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[第26話] 居酢屋(いずや)

 田坂源吾は仕事を終え、よく寄る場末の居酒屋・魚飛うおとびの入り戸を開けた。

 馴染なじみ客と見え、魚飛の主人、竿田さおたは、田坂が戸を閉めた瞬間、手馴れた仕草でキープしてある田坂の一升瓶を手にした。

「いつものですね…」

 竿田の言葉に田坂は軽く無言でうなずいた。それを見て、竿田は瓶のせんを抜くと長コップに液体を注ぎ入れた。そして、これも手馴れた要領で氷の幾つかを放り込んだあと、少しの冷水で割った。一連の所作は実に優雅で早く、田坂が腰を下ろしたカウンター席の前へゆっくりと差し出して置いた。長コップの中味は薄黒い液体の黒酢だった。黒酢の水割りである。田坂は意識せず、さも当たり前風に手にすると、三分の一ほどをグビグビ…っと一気いっきに飲み干した。そして、フゥ~~! とひと息、きながら満足げな顔をした。これが、いつも繰り広げられる田坂の魚飛での幕開けだった。そうこうするうちに、竿田により小奇麗こぎれいに盛り付けられた美味うまそうな小皿の突き出しを竿田が出す。箸は竿田がこだわって入手した割りばしである。間伐材を利用して知人が作った野趣あふれる割り箸だ。使用後の割り箸は、山で木灰としてリサイクルされ、樹木の肥料となる。唯一ゆいいつ、田坂が口にする酒的なものは、このアルコール消毒された割り箸くらいで、田坂は一滴いってきも酒を口にしたことはなかった。もっぱら、黒酢の水割りやお湯割りに田坂は満足感を覚えた。二杯が限度だったが、酔いもなく、完全な薬膳だった。何を隠そう、居酒屋・魚飛は、酢通すつうが満足感を味わう異色の居酢屋いずや・魚飛だったのである。 


                     THE END

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