抱き枕の活用法
抱き枕の活用法
1.飾る。
2.やつ当たりする。
3.抱きしめて眠る。
1.飾る
帰り道、衝動買いした。
伏せたウサギの形をした抱き枕だ。つぶらな瞳の癒し系。抱き枕には興味があったし、最近一人暮らしを始めて寂しかったので生き物の形をしたものが欲しかったのだ。
お店の袋から取り出し、値札をパチンと切り落としてベッドの上に座らせてみた。
モノトーンにまとめた部屋には毒々しいピンクに紫の水玉模様はあまり合っていなかったけれどこれはこれで部屋のアクセントになる……かも?
シックにまとめられた部屋にあるウサギ型ピンク&紫の抱き枕。
………うん。
人が来る時はクローゼットにしまおう。
でも、部屋がにぎやかになった感じがしてちょっと落ち着く。
「よし、今日から君はうちの子だ。いらっしゃい! あとただいまー」
『おかえりー』
「………」
ん?
ゾクリ、背筋が震える。
今、子供のような甲高い声で「おかえり」と聞こえた気がする。周囲を窺って見るがワンルームマンションに隠れる場所などほとんどない。
一応おそるおそるバスルームも覗いて来たが異常なし。
「気のせい、かな?」
『どうかしたの?』
「……!?」
いま、たしかに、きこえた。
ぞっと鳥肌の立った腕をさすりながら部屋を見渡す。人が隠れられる場所はない。それなのに声がする。
「ちょっと、誰かいるの? 出てきなさいよ!」
咄嗟に値札を外したハサミを手に持ち、声を上げた。
だが、今度は誰も声も聞こえてこない。
静かな部屋の中でもう一度ベッドの下やクローゼットの中、バスルームに引出しの中まで確認するがやっぱり誰もいない。
外から声が聞こえて来たのでは、と窓を確認するがしっかりと鍵もかかっていた。
「どういうこと」
混乱しながらも、私の現実的な部分は幻聴が聞こえたのだと答えを出していた。最近は初めての一人暮らしと新社会人としての生活で疲れが溜まっていたし、そういうこともあるのかもしれない。
もしそうじゃなかったら、と考えだすと怖いのできっとそういうことなんだと結論付けてその日は使い慣れた枕で眠った。
■■■
目を覚ますと頭の後ろがいつもと違う感触だった。顔を横に向けて確認すると毒々しいピンクが目に飛び込んでくる。
「……ああ」
昨日買った抱き枕だった。使わなかったはずだけどいつの間にか頭に敷いていたらしい。
ぼーっとした頭で起き上がり時計を見ると目覚ましが鳴る一時間前だった。
「起きるか」
もう一度寝ようかとも思ったけど二度寝するとだいたい寝坊してしまうのだ。
『もうちょっと寝てればいいのに』
甲高い、ボイスチェンジャーでも使ったような声。思わず硬直し、次の瞬間抱き枕を抱えて壁に背中を付けた。
「だ、誰!? どこにいるのよ!」
『あ、いいねいいね。もっとぎゅっと抱きしめて!』
「……は?」
抱きしめて?
自然と目がいままさに私が抱きしめている抱き枕へと落ちた。
『さぁもっと強くぅ!』
ウサギの口が、動いている。
「いっ、嫌ぁー―!!」
思わず力の限りウサギを放り投げた。抱き枕は向かいの壁にぶつかりべシャリと落ちた。
『ひどいよ、投げるなんて』
「なっ、なっ、なっ」
上手く言葉を発することができない。
『なんで喋ってるんだって言いたいんだよね、わかるよ』
抱き枕に共感されたくない!
あまりの異常事態に体が硬直して動かない。え、なにこれどうすればいいの? 警察? 医者? ゴミ収集?
思考が空回りしている間にも抱き枕は口を動かした。ただ黒いだけの目がこちらを見つめていて鳥肌が立つ。
『あのね、僕は実は抱き枕じゃないんだ。抱き枕に呪いを掛けられた人間なんだよ』
「………人間?」
『そう人間なんだよ! 僕はこれと同じデザインの抱き枕をUFOキャッチャーでとったんだ。UFOキャッチャーが趣味だったから。でも別にこれがほしかったわけじゃないからさ、帰り道で捨てたんだ。そしたら抱き枕としての本分を果たせなかった恨みー、って呪いを掛けられちゃったんだよー』
何が「よー」なのか。人間から抱き枕に変えられた、というならもっと悲壮感があるはずだ。それに人間だとしても不気味なものは不気味だ。
抱き枕は流暢にしゃべり続ける。
『だから僕はこの姿で抱き枕としての本分を果たさないといけないんだ。君がちょっと活用してくれたから呪いが解けてきて少し喋れるようになったけどまだ足りないんだ。だから僕をもっと活用してほしい! お願い!』
誰がこんな不気味で得体のしれない抱き枕を使うか!
