幕間:そのころの最上さん…
モルバニア編が始まるまえに、気になるアノ人をクローズアップ。
「痛っ……」
どのくらい気を失っていたのか。
頬をくすぐる柔らかい葉先。皮膚の上を撫でる風。
まだズキズキとする身体をゆっくりと起こして、最上光は辺りを見回した。
「ここは……」
何かの呪術に使われるような、大きな石の柱が円を描くように配置されている。雨風に晒されところどころ苔むしたその石の柱には、英語ではない言語で何かが彫ってある。アルファベットではない。例えればヒエログリフのような象形文字に近い。
石柱が円を描いている場所は下生えがあるぐらいだが、一番大きな……そう、石で作った鳥居のようなものの向こうは、鬱蒼とした森があった。
明らかに何らかの意図をもって人為的に作られたこの建築物は、森に囲まれている。
そしてその真ん中で最上は寝ていた。
「クソッ……!」
持ち物は何も奪われていないことに安堵したが、携帯の電波は届いていない。尤も危険な任務の多い最上は、必要な時以外は、普段から携帯電話の電源はあまり入れられていなかった。
奪われても何も情報を取られないように、通信記録はおろかアドレスさえ登録していない、ただの通信機器。
そんなものでも、誰かと連絡を取りたいときには電源を入れる。だが、今は無用の長物でしかなかった。
石の影でおおよその時間は分かる。もうすぐ日が暮れる。
あの時……最上は記憶を数日前に戻した。
囮捜査。それは、麻薬取締官と麻薬取締員にのみ許された捜査。
もちろんこの囮というのは、自らが囮となり組織に紛れ、薬物や取引の証拠を掴むためのものだ。
数週間前、片岡美桜の友人である美森柚希と手を組んだが、あれは美桜を探そうとしている柚希が危ないことに首をつっこまないように、無関係と思われる英会話教室に目を向けさせるだけのつもりだった。
だが、万が一と最上も件の英会話教室を調査していたところ不審な点が浮かび上がった。
それは本来の最上の仕事ではないが、この英会話教室に通っていた生徒の数人が行方不明になっているというものだった。
自らで身辺を整理し、自らの意思で失踪したとしか言いようのない人もいれば、今回の片岡美桜のように突然いなくなった人もいる。
彼らに共通しているものは、例の英会話教室の生徒だったという点と、なんらかの技術者や専門家ということだった。
「一級建築士、エステティシャン、大工、栄養士にキノコ採り名人、大根農家の跡取り息子、……それに薬剤師のタマゴ」
結びつくようで、結びつかないこれらの職業。
あの英会話教室になにかあるのかと、さらに探りを入れようとした矢先に暴漢に襲われた。
気配を全く消したその相手は、格闘技で鍛えた最上を一瞬で気を失わせた。
しくじった……。
どこかの組織の拷問か、それともコンクリート詰めの未来が待っているのかもしれない。
そう最上が覚悟していたにも関わらず、森の中への放置とは。監視もなにも付いている風でもない。
これは警告か? それとも何かの意図が?
美森柚希は無事だろうか。
そういえば連絡はあれから一度も取っていない。
着信履歴を問い合わせようにも、ここでは何もできない。
最上はふぅと空に向かって息を吐いた。まるで胸の中の不穏な想いを吐き出すかのように。
「何にしてもまずは、獣避けの火でも焚くか。あとは水と食い物も見つけたいよなぁ」
最上は立ち上がり、その石の鳥居から森へ入ると、慣れたように枯れた枝を集めはじめた。