第六話 協力関係
「さて、まずは約束通りユズキの質問を受け付けるよ。何が聞きたい? ガリレオーンに誓って嘘は言わない」
レヴィンは柚希にモルバニア語のレッスンの修了を告げた後、長い指を組んだ手を机に乗せながらそう言った。
レヴィンの長い指にはいつも違和感を感じて見ていたゴツイ指輪がいつものようにはめられている。そこには例の嘴付きのライオンが彫り込まれていた。
MOVA公式グッズなのだろうかと柚希は特に引っ掛かりもせずにいつものように流した。
「ミオは……どこにいるんですか」
レヴィンは目を伏せて微笑んだ。発せられた言葉は、柚希を失望させるに充分だった。
「ミオがどこにいるのかは分からない」
「分からないって!」
柚希は叫びながらガタンと音を立てて立ち上がった。これまで瞬間湯沸し器などと言われたことはなかったが、あまりにも柚希の期待を裏切る返事だっただけに限界点が来たようだった。
それでもレヴィンは表情ひとつ変えず微かに微笑んだまま、まぶたを持ち上げ視線を柚希に合わせた。
「言えることはひとつ。ミオはモルバニア王国のどこかにいる」
「そんな曖昧な! だいたいモルバニア王国ってどこなんですか! そんな国、聞いたことないんですが!」
「そりゃそうだろう。君たちには知らされていない場所、モルバニア王国があるのは次元を越えた別の世界だ」
「はあっ? もう馬鹿にしないで! 異次元なんて、そんなのあるわけないでしょう!」
何も根拠はなかったけれど、美桜に続く道はこれだけだと、レヴィンを信じて訳の分からない言葉を必死になって練習してきた。
真剣に友人を思い、現状に焦れながらも我慢してきたのにこの仕打ちか。
カアッと頬が朱に染まり、柚希の右手がレヴィンの頬に向かってスイングする。
だがしかし、その手はレヴィンの頬に当たることなく止まった。レヴィンが柚希の手首を握り止めたからである。
「短気だな、ユズキは。座りなさい」
「……!」
避けるでなく受け止めるとは。しかも、一切の動揺もなく、まるで柚希の行動が予め分かっていたような余裕ぶりだ。
柚希が今まで柔道で試合してきた相手には 、超高校級の選手もいた。そういう相手は組む前から気迫や眼力が違う。そういう場数を踏んできたからこそ柚希は分かる。レヴィンからはルールに則ったスポーツマンとは違う迫力を感じた。歴然とした力の差は、男女の比だけのものではない。柚希は本能でレヴィンを敵に回してはいけなかったのだと悟る。
小さい子どもをたしなめるような言葉使いに、柚希は凍り付いたまま動けなかった。
柚希に攻撃する意志がないのを感じ、レヴィンは柚希の手をゆっくり離した。
「ガリレオーンに誓って嘘は言わないと言っただろう?」
「……何よ、そのガリレオーンって」
レヴィンの目線が、ピンクの嘴付きライオンのヌイグルミに向けられた。少しふて腐れた様子の柚希がレヴィンの視線を追う。
「モルバニア王国の聖獣にして王家の紋章にもなっている。鋭い瞳と爪は強さの象徴、人語を操り人を正しい道へと導くと謂われて……なんだ?」
明らかに怪訝な顔をしていたのだろう、レヴィンは柚希の顔を見て心外そうに眉をひそめた。
「本当にそれ……その次元を越えたモルバニアとか言うところにいるの?」
柚希の言葉にレヴィンは呆れたように言葉を返した。
「ガリレオーンはさっきも言ったが聖獣だ。伝説の生き物だ。こっちにもいるだろう? 現実にはいないと理解していても敬い、畏れ存在を感じているもの。ときに人を救い、ときに人を裁くもの……とにかく、ユズキがミオを救い出したいと考えるならばモルバニアに行かなくてはいけない」
柚希が迷うように視線をさ迷わせた。
「でも私、パスポート持ってないし……」
「モルバニアは次元の向こうだと言っただろう? 日本政府が発行する旅券など意味を持たない。つまり、柚希があちらでどうなろうが、頼れるのは自分の力だけと言うことだ。……おや? 顔色が悪いぞ。最初の威勢はどこにいった?」
レヴィンが未だ動揺している柚希を愉しくて堪らないといった瞳で観察している。
