03 常識的な新入生
奥から聞こえるドタバタが止み、ロックが解錠される音とともに顔を覗かせたのは、やはり先程ぶつくさ言っていた少年―――と、青年の境目位だろう―――だった。目を瞬かせる彼に薄っすら微笑んでみせて、ありきたりな挨拶をする。
「初めまして。僕は角部屋の方の隣部屋の住民なんだけど、ちょっと挨拶にと思って」
「あ、あぁ。悪ぃな、気にかけて貰って。俺はソルト・レーニング。ダノター子爵領から来た」
「……そりゃまた住みにくそうな場所に……いや、ごめん。自己紹介が遅れたけど、僕はリーン。リーンフォース・Y・X・ローゼンフォール。因みに養子だから元平民ね。あんま貴族とか庶民とか気にしないでくれた方が嬉しい」
「ローゼンフォール!?」
名前を聞いただけでぎょっとした叫び声を上げられてしまった。ここでも名が通るのか。恐るべしローゼンフォールのフリーダムっぷり。
「え、えぇと……噂ってマジなの?」
「どの噂?城のダンスパーティーにパジャマで行ったアホの事?城下でお湯貰ってカップ麺路上で食べてた浮浪者モドキの事?それとも重病患者なのにアスレチックで遊び過ぎて死にかけた馬鹿領主の事?全部ホントだよ?」
「…………それ全部ホントなのかよ。いや、じゃなくて。歴代此処に入るのが普通ってヤツ」
なんだ、そっちのか。下らない噂(ただし九割五分本当)の数々なんて晒すんじゃ無かった。自分で言ってて気分が落ちた。
「あー、入るのが多いのは事実だよ。今も幼等部に二人、大学院に一人居た筈。やらかして退学処分食らってなければ」
「……学力的にって事か?」
「いや、ローゼンフォールまで地下道掘ろうとした馬鹿を筆頭に、10年に一人位問題行為で停学とか退学とかいう処分受けてるの。だから入ってもちゃんと出てこない人続出してる」
これが本当の‘嘘のような本当の話’である。こんな家でも4000年程前までは王家として名を馳せていた家なんだから世の中ままならない物だ。昔からあんなのなのか、気付いたらああなっていたのか。前者ならさぞ家臣は胃を痛めた事だろう。
僕の伝えた‘真実’に顔を引き攣らせる彼の感性はとても真面なようだ。
「なんつーか、噂に違わない変人っぷりなんだな……良い所だって聞くけど」
「気候と税金と物価は良い方だと思うよ?ただ常識という物が崩れ去る危険性あるけど」
僕は正直ローゼンフォールに居た年数が―――実際領に居たのは合計しても3年無いだろう程に短かったのでどうにかあそこまでの常識外れには浸っていないが、外からローゼンフォール家の仲間入りした方々が次々と違う意味で‘ローゼンフォール家の仲間入り’していく姿は最後の砦が崩れ去った瞬間を彷彿させる。自分もいつかああなるのかという恐怖と共に。
「常識……なんか嫌だな」
「うん、お勧めはしない。観光程度に留めるのが一番幸せだと思うよ―――っと。本題スルーしてた。夕食、よければ一緒に来ない?ダノター辺りじゃまだ無いと思うんだよね、給仕方法的な意味で」
「え、あ、じゃあどうせなら頼む。何か必要なモンとかあるのか?」
「特に無いけど、偶に女子とかが端末持って来て写真とってたりはするかな?持ってく?」
「いや、いい」
革命が終わってから自由を覚えたのか、フリーダムな傾向が強くなってきた。写真を取って日記に貼り付けたりするのが最近の女子の流行だとかで一時期カメラ片手に食事してる人だらけになった程だ。尚、自由と言えばドリンクサーバーの中身全種混ぜてた馬鹿は食堂のおばちゃんに怒られて全部飲み干す羽目になった奴も居るけど、革命前の束縛から比べると決して悪い事では、ない、のか?
