16 遠き憧れ
カチャ、と手の中のソレが爪に当たって自らの主張をした。その音に意識を浮上させ、今自分が何をしていたのかを思い出す。一つ頭を振って上を見上げれば、空高くに細い月が静かに佇んでいるようだった。王都郊外にあるこの学園は、様々な施設の灯りが明るすぎて夜闇の中の星が良く見えない。その見えない事が幸せで、一つ息を吐きだした。
「……さて、やらないと」
ずっと握っていた所為で温いアーセナルに設定された量の魔力を流し込めば、杖の形を象る。何一つ切り裂けないただの棒が、まるで王自らに「そう」であるように求められた僕の姿のようで、ふ、と自嘲が漏れた。戦いは求められず、権威の象徴として王と共に在り、時に王の盾となる者。名目だけは格好いいが、実態は【レガリア】の中でも特に役に立たないただの棒切れだ。王の剣には為り得ない、見てくれだけのお飾り。
だがお飾りにも一応仕事はあるのだから、それは絶対に熟さなければならない。
『fluctuat nec mergitur(たゆたえど沈まず) gloria concordia(栄光ある調和を此処に) clarus cantus(清澄なる歌を響かせよ)』
もう何百回と唱えたかも分からない程馴染んだ呪文を詠う様に口に出し、空を見据える。空の向こうには本当に実力のある人しか気付かない程の膜があり、それが月を僅かに濁らせているようだった。微かに魔力を帯び発光する杖の光が月の代わりに自己主張しているようだ。
『gloria(栄光あれ) arcanum(神秘あれ) virtus(勇気あれ) persona non grata(招かざる者を排除せよ) xeno mors(異端を死へ導け)』
ごっそりと、身の内から削られるように魔力が吸い尽くされる。その過激さに奥歯を噛み締めて堪え、ただただ力を杖へと注ぎ続けた。春の冷たい風が魔力に触発されて不規則に揺れ出した頃、深く息を吐きだして再度空を見上げた。深い闇は、微かに青が混じっていて、それが心を落ち着かせてくれた。
僅かに薙いだ心のまま、祈るように最終詠唱を唱えた。
『ventus moenium(風よ、守れ)』
術が完成した事で杖が魔力を吸収する事を止め、光も収まる。ぐらり、大きく揺れる身体を如何にか立て直して、息を整えようと試みた。深呼吸してすっかり息を吐きだす頃に、空っぽに近いほど減ってしまった魔力を回復させろと訴えるように頭痛が襲ってきて、じわりと脂汗が浮かぶ。この術は本当に無駄に負担がかかる、と内心悪態をつきながら瞬きして意識を切り替えた。
「……かえら、ないと」
敢えて呟く事で自分を奮い立たせ、よろよろと部屋への帰途を辿る。ふと寮の方を見ると、最上階の一室だけ光々とした灯りがついているようで、その眩しさと痛みに目を細めた。
◆ ◆ ◆
五月。入学から一月経てば大体の事には皆慣れる。穏やかな気候に恵まれるヴィレットでは授業中うつらうつらと船を漕ぐ生徒がメイだけでなく出没し、その度に教師一同からの有り難い指導が入っているのはご愛嬌として、これだけの時間が経てば外部生一同(今期中等部の外部生はソルト含め10人しか居ない)も違和感なく溶け込んでいた。
「おいメイ、お前早寝早起きなじーちゃん生活してたよな?何で隈出来てんだよ」
ソルトも僕等の生活時間をすっかり把握して、だがそれ故に今回の異常事態に気付いたようだ。10時には寝て5時には起きる、というのを何年も繰り返しているメイとは無縁な物が目の下に薄っすらとだが蔓延っていて、思わず僕も二度見した程だ。
「あー、何でって寝れなかったからだよ悪いか」
「悪いっていうか……珍しいっていうか……」
「気味悪いかな~」
ぐっさりとスゥさんが本音を暴露すれば、全員がその場のノリで一斉に頷く。それ程までに僕等にとっては有り得ない事なのだ。
「ぐ……まぁ確かに滅多に無いけどその言い方は無いだろ?」
「悪かったって。で、どうしたの?真面目に」
「……しいて言うなら貴族的なあれやこれやの知らせで気が滅入った」
それ以上言う気は無いらしく、重苦しい溜息をついて机に突っ伏してしまった。あぁこれは重傷だ、と思う反面、口出しは出来ないな、とも悟る。幾ら僕がローゼンフォールの人間だとは言え、貴族間の問題、ましては他家の事に顔を突っ込んだら逆に問題を広げてしまう。こういう時は僕等は自分で解決するしかないのだ。