「……わかった。わかったから、もう二度と喋らないって、約束、して」
『えー、喋っちゃだめなの? でも使ってくれるって言うなら我慢するよ。確かにお喋りな抱き枕じゃよく寝れないもんね。ちゃんと使ってね。約束だよっ! 一杯使ってね! 使うのやめたらお願いするために喋るからね!』
「う、うん」
次の日、私は布団にくるんだ抱き枕をゴミ捨て場にそっと捨てた。
2.やつ当たる
抱き枕を捨てた次の日、私は家に帰りたくなくて会社の飲み会で、初めて3次会まで出席した。
終電にも間に合わなくてタクシーを使って帰ってきたがくらくらする。吐きそうだ。
「あーもう。不気味な抱き枕、本当なのにぃ」
酔いに任せて周りに訴えたけど笑って流されただけだった。あのハゲ爺。あの生意気坊主。みんなまとめてあの抱き枕のえじきになればいいのに。いっそのこと捨てる前に会社に持って行けばよかった。そうすれば絶対信じてもらえたし、他の人におしつけてあたしもあの変な抱き枕もみんな万々歳だった。
「っぷ。たらいまー」
『おかえりー』
「あら、またいたぁ」
部屋のベッドにちょこんと転がっていたのは捨てたはずの抱き枕だった。
『ひどいじゃないか、捨てるなんて。危うく燃やされるところだったよ』
「しょうがないじゃないー。きもちわるかったんだもん。ゆるしてー」
ばたん、と抱き枕の横に転がると暑くなった頬に当たるベッドがひんやりしていて気持ちがいい。
「んんん、みぃんな、あんたのこと信じてくれないのー。酷いと思わないー?」
『え、喋ったの? っていうか酔ってる? 凄く酔ってる?』
「そおよー悪い?」
ぬいぐるみを持ち上げておもむろに天井まで投げて見た。
『うぶ』
「あははははっ、よく飛んだ!」
落ちてきたぬいぐるみを拾う。
『うう、まぁこういった理不尽も抱き枕の宿命か』
「もー、本当にむっかつくのよー。なんでみんな信じてくれないのかなぁ」
じゅーっとを抱き枕の腕をそれぞれ握ると中の綿が偏って変な形になった。
『まぁ、それはそうでしょう。っていうか僕の腕がへんな形に、方向に!』
「あ、いたい?」
『まったく痛くはない』
「じゃあもっとイってみよう!」
今度は胴体の部分をおもむろに握り雑巾絞りみたいにしてみた。
『いやー! ねじれるー!』
「あはー。綿のせいで180度が限界かー」
『そう言いつつ、360度目指すの止めて! ちぎれるっ、ねじきれちゃう!』
叫ばれるのが楽しくて、ついつい調子に乗ってしまう。
「えへー、ごめんね」
『いいよ、もう。やつ当たられるのもきっと抱き枕の宿命――え、ちょっと待った。顔色がみるみる悪くなってくけど』
「……うぷ」
『せ、洗面所ー! お願い、お願いだから僕の上に吐かないでー!!』
3.抱きしめて眠る
「お姉さん、お姉さん」
目を開けると間の抜けたウサギが私の腕の中でもぞもぞと動いていた。
「お姉さん柔らかいねえ、もっと強く抱きしめて! あと僕の上に頭を載せて!」
「うっ……ぐぅわぁっ!!」
思わず腕の中の物を放り投げた。いつの間に私はこんな気持ちの悪い抱き枕を抱きしめていたのか。自分で自分が信じられない。
「そ、そうだ夢だ。夢に決まってる」
「投げつけるなんてひどい! でももっとしてもいいよ!」
放り投げたウサギがびょんびょんと戻ってきた。なにこれ動いてる。気持ちが悪い。なんで私はこんな気持ち悪い抱き枕を抱きしめて眠っていたのか。うんやっぱり夢だからだ。私がそんなことするわけない。
買ったときは可愛いと思っていたけれど、動いているのを見ると気持ち悪いと言う感情しか湧いてこない。言っていることも気持ち悪い。例え夢でも気持ち悪い。
「近寄らないで!」
「ええ!? そんなひどいこと言わないで。僕のことを抱きしめながら頭で押し潰して!」
「変態……」
ぞぞっと背筋を冷たいものが走る。
「変態じゃないよ、僕は抱き枕だよ。だから抱いて!」
「嫌」
自称抱き枕が近づいてくる分だけ後ずさった。
「動ける抱き枕なんて抱き枕と言わない。なんで動けるようになってるの気持ち悪い」
「とうとう本音でたね! いや薄々わかってたけど自分でもそう思うけど気持ち悪いって言われると正直傷つく!」
「喋って動く抱き枕に絡まれてる私の精神の方が、よっっぽど傷ついてるから」
「そう言わないでよ、あとちょっとなんだって。さっきお姉さんが抱きしめながら眠ってくれたからかなり抱き枕としての本分は果たしたんだよ。でも、頭が乗ってなかったからさぁ。きっと頭さえ載せてくれれば僕は人間に戻れると思うんだよね。そういうわ・け・でっ!」
言うが早いか抱き枕が抱き枕のくせにウサギのごとき跳躍力で私に跳びかかってくる。パニックになりながら逃げまとう私。しかしモコモコした手触りのよい布が私に触れたと思った瞬間――
チュン、チュン、と雀の鳴く声で目が覚めた。
ゆっくり覚醒していく意識の中で自分の体に何かが巻きついていることに気が付く。
がっしりとした、男の腕だ。
「――!?」
ガッと目を見開くと同時に見えたのは骨ばった鎖骨の覗く肌、喉仏、そして寝息をもらす薄い唇。フードからこぼれる金に近い明るい髪色、耳に開けられたピアス、胸元に飾られたシルバーのネックレス。ピンクのパーカーに紫のTシャツ。
誰だこいつ。
茫然としたまま、見ず知らずの男に抱きしめられ、しかもその男の肩に頭を載せているところまで把握した。混乱のままにそうっと体を引き抜こうとした時、背中に回っている腕に力がこもる。
男の口元がにやりと弧を描いた。
「おはよう、お姉さん。抱き枕の抱き心地はどうだった?」