「じゃあ行こうか。実は僕も寮が移ったからどうなってるかよく分かんないんだけどね」
ぺろりと舌を出しておどけて見せればパチパチと瞬いて、仕方ないなと言わんばかりの苦笑を浮かべた。
「リーン君、その方が新しい?」
食堂に下りて早々、似たようなタイミングで部屋を出ていたらしいアルがひょっこり顔を覗かせて細い目を少し大きく見開かせた。その手にはいつもと似通った食事の乗ったトレイがあり、形式までは変わっていない事を示していた。
「そ。ダノターから出て来たんだって」
「リーンの友達か?俺はソルト・レーニング、宜しく」
「アルト・ヘルダーリンです。こちらこそお願いします。君の前の部屋に住む事になったので」
「マジでか。悪い、挨拶行けば良かったな」
ソルトとアルト、一文字違いの面白コンビが当たり障りのない会話をしていると、今度はスゥさんとネリアさんが下りて来たらしい。物珍しそうにこちらを眺めている生徒を掻き分けてこちらへ直行してくる。
「新入生君だ~!初めまして~」
「私はコーネリア、こっちはセシリアよ。一応私生徒委員やってるから、分からない事あったらいつでも聞いて頂戴。ただし男子寮の方は分からないけれど」
「あぁ、頼む……?」
一気に人が集まって来て目を白黒させ始めた。多分この学園の‘実績’を考えてガリ勉の集いとでも考えて居たのだろうが、実際は‘馬鹿と天才は紙一重’である。お祭り大好き人間と頭のネジが2、30本外れた連中の溜まり場という表現が正しい。チラリと周りを見ても、インパクトある人物だらけだ。
と、そこで気付いた。そうだ。そろそろ時間が拙い。
「アル、席の確保頼めない?僕等そろそろ食べる物取って来ないと……」
「無くなりそうですね。分かりました、どうぞ行って来て下さい」
笑顔で快諾してくれたので礼を言いつつ全員を促して食料を取りに行く。今日はフォロートの郷土料理が中心のようだ。芋とブルストの種類が凄まじい。デザートにクーヘンが用意されている所を見ると、引っ越し祝いを若干兼ねているのだろうか?
そうして一しきり皿に好きな物を盛り、席に戻るとメイが居た。今日は少し遅かったらしい。
「メイ、取って来たら?」
「おーそうだなー。で、そっちの眼鏡が例の?」
アルが一人で座っていたのを見て僕等が来るまで待っていたようだ。大丈夫だから行くように促すと頷いて立ち上がりつつ、恒例となりつつある質問をぶつけて来た。
「メガ―――ッ!?……ソルト・レーニングだ」
「眼鏡呼び駄目だったか?俺はメイドリヒ・マークィス・フォロート。身分なんて無視してくれて構わねぇからな」
本日二人目の大貴族なネームバリューにビクリと肩を跳ねさせる。外でやったら不敬罪という濡れ衣(に近いもの)と取られそうな態度も取ってしまったから若干瞳の奥に恐怖の色もあった。が、あっさりとメイが許して、何も返さない内に夕飯を取りに行ってしまったの、でソルトは戸惑いを行き場の無い伸ばしかけた手で表す。
「あー、ソルト君?メイ君なら蹴ろうが殴ろうがじゃれる程度なら問題ありませんよ。実際授業中寝ていて先生に叩かれるとかざらにあります」
「一応この学園、身分は一切通用しないっていう事になってるから大丈夫よ。まぁ、リーン君達みたいに割り切れる人とそうじゃない人もいるけど、ね」
でもそういう貴族的なプライドが高い人は、そもそもこの学園に居れる程の才能が無い場合が多いので、逆に此処でそんなのが見れる方が珍しい。が、僕等の代に一人居るのだ。才能ある爵位持ちな高飛車系女子が。彼女には……うん、出来るだけ近づけない様にしよう。クラスが一緒じゃなければそう接点は出来ない筈だ。
「まぁ何かあれば僕かメイが権力とか武力とか行使して押さえてあげるから、そう心配しなくてもいいよ?」
「でしょうね、確か子爵家だったかしら?なら黙らせるなんて余裕でしょ」
「……おれ、お前等との付き合い方考えた方がいい?」
何を言う。権力なんて市民の為に使ってなんぼである。他領のクズのように痛めつけるのが目的で無く、むしろクズの制裁の為に使うのならどこにも問題など無い筈だ。
「あー……リーン君若干思想が過激ですからね。平民時代が丁度革命期直前だったらしくて、色々思う所があるようでして」
「それでよくローゼンフォールの養子になれたな……」
なれた、というか気付いたら、というか。捨て猫拾ってくる勢いで拾われて、犬に餌付けするようにご飯を与えられ、お気に入りのぬいぐるみ宜しく抱っこで移動・就寝である。未だにあの人が僕を拾った後の行動理由が分からない。確かに息子どころか奥さんも居ない人だったけどさ。平民を養子にまでしようってのは当時―――というか今でも異常な考えだ。