「成程ね、詳しくは分かんないけどお疲れ様?」
「おー……つか、お前は平気なのか?」
僅かに顔を上げて、新緑の瞳で僕の片目を見つめて来た。言っている意味が解らなくて、は?と疑問を表に出すと、逡巡したような顔をしてから、改めて僕を見る。
「具合、悪くねーの?いつもより動き鈍いぞ、お前」
「おうふ、気付かれてたか……」
流石武術に長けたメイである。今までも何度かこういう事があったが、何故彼はあの出鱈目な魔力をごっそり消費した次の日に、そのことにちゃんと気付くのだろう。野生の勘か。貴族相手には失礼かもしれないが、そうとしか考えられなくて若干申し訳無くなる。そうだよな、よく考えなくても僕と違って正真正銘直系貴族のお坊ちゃんの筈なんだよな、多分。
「え、リーン君また体調崩してるんですか!?」
「言われても全く分かんないってどういう事よ……」
「寝て無くて大丈夫なの~」
「あぁうん。昨日ちょっと魔力使いすぎただけだから。まぁ今日一日あれば回復するでしょ」
その言葉になんだ、ならいいんだが、とソルトが声を和らげてくれた一方、皆より少しだけ後ろに立っているアルが有り得ない物を見る目で僕を凝視していた。パクパクと開く口は言葉こそ無い物の「魔力の使い過ぎとか嘘でしょう!?」と訴えているようだ。それに対して今は目で咎めて、改めてメイの方を向き直る。アルは納得してくれたのか、驚きを表に出す事は止めてくれた。
「メイ、僕等に出来る事なら言って。息抜き位なら手伝えるから」
「おー、Danke」
お国の言葉が出るとは本当に重傷だ。ヴィレットは元が統一国家な事もあり、地方によって言葉が違う。統一されたの千年単位の過去の話なのでヴィレット語が公用語として使われても全く問題ない状態だが、地方の言葉も消えてはおらず、地方では独自の言葉もごっちゃになって使われている。
かく言う僕も家に帰ればローゼンフォール語とヴィレット語を交えて会話している程である。が、此処はヴィレットの首都な訳で、更に様々な地方から皆出て来ているから滅多な事が無い限りはヴィレット語しか話さない。無意識に出て首を傾げられる事もままあるが、皆そんなものだから気にもしていないし。
「ところでリーン君、貴方のその魔力量ギリギリまで使ったって、いったい昨日何やってたの?」
「ん、それこそメイじゃないけどしいて言うなら貴族的なあれやこれやの問題かな」
貴族的というか、国王的と言った方が正しいかもしれないが、この位は濁させてほしい。馬鹿正直に任務やってましたとか報告する訳にもいかないし、守秘義務が働いてる部分もあるからどう問われても詳しくは堪えられないのだ。
「お前もか。何、お前等もしかして一緒の問題じゃ無いだろうな?」
「あはは、まさか。僕のは絶対メイとは別口だよ。断言できるね」
はっきりと否定すると腑に落ちないような表情で全員が顔を見合わせる。それに対しメイにでしょ?と聞いてみると戸惑ったように肯定が返って来た。
「オレの方はなんつーか……契約不履行みたいな状況に陥っただけだし。あ、でも元々一方的な契約だったから、不履行っつーのもおかしいのか?」
「よく分かりませんが、貴族も大変ですね」
「まぁ直系嫡男以外はそんなに苦労はしないと思うけどな。リーンはローゼンフォールだから忙しくても無理ないけど」
ローゼンフォールの名前に騙されているようだが、実際子供までこき使うほど忙しい家では無い。観光業が主なので子供受けするものを探るためたまに小さな子にアンケートもどきを取る事はあっても、僕のように書類仕事までやっている未成年は嫡子の一人位だ。それを伝えたらさらに僕の立場が怪しくなるから口には出さないが、少々申し訳なさが募る。
「それに今回は、正直オレの自業自得だし……」
「もしかして柄にも無く自分責めてる?」
「悪かったな、柄じゃ無くて」
拗ねたように顔を逸らした様子は男がやっても全く可愛くない。が、今までに無い落ち込み具合は本気で心配になる。ポジティブ人間のメイがネガティブになる事情なんて、僕には到底想像付かない。例えテストで赤点を取ってもヘラヘラしては先生に殴られているのに、今のこの状態はどれだけ堪える事があったのだろうか。想像もつかなくてじっと見つめていると、居心地が悪そうに視線が顔を埋めている腕の中へと落ちた。
「なんつーか……オレが剣やってる理由若干否定されたんだよ」
「は?」
