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奥歯に挟まる

作者: ごま

 父親のまま死にたい。

 映画で聞いたセリフだ。くだらない映画だった。私はぼんやりとした心地でシアターから出た。ポップコーンが奥歯に詰まっていた。煮え切らない気分だ。隣の女が声を発した。

「あれがB級ってやつ」

「ああ」と私はうなずいた。

「みんなゾンビになって、美女と主人公だけが残る」

「そうでもなかったな。残ったのは普通の女と、妙な男だ」

「あれで普通なんだ」

「あいにくね」

「ふうん」と女は相槌を置いて行った。

 我々は映画館を出て、曇り空の下にいた。奥歯にはまだトウモロコシの死骸が挟まっていた。

「ねえ、どうする?」

「ん」

「喫茶店でもいく?」

「いいね」

「じゃあ、あっちだね」と女は歩き出した。私は舌で奥歯を撫でながらその後ろを着いて行った。

 私の歯について話そう。私の奥歯はちゃんと生えている。問題は親知らずまで生えていることだ。親知らずは横倒れのまま生えてきた。そのおかげで隙間ができている。ポップコーンはいつだってそこに住むことができる。

 私は喫茶店に着いたなり、爪楊枝でがりがりとポップコーンを追い回した。女はその様子を観察していた。

「おやじみたい。アイスコーヒー?」

 私はうなずいた。ポップコーンはまだ取れなかった。深い所に挟まっているようで、爪楊枝の先端では太刀打ちできなかった。私はあきらめて爪楊枝をペーパーの上に置いた。

「とれないの?」

「ああ。ちょっと工夫が必要でね」と私はぱらぱらと楊枝入れから何本か取り出した。

「どうするの?」

「二つに折っていくのさ。うまくいけば先が平べったくて、尖ったものができる」

「ふうん」

 私は爪楊枝を折っていく。女はぼんやりとその作業を見る。

「ねえ」

「ああ」

「ゾンビになるってどんな気持ちなのかな」

「気持ちいいのかもしれない」

「どうして?」

「死なないんだから、苦痛はないはずだ。痛みは生きてるから感じるものだ」

「ふうん。その割にはうめいてたね」

「ああ。すこしツラいのだろう」

「ゾンビがさ、理性保ってるってなかなか斬新?」

「どうだろうね。そんな知らないから」と私は手元を休めた。

「娘を見てさ、急にしおらしくなるゾンビって斬新?」

「気に食わなかったのか」

「パパって叫んで抱き着いたら、昇天しちゃうゾンビって斬新?」

「いてほしいとは思うよ」

「全部、インチキだね」と女は笑った。

「そうかもしれない」と私は言い残して、折れた爪楊枝を手に取った。

「インチキなのはキライだよ。いくらみんなが褒めてたって、キライなものはキライ。だれが泣いてやるもんか。なにが、最後まで父親でいたかった、だ。どうしてさっきまであうあう呻いてたやつが滑舌よく言葉を残せるの。ホント、インチキ」

「うぐう」と私はうめいた。喜びの呻きだった。ポップコーンが舌の上で踊っていた。

「取れたの?」

「ああ」

「すっきりした?」

「ああ」

「だろうね」と女はストローで勢いよくアイスコーヒーを吸った。

「ところで」と私はペーパーで爪楊枝の残骸を包みながら言った。「私たちは知り合いなのだろうか」

「さっき会ったばっかりだね。映画館で隣同士だった。二人ともひとりっきり。周りは流行りものに目がないカップルばっかし。ちょっとさびしかったのかも。映画も映画で、やさぐれた気分にさせれくれるものだったし」

「それがいまの気分か」

「そう。やさぐれパンダって感じ」

「パンダにしては目つきが鋭い。名前もパンダみたいに丸くはないんだろう」

「JDって呼んで」

「じぇーでぃー?」

「そう。じぇーでぃー。あなたの名前は?」と髪の短い女は私を見つめた。若いが、それなりの経験を積んでいる顔つきだった。

「DBでいい」と私はアイスコーヒーを飲んだ。

「でぃーびー。古風な名前だね。DBさんはなんであんな映画を見に行ったの? しかも一人で」

「友人が風邪を引いた」

「へえ。あたしと一緒。今日は友達みんな風邪をひく日なんだろうね、きっと」

「べつに行かなくてもよかった」

「言えてる。でも来ちゃった。ちょっと期待してたからかも」

「何も期待しないで見るべき映画だった。いや、すべての映画はそういうものだと忘れてたんだ。長らく映画なんて見に行ってなかった」

「へえ、どうして?」

「どうしてだって? どうしてかな。そう聞かれるとわからない。時間がなかったからかもしれない。物語を欲してなかったからかもしれない。経済的な余裕がなかったからかもしれない。いずれにせよ、深い理由はないよ」