でもおそらく、ここまで聞いてしまったからには……。
「嫌なら止めてもいい。……ミオはこちらの世界には戻って来られないだろうがな」
意外な言葉がレヴィンから発せられ、柚希はレヴィンをまじまじと見つめた。
「こちらの人間がミオを連れていったことによってモルバニアは今、これまでにないほど厄介な事態になっている。ユズキはミオを連れて帰りたい。私は祖国の問題を解決したい。これは別々の問題に見えて根っこは同じ。私たちは協力関係になれると思ったんだが」
レヴィンの瞳が柚希を覗き込んだ。吸い込まれそうな蒼い瞳だ。柚希はつい首を縦に振りそうになって、「上手いこと言ってるが結局押し付けようとしている」と考え至り、それを押し止まった。
「レヴィンは自分で……その、解決出来ないの? その問題を」
たどたどしく自分の考えを口にした柚希にレヴィンは少し困った顔で微笑んだ。
「そうしたいのはやまやまだがね。今は少し立場が微妙で難しい。それにこちらでしなければいけないこともあるからね。もちろん、できうる限りのサポートはするけれど、君を私の背中に隠して守ってあげることは出来ない」
柚希がさらに突っ込んで詳細を聞こうとしたとき、ドアがノックされた。レヴィンが《モア》と返事をすると、書類を手にしたメイリーンが滑り込んできた。メイリーンのこちらを窺う興味本意の視線をやり過ごすため、柚希は手元のテキストに目を落とした。
「レヴィン、頼まれていたものよ」
「ありがとう、メイリーン」
「……が……でしょ? …………なの?」
メイリーンがレヴィンに耳打ちをしているのだろうか。不明瞭な会話が途切れ途切れに柚希の耳に聞こえてくる。
「ありがとうメイリーン。大丈夫、このあとの事も私が」
「……そう、よろしく」
にこやかに見送るレヴィンに、メイリーンはレヴィンと柚希に視線を送りドアを出ていった。
レヴィンはメイリーンが持ってきたファイルを開いた。
「問題ってどういうこと? ミオが関係しているの?」
レヴィンは書類から目を上げて言った。
「そう。もとからあった問題が、ミオが来たことでややこしくなっている。どんな問題かは、自分の目で見た方がいい」
「ミオが話していたジョアンって何者なの。この事と関係あるの?」
「ミオはジョアンが連れて行ったと見て間違いないよ。ジョアンは……ジョアン様はモルバニア王国の王子であらせられる。ミオをモルバニアに連れて行ってどこかに隠しているはずだ。それを見つけて私に連絡して欲しい。これを預けておく」
そういって、レヴィンは首につけていた水晶飾りのついたチョーカーを柚希の首に巻いた。
柚希はその硬い感触を指先で感じてみた。揃いの水晶の耳飾りがレヴィンの左耳でキラリと光る。
「どうやって、モルバニアに行くの。飛行機じゃないんだよね」
まさか机の引き出しから中に入って、というわけでもあるまい。
「それは私が案内する」
事も無げにレヴィンは言った。そして、再び書類に目を落とすとにこやかに微笑んだ。
「ふぅん、君は近衛兵だったのか。ならうってつけの仕事を紹介してやる。少しはミオ探しにも動きやすいことだろう」
「何のこと?」
「モルバニア語コースだけの特典でもある就職支援の話だよ」
物語に出てくる取引を持ちかける悪魔や魔法使いってこんな顔をしているのかもしれないと、そのレヴィンの表情を見て柚希は思った。
レヴィンはさらさらと何か手紙のようなものをしたためると、柚希に渡した。
「これをモルバニア王宮のイディに内密に渡すんだ。そうすれば、その先のことはイディが上手くやる。ユズキはミオ探しに精を出すといい。ただ……」
「ただ?」
柚希は訝しげな表情でレヴィンを見た。もうこれ以上おかしなことを言い出しても驚かないぞと心に決めて。
「ユズキが異世界人であることは、イディ以外に知られないよう細心の注意を払ったほうがいいとだけ、忠告しておこう」
「なんで?」
レヴィンはにっこり笑って、答える気はないようだ。
「ユズキのオトモダチが先にモルバニアに行っている。うまく合流出来ればいいