと、思ってたから」

「バカじゃない」

「いやいや。あんな堂々と救われた宣言されたら、誰だってそう思うでしょ」

 拒絶の前と変わらない、人懐っこい表情とふざけた言葉。恥ずかしさと腹立たしさもあったが、何より莉子はほっとしていた。だから勢いに任せて本心をさらけ出した。

「守りたかったの、大上君を。ケガ、しないでほしかった」

 キッパリ言いきったあとに、ものすごい羞恥心に襲われた。確かに堂々と恥ずかしいことを言っている。思わず周囲を見回してひと気がないことを確認する。

 一人で焦る莉子を見て、大上はとうとう吹き出した。

「うん。俺、決めたわ」

「何を?」

 赤くなる頬を隠しながら見上げると、彼は静かに微笑んでいた。さっぱりした表情はどこか潔く、街灯のぼんやりした灯りに不思議と映える。そのくせ眼差しはどこまでも優しくて、不覚にも莉子は怯んだ。

 そんな僅かな動揺もお見通しみたいに、大上は綺麗な笑みを深めた。

「警察に話すよ、全部」


 ◇ ◆ ◇


 日曜日の朝。

 地方新聞にある記事が載っていた。


『薬物所持容疑の男 逮捕』


 扱いは小さく、見出しも素っ気ない。けれど逮捕された人物がごく近所ということもあり、莉子にはすぐ分かった。

 大上を何度も襲ったのは、この男だ。そして、そこまでされても大上が庇い続けた理由も、これだったのだ。

 男の名前は木田嘉之。三十六歳。建物を解体する作業員。

 警察は以前からこの男をマークしていたらしい。その容疑が固まったので逮捕、となったようだ。

 だが詳しいこと――木田が車での凶行を繰り返していたことや、それを大上が警察に証言した事実は、一切載っていない。もしかしたら大上本人が、新聞には載らないよう配慮を頼んだのかもしれない。

 これで、事件は完全に決着した。もう大上の安全が脅かされることはない。

 それでも優しい彼のことだから、苦いやりきれなさを抱いているのだろう。

 平和な朝の光の中、莉子は大上の心に思いを馳せた。



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