「へえ。あたし、インチキなのはキライなの」と女は私に見定めるような視線をくれた。

「そうか」

「どうして、あたしの隣の席に座ったの?」

「たまたまだ。別に意図はない」

「アンタ、チケット買うときあたしの後ろにいなかった?」

「それも、たまたまだ」

「へえ。たまたまあたしの後ろにいて、たまたまあたしの隣の席を買ったって言うんだ。おもしろいね」

「世の中は面白いことで満ちてるよ。失踪人を警察に届けない親とかね」と私は言った。

 女は動きを止めた。表情が欠如した顔で私を見つめた。私はそのうつろな瞳に何も見出すことは出来なかった。

「アンタ、探偵?」

「かもしれない。探偵には資格は必要ないからね。ここ日本では」

「誰に雇われたの?」とか細い声で女は言った。そしてバックから煙草を出した。震える手で一本取り出し、ライターで火をつけようとした。慣れた動作だった。私はその細い指に間から、煙草を抜き取った。ライターの火が宙に浮いた。

「ここは禁煙だ。そして、君は一七才に過ぎない」と私は言った。

「うざい」と呟いて、女はライターと煙草をしまった。

「君の居候先のやつはインチキな野郎だ。知らないと思うが。今日も君を外に出して、家では君以外の少女と遊んでる。遊んでるという言葉だけで済んでればいいものだが」

「……、どうしてあたしにそんなこと話す気になったの?」

「君の安全を確保するためだ。君はそろそろ飽きられている。君にも自覚はあると思う。あの手の男が飽きた女をどう処理するかは、考えない方がいい。何も考えずに、君は家に帰るべきだ」

「帰れない。あの人はいい人だよ。アンタのような奴の言葉なんて信じられないね」と女は硬く笑った。

 私は財布を出した。その中から、写真を取り出した。裸の女がベットの上で目を瞑っている写真だった。それを机に置いた。女はじっとその写真を見た。いつも鏡で見ているはずの裸がその瞳に映った。

「どうして」と女が言った。

「どうしてだって? 簡単な話だ。彼はコレクターなんだ。こうやって若い女を標本にしていく。標本になった女は一生、息苦しい人生を送ることになる。次は動画だ」

「動画?」と女はぼんやりとした目で私を見た。

「動く画像だ。いつも通りの手管。手あかが付きすぎた手段。想像力のない脅迫だ。そこで君は全世界の慰み者になる。あるいは、別の男のおもちゃに成り下がる。あるいは、ビルの上から飛び降りることになる」

「あたしは、死なない」そう言って女は机のうえの写真を取り上げ、切り裂いていった。散り散りに。

「写真はそれだけじゃなかった。分かってると思うが」

「全部、破るよ。それから彼と一緒に死ぬ」と女は写真だったものをカバンに入れた。

「……、死なないんじゃないのか?」

「ビルからは落ちないだけ。ねえ、彼はいま家にいるの?」

「君の知ってる家にはいない。彼はいろいろなところに家を持ってるんだ。残念だが、教えることは出来ない。君を家に帰らせるのが、私の仕事だからだ。死体を送るわけにはいかない」