「最初は脱走とかも考えたんだけどねー。父さん―――あ、前ローゼンフォール侯爵ね、が、【レアスキル】持ちで逃亡しても即行感知されちゃってズルズルと。ほだされたとも言うけど」
「【レアスキル】?あの魔力が独自の発達した人だけに出る特殊能力ってヤツか?」
「そ。流石に5000万分の1の確立でしか出ない能力者だから、僕も知ってるのはあの人だけだけどねー。あ、【聖痕持ち】除いてだけど。あれ確かレアスキルでも別分類されてたよね?」
【聖痕持ち】というのはこの世界で唯一認められている‘魔力を介さずに能力を使える能力者’の総称だ。その為他の能力とは全く別の分類に分けられている。特徴は身体の何処かに現れる謎の紋様で、神に選ばれた者とか精霊の現身とか、果ては精霊の転生体とかいう学者も居るレベルに解析されていない、摩訶不思議な能力だ。
「【聖痕持ち】ってそれこそ全人類中30ちょいしか確認されてないんだろ?能力の一致的な意味で。時代によって人数もバラバラだし、農村部とか後進国だと確認方法からして大雑把だから全く掴めないっていう」
「ええ……あれは魔力うんすんもさる事ながら、同一の能力が同時期に出る事が決してない事で精霊転生説も解かれていますからね」
「どこまでも分からない能力よねー」
なんて話しながら待っていると、3皿に大盛りにして持ってきたメイが帰ってくる。その姿にソルトがぎょっと目を剥いた。
「悪ぃ、先食べててくれてよかったのに」
「一人後からっていうのも申し訳ないし~?」
「……なんだよその量」
最早見慣れすぎていて総スルーする僕等とは逆に、矢張り外の常識を持った人間だった。3皿大盛りどころか、2皿大盛りでも普通多いだろう。が、怖いところは―――
「え?まだ半分も取って来てねーぜ?」
「それで!?お前の胃袋ブラックホールなのか!?」
「リーン君の横に座るとより一層多さが目立つよね~」
「女子よりも食べないですからね。そしてベジタリアンという」
「仕方ないわよ、リーン君女子だもの」
「ちょっと待て」
言わなくても分かると思うが僕は列記とした男、生物学上雄に属している。
「お前、え、女子?」
「混乱しないで!?男!僕男!!」
「顔が絶望的に女顔の所為で入学当初ちゃん付けで呼ばれてたけどなー」
「余計な事言わんで!あれ本気で傷ついたから!」
どうして僕を女扱いしたがるんだ皆して。何よりソルト信じないでくれ。一瞬本気で信じかけたようで口に運ぼうとしていたパンの欠片がボロリと皿の上に落ちた。
「……男子寮に居ると知っていながら女子と疑われるその顔凄いですね、本当に」
「世の女が羨む顔よね。ちょっとその顔交換しない?」
「ネリアちゃんその発想ちょっと怖いかな~……」
割と本気の目で問われてどうしようかと思ったが、引き攣ったスゥさんの言葉に思いとどまってくれたようだ。ネリアさん本当に発想がえげつない。
「んで、話戻すけど僕が小食なのは認める。理由は食いっぱぐれが多すぎるからもあるけど」
「あぁ……納得した。お前のあの書類の山な」
「下手をすれば休み時間中ですらも捌いてる地獄の紙ね……」
「ローゼンフォールって過労死する人いないんですか?」
「は?」
事情を全く知らないソルトが今日何度目になるか分からない疑問の声を上げたが、それには誰も応えずに視線を逸らして終わらせる。貴族に、否、ローゼンフォールに夢を見てはいけない、と先程若干教えたが、実際のローゼンフォールはさっき言った程度で収まる程の器じゃない。勿論悪い意味で。
「ソルト、君は将来きっと高級官僚にもなれる位の人材に育つと思うけれど、絶対にローゼンフォールが関わる部署だけは入っちゃダメだよ。出来る事ならゼラフィードかフォロート管轄が望ましいね。軍属になるなら空軍は止めた方がいい。あそこに今ローゼンフォールの嫡子が居るから、運が悪ければ配属される」
「おいお前実家に何の恨みがあるんだ!?どんだけローゼンフォールの人間が嫌いなんだよ!」
その絶叫には他の席で食べていた人達も振り返ったが、その幾人か、具体的には僕のクラスメイトになった事のある人たちを中心に生暖かい目で彼を眺めていた。
因みに僕等の席の全員も同じ顔をしている。それを知りつつ、僕は、ふ、と乾いた笑みを浮かべてみせた。
「嫌い?やだなぁ嫌いじゃないよ……迷惑極まりないけど」
その一言で、その場の空気が同情一色になった。