「否定――って、まずメイ君剣やってるのって軍入りたいからと、家がそういう家だからじゃないの~?」
「それもあるけど、あくまでそっちは手段だしな。元々オレの剣は、あー……忠誠心みたいなモン?だし」
「三大貴族が誰かに忠誠!?え、それ俺等が聞いてよかったのかよ」
「オフレコで頼む。広まるのはかなり拙いし」
唐突な暴露に目を白黒させていると、苦笑交じりにしっかりと釘を刺された。そりゃまぁ、三大貴族が誰かへ忠誠を捧げるなんてスキャンダルに近いだろう。しかも直系子息が。相手の身分にもよるが、この説明では王レベルでは無さそうな気もする。
「で、否定されたというのはどういう事です?」
「護りたくてずっと剣やってるのに、オレはその人に負けっぱなしで、護られっぱなしなんだよ。向こうのが身分高いし、オレのが実力も足りて無いのは分かってるけど、流石に見せつけられると色々クる」
「あ、身分は高いんですね……」
そこにほっとしつつも、本気で誰だろうかと思考を巡らせる。エンスとメイが知り合いとは聞いた事が無いし、軍上層部の人間も大凡そんな忠誠誓われるような人とは思えない。本当に、誰だろうか。いや、余計な詮索は野暮か。そう思い直して僕は本気で落ち込んでいるメイの前に回る。しゃがんで机の上に顎を乗せ、目線が同じになったところで柔らかい表情を作ってみせた。
「でもさ、僕だったら嬉しいと思うよ。護りたいって言われた事そのものに。実力足りないとか、護られてる側が違うとか問題は色々あるかもしれないけど、そうやって慕われたら悪い気はしないよね、普通」
「……そういうモンか?」
「そういうモンだよ。ま、あとはメイの努力次第でしょ。今実力が足りないなら、いつか追いつけば良いだけ。……追い越されたら流石に矜持が傷つく可能性もあるけど、そこは折り合いつけて?」
多分僕なら微妙な心境にはなるだろう。なまじ自分が強い自覚があるだけに(何せ魔力がコレである)他人に追い越されるという経験をした事が無い。剣は得意でないからメイにも劣るが、全体的に見たら僕の方が防御力的な意味で確実に勝てるに違いない。だからこそ分かる、追い掛けて来る人がいる愉悦と、追い越された時を考えると浮かぶ戸惑いが。
「……お前がそう言うなら、そうか。おう、分かった。要は強くなるのが最優先だな」
「そうそう。否定されたとかは、本当に強くなってから考える事だよ。目指せ将校ってね。まさか無理だなんて言わないでしょ?」
「おう!絶対なってやるよ!」
「そうそうその意気。On ne fait pas d'omelette sans casser des oeufs、だよ」
挑戦的な言葉で煽れば単純なメイはすぐに復活した。目に光が戻り、やる気に満ちた様子に周りがホッと息をつく。この明るさが無ければメイでは無い。皆で顔を合わせて笑って、そろそろ授業が始まるかな、と移動しようとした瞬間におどろおどろしい声が降って来た。
「……それならばフォロート、まずは学力を如何にかしたらどうだ?」
低い声で、いつの間にか後ろに立っていた担任教諭がはっきりと言った。その声は不機嫌だと全力で主張していて、こっちまで背筋が凍るようだった。
「ローゼンフォールが言った‘卵を割らずにオムレツは作れない’という諺には同感するが、コイツはそもそも‘学力’と言う名の卵を割る気が無い所が問題だとは思わないか?」
「そ……そうですね……」
「というか先生ローゼンフォール語分かるんですね……」
ヴィレット語圏出身のネリアさんとフォロート語圏出身のアルにはさっきの諺は理解されていなかったらしい。こう考えるとフォロート・ヴィレット・ローゼンフォール語が分かるメイはこの事に関しては博識である。よりにもよってテストに出ないものばかりが得意なのは如何な物なのか。
「あぁ、ヴィレット国内の言語は大凡修得している。それよりもそこの馬鹿、そろそろ授業の準備をしろ。寝たらチョークを投げてやるから覚悟しておけ」
言いたいことだけ言って教壇の方へ戻っていった先生は、正直何がしたかったのだろう。最近寝すぎなメイへの通告だろうか。今日位は寝かせてやっても……と思ったのは飲み込んでおいた。今日位、というか今日も、だという事実を思い出したからだ。
「取り敢えずメイ君、お勉強頑張れ~」
「……わりぃ、やっぱ無理」
再び机に突っ伏してしまったその姿に、思わず笑い声が漏れた。




