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駅前留学MOVA  作者: 紅葉
第二章 モルバニアへ…
8/22

第七話 旅立ちの雨は冷たい

 出発は早ければ早いほどいいとレヴィンに言われた柚希はせめて旅行に行くときぐらいの身辺整理をしたいと言った。話し合いの末、結局翌日の夕方に出発することになる。

 どのくらい仕事を休めばいいのか柚希には検討もつかない。とりあえず職場には海外にひとりで住む叔母さんが倒れたので柚希が当面介護に行かなくてはいけなくなったと、むちゃくちゃな理由で休職を申し出た。急な申し出にも構わず社長を含め、職場のおじさんたちは柚希の境遇を同情して快く送り出してくれ、柚希の心をちくりとさいなんだ。

 だがしかし、「向こうでいい男でも掴まえておいでよ」の励ましは余計だったと思う。善良で優しい心に触れて柚希は思わず涙ぐんだ。


 アパートに戻り、丈夫な帆布のリュックサックに少しの着替えと洗面用品、筆記用具と携帯食を詰めて、幾ばくかの現金を財布に入れた。もともとそんなに入っていない冷蔵庫を空にし、長期の留守を大家さんに挨拶する。それで準備は全て済んでしまった。

 もともとあまり頻繁に連絡を取らない両親にはどうしようかと少し考え、最後に声だけを聞こうと電話をしてみた。夜は勤めている柚希から昼間にパート勤めしている母へ連絡することはまずなく、驚きながらも嬉しそうな母の声に柚希は思わず涙ぐんでしまい、それを気取られまいと苦労した。


 そしてその夜、柚希はお気に入りの胴長うさたんの抱き枕に手足を巻き付けながら、眠れぬ夜を過ごしたのだった。








 翌日の夕方、柚希はここ数週間通いつめたMOVAにいつものようにいた。生徒カードを端末機に差し込み、受講予約を確認する。いつもと違うのは柚希の手に大きなリュックサックがあるということだった。


「お待たせしました。美森さんは三番レッスン室ですよ」


 すっかり顔なじみになった受付の女性が、間違えることなく柚希を見てにこやかに声をかけた。

 それもいつもと変わらない。


「美森さん頑張っておられますね。チケットが今日のレッスンでなくなりますど、お帰りの時に月謝制の説明をさせて頂きたいんですが、お時間大丈夫ですか?」


 カモな……いや、熱心な生徒に向けての営業なのだろう。オレンジの髪の女性は、柚希が明日も来るのだと疑っていない。レヴィンは、柚希が今から異次元に旅立つことを受付の女性に知らせていないことがわかった。

 メイリーンは知っているのだろうか。

 柚希はあのときの興味深げなメイリーンの視線を思い出し、知っているのだろうなと考えた。


 それにしても。

 ここは一体なんなのだろう。

 一見普通の英会話教室でしかない。

 しかし実はモルバニア語などという異世界の言語を教えていたり、就職支援だと言って異世界に人を送り込んでいたりする。今までに何人の日本人を送り込んで来たのか。

 受付のオレンジの髪の女性も、メイリーンも、レヴィンも顔立ちが似ている。

 もしかするともしかして、ここで働いている人達は皆モルバニア人なのだろうか。

 そして今、受講している人の中でどれくらいの数が、モルバニア語をこっそりと受講しているのだろうか。

 レヴィンはミオが帰れないと言っていたが、今まで就職支援で次元を渡っていった人達は、盆と正月くらいは帰って来ているんだろうか。

 今、ここにこうしていることさえレヴィンの巧妙なシャレだったりして……。

 もしかすると「じゃじゃ~ん」ってドッキリ看板持った美桜と最上さんとレヴィンがタイミングを見計らって出て来るのではないかと柚希は期待した。


 そんな期待も虚しく、不思議そうに声をかける受付の女性の声で柚希の思考は現実に引き戻された。

 


「美森さん?」

「あ、すみません。チケットの件ですよね。あー、もう少し考えます。いってきます」

「はーい、いってらっしゃいませ」


 受付の女性に見送られて、いつもの三番レッスン室へと向かった。



 レッスン室に入るやいなや、レヴィンは柚希を一瞥して言った。


「その格好はなんだ?」


 柚希は自分の姿を改めて見た。

 

「そんなにおかしいですか?」


 モルバニアがどんなところかは知らないが、強制か合意かはともかく日本の若者を就職支援と称して連れて行っているのであれば、そこはきっと未開……いや、発展途上なのだろうと柚希は判断した。

 だからこそのネル生地の長袖シャツ、長ズボン、スニーカーにコートのチョイスなのだが。


「これじゃ、異世界人だと宣伝しているようなものだ」


 呆れたようにレヴィンがため息を漏らすが、柚希だって黙っていられない。


「記憶違いなら申し訳ないのですが、モルバニアのファッションについてレクチャーされたことがありましたっけ?」

「ああ、いや。気が回らなかったこちらの失態だな」


 レヴィンはレッスン室を出ると、しばらくして手に布を抱えて戻ってきた。

 柚希に手渡されたその布を広げてみると、薄茶色のマント、生成りのシャツ、焦げ茶色のズボンだった。


「地味……」


 本人もおしゃれ女子とはいえないが、さすがの柚希もこんな地味な色合いの質素かつ簡素な服は選んだことがない。第一、春も程遠いこの季節にこれでは凍えてしまう。そもそもシマウマのシャツや豹柄のスパッツは買えても、こんな服はどこを探しても売っていないだろう。


「文句言うな。制服支給だと思ってこれを着ろ。……ああ、チョーカーはちゃんと着けているな」


 レヴィンの指先が鎖骨の上で光っている水晶に触れて、柚希は柄になく動揺した。決してレヴィンの綺麗すぎる顔がいつものテーブル一個分より近づいたからとか、いい匂いがしたからとか、キスされるかと思ったからとかではない。ただ驚いただけだと柚希は自らに言い訳をする。


「それに着替えたら出発するぞ」


 そう言い残して、レヴィンは再びレッスン室を出た。


「え……ここで着替えろって事?」


 生成りのシャツは大きく、だぼっとした感じが否めない。ズボンは裾を何度も折り返した。マントを着たことがないので少しもたついたが、思ったよりは肌触りがよくしっかりした毛織物で出来ているのだと気づいた。


.:*:・'°☆.:*:・'°☆.:*:・'°☆


 柚希が支給された服に着替えると、タイミングを見ていたかのようにレヴィンはレッスン室へと戻ってきた。


「準備はいいか?」


 柚希は返事の代わりにこくんと頷いた。

 レヴィンが何やら小さな声で呟く。それは柚希が今まで聞いたことのない言語だった。にわか仕込みとはいえモルバニア語でないことも分かる。それはまるで歌のようにも聞こえた。

 

「思念波で通信を送る。そちらが通信できそうな時はその水晶を握り心の中で話せばいい。それと……少しだがこれを渡しておく」

「なに?」


 手渡された袋を開けてみれば、金属を丸く打ち抜いて刻印をいれただけの貨幣が出てきた。

 百円玉くらいの大きさの銀色のもの、一円玉くらいの銅色のもの。そして四角くて薄べったい銀色のものも含まれている。


「一ガムは百イム。一イムは百ドムだ」


 そういって最後のレッスンをするレヴィンの指が、柚希の手のひらの上の貨幣をつつく。

 四角くい貨幣が《ガム》というのが、柚希には何故かおかしかった。それは柚希がとっさに紙に包まれた板ガムを連想したからだった。

 色こそは日本のものと反対とはいえ、大体理解できる。問題は一ドムでいくらの買い物が出来て、これだけでいつまで生活できるのかということだが……。

 柚希は思わず顔をしかめた。


「レヴィンにこんなの貰う理由が無いんだけど」


 お金のトラブルに関しては柚希は敏感だった。宝くじが当たったとたん親戚が増えただの、金の切れ目が縁の切れ目だの、どんな人生を送ってきたのかは詳しく話してくれないが、柚希は死んだ祖母に耳にタコができるほど言い聞かせられてきたからだ。

 両替してもらうならともかく、と警戒心を顕にする。

 それを見たレヴィンはフッと微笑んだ。


「賢明だな。だが、金が無くては宿どころか食べ物にもありつけないぞ」


 優しげな目をしておきながら、どこか楽しげに意地悪くレヴィンは柚希に言った。それはもっともだと柚希も思う。だいたいあちらの世界で、こっちのお金が両替できるかも分からない。

 柚希はリュックサックから財布を出すと、レヴィンの手から皮袋を受け取り、その代わりに自分の財布を押し付けた。

 レヴィンは少し驚いた顔をしたが、すぐにたまらないといった風に笑い出した。レヴィンのそんな様子を見るのは初めてで柚希は呆気にとられた。



 レヴィンがレッスン室の扉を開けると、扉の向こうは森が見える。

 驚いてレヴィンを見れば、レヴィンは僅かに頷いた。そこがモルバニアなのだろう。

 柚希が一歩外へ足を踏み出すと巨石群が柚希を迎えた。

 さらさらと柔らかい雨が降っており、石が艶やかに濡れている。


 モルバニアへと入っていく柚希の後ろ姿をレヴィンがどんな目で見ていたか、柚希は気付きようがなかった。


「健闘を祈る」


 レヴィンの声に柚希が振り返ると、扉のあった場所にはもう何もない。四方は森に囲まれていた。

 巨石群の真ん中にはぽっかりと土の見える場所があり、その中央に黒々とした消し炭が足で土に擦り付けたように散らした痕がある。


「誰かがここで火を燃やした?」


 集落が近くにあるのかもしれない

 柚希はそう考え、森の中へ踏み入った。


 空は鈍色に曇り、太陽の光は弱い。。

 木々が傘の代わりに柚希から雨を遮ってくれる。

 苔むした巨木は倒れ、森はしいんと静かだ。


 柚希は湿った前髪を掻き上げ、マントの雫を払った。その時、傘の類いを持ってこなかったことに柚希は気付いた。

 どこに向かえば良いのかさえ分からないまま、柚希は薄暗い森を前だけを見て進んでいった。







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