「ねえ、あたしが家に帰って彼を殺すこともできるの。そういうのって無駄じゃない?」

「無駄かもしれない。私は君を縛ることは出来ないからだ」

「じゃあ、今話してよ」

「君に話せば、彼に危機が迫っていることをそれとなく知らせることになる」

「……いま、あたしが駆け出しても?」

「頭はまだ働くようだな」と私はアイスコーヒーをすすった。女はじっと私を睨んでいた。

「どうやって、もってきたの?」

「どうやって? 私は彼の家すべてを知っている。なぜならそれが私の仕事だからだ」

「勝手に入ったの?」

「私以外にも入れる人間は腐るほどいる。彼に恨みを抱いてる人間と同じくらいいるんだ。簡単な仕事だったよ」

「ほかのデータは?」

「ある限りのものは消しておいた。サーヴィスだ。もしかしたら、次の仕事になるかもしれないが。それも君次第だ」

「……あたしがどうして家を出たのか、知ってるの?」

「さあ。切れ味の悪い包丁がどうだったかな」と私はストローで氷をかき混ぜた。女はカバンを床に落とした。分かりやすい感情表現だ。私は分かりやすい人間が大好きだった。

「……警察は、呼ばないの?」と女はカバンを床に置いたまま言った。

「君のお父さんはただ自分で怪我をしただけだ」

「お腹を刺したのに?」と女は口元をひきつらせた。

「さあ。本人はそう言ってる。まだ生きてる。ベッドの上だがね。せめて、父親のまま死にたいようだ。いまはまだ父親じゃないらしい」

「知らないよ、そんなこと」と女は舌打ちをした。カバンを拾って、ため息をついた。「やっぱり、死んでないんだ」

「元気だよ。ベッドの上だがね。君を待ってる。謝りたいらしい」

「もう、無駄だよ。謝っても意味ないって伝えてよ」と女は俯いたまま呟いた。

「それは君の決めることではない。そして、私の仕事でもない。私の仕事は君を家に帰すことだ」

「へえ。どうやってあたしを家に帰す気なの?」と女は引きつるように笑った。

「もう手の内は全てさらした。あとは君次第だ」と私はからからとストローで氷を回し続けた。

「帰るわけないじゃん。帰るわけないじゃない。どうやったら、包丁で刺した相手と会えるの? どんな顔して帰ればいいの? わけわかんない。そんなの、インチキだよ」

「帰ってから、考えればいい。君がした行為と、そのけじめのつけ方は君の両親が教えてくれる。それからもう一度考えて、嫌になったら家を出るなり、野垂れ死ぬなりなんなりすればいい。そこは私の仕事外だ」

「なにそれ?」

「私の仕事は、今ここで君を家に帰すことだけだ。そのあとはどうなっても構わない」と私はからからとストローで氷を回し続けた。氷の音は周囲の気温をも下げた。

「ドライだね、アンタ」と女は笑った。

「正直に言えば、君のような女はまた必ずどこかでしくじる。その尻拭いを、君の両親が法律に従って今度こそすることになる。今の時間はただの引き延ばしだ。だが君のような厄介者をどうにかして家に帰したいと思うのは、私には理解できた。だからこうして仕事を受けている。その関係で、君の交友関係もすべて洗った。下水の臭いがするようなリストができた。それを君の両親に送っても、頑として君を帰ってこさせたいようだった。放っておけばいいと私は言った。だが、このままだと親として死ねないと彼らは言うんだ。彼らはじっと君を待っている。君に謝りたがっている。君の赦しを欲している。これは私には理解できない。たぶん、君にも理解しがたいだろう。彼らが納得するには君が帰って、彼らの謝罪を聞くだけでいい。それで彼らは救われる。至極、簡単な話だ」

「どうして、あいつらを納得させなきゃならないの? ただの自己満足じゃない」

「どうしてだって? 君は彼らの子どもだからだ。それだけが理由だ。君が彼らの子どもでなければ、今は裁判中だろう」と私は女を見つめた。

「あたしが、あいつらの子どもだって? 笑えない」と女は睨んできた。私は手を止めて、じっと女の瞳を覗きこんだ。目の端に涙がたまっていた。

「君の考えてることは分かってる。そして、それが間違っていることも分かってる」

「どうして、分かるの? 分かるも何も、事実として紙に書かれてるの。すべてはインチキだったって」と女は目じりから涙を落とした。

「あの紙は君のことを記したものではなかったんだ。ただの手違いだった。ここに本当の結果がある」と私はカバンから書類を取り出して、少女の前に置いた。少女はそれを見た。体を一つ震わせた。

「うそ」と少女は言った。

「うそではないんだ。事実だった。彼らが間違っていた。むしろそうなるように仕向けられてたんだ。君のお父さんを恨んでる人間がそうさせてたんだ」

「じゃあ、なんで」

「なんで? それは知らない。君はもう家に帰る時間になってるんだ。それだけは私が確実に言えることだ」

 少女はふるふると泣いた。私はからからとグラスを鳴らした。


 それから、少女は家に帰った。私は一人で映画を見に行った。ポップコーンを食べて、また奥歯に彼らを住まわせた。だが、それでもいいかもしれない。私はそういう風に思えた。

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