[第29話] 満員電車
鴨田葱夫は今朝も通勤電車に揺られていた。かれこれ20年は、しっかりと揺られ続けている。彼ほどになれば、立って寝ることなど朝飯前だった。最近、ふと車内で目覚めたときなど、人は立って眠れるものか…と、自分の能力に驚いたほどだった。そんな鴨田だったが、今朝は、のっぴきから前の客が降り、久しぶりに座ることが出来るという運のよさを得た。立ったまま小1時間、揺られるのと、座って揺られているのとでは、疲れに雲泥の差が出る。そんな座席に座った鴨田だったが、今朝も立ったときと同様、いつしかウトウトしていた。フッ! と目覚め、気づけば3駅ほど先まで乗り越しているではないか。鴨田は慌てて唐突に立ち上がった。
「す、すみません! お、降りますので…」
鴨田は前で立つ乗客にそう言って席を譲ると、人を掻き分けながら乗降ドアへ急いだ。
ようやく会社へ着いたとき、鴨田は、すでに遅刻していた。
「あれっ? 課長じゃないですかっ! 珍しいな…遅刻ですか? 休まれるのかと思ってましたよ…」
係長の鍋山が怪訝な面持ちで鴨田の顔を窺った。まさか電車の一件を部下には言えない。
「ははは…ついね。俺も焼きが回った!」
快活に笑いながら暈し、鴨田は方便を使った。閻魔さまにコンニャク詣でするほど嘘が嫌いで裏表がない鴨田だったが、ここは致し方なし! と内心で結論した。
一日が終わり、鴨田は帰りの電車に乗っていた。帰りも混んでいて満員だった。よくよく考えれば、鴨田が乗るのはいつも満員電車で、その中で立っていたのである。
鴨田は疲れからか、いつしかウトウトと微睡んでいた。だが、微睡んでいても立っている安心感が鴨田にはあった。事実、ハッ! と目覚めたとき、降りる駅ホームが目の前に流れていた。
「白滝~~」
鴨田は寸分の狂いもなく、電車を降りた。改札口へ歩きながら、俺は座れん座れん…と、鴨田は何かにとり憑かれたように、心で叫んでいた。
鴨田が駅を出たとき、いつも見る小料理屋、味良の美味そうな鴨鍋の看板が目に入った。 危ない危ない…と、鴨田は危うく鴨葱になるところだった自分を戒め、ニヤリとした。
THE END




