[第74話] 心がける
古舟物産の課長、底板抜雄は失敗をよくする男だった。いつも何かが脱落しているのだ。自分ではすべてが整ったと思っていても、他人から見れば何かが一つ足りなかった。
つい一週間前にも、こんなことがあった。
「すまんね、底板君。ひとつよろしく頼むよ!」
今年、執行役員に昇格した古舟物産の屋形が底板に頼み込んだ。明日、間にあわなければ、間にあわせます! と上役に胸を叩いた屋形のメンツは丸つぶれになるのだ。
「ああ、それはお任せ下さい。ちゃんと明日には都合をつけますので…」
「ははは…いや、助かる助かる…」
翌日、屋形は、ちっとも助かっていなかった。数量がひと桁違ったのである。発注数は一万個ではなく、十万個だった。メンツをつぶされた屋形はそれ以降、今朝まで底板と口を利いていない。その屋形と底板がどういう弾みか今朝、会社の玄関でバッタリと鉢合わせてしまった。双方とも別に喧嘩している訳ではない。同じ会社の人間である以上、挨拶しない訳にはいかなかった。
「おはようございます…」
底板がやや深めに頭を下げお辞儀した。その言葉の奥には、『先だっては、どうもすみません。二度と、ああいうミスを犯さないよう心がけます…』という文言が秘められていた。そうなのだ。事あるごとに失敗をよくする底板は心がけることにしたのである。言うまでもなくそれは、すべての物事に注意を心がける・・というものだった。
「おっ! おお…おはよう」
罰が悪そうに屋形も言葉を底板へ返した。その言葉の裏には、『まあ、ミスは仕方ないが、十分、注意しなさい。まあ、君には頼まんが…』という文言が秘められていた。そうなのだ。完全にメンツをつぶされた屋形は心がけることにしたのである。言うまでもなくそれは、今後、底板には頼まないよう心がける・・というものだった。
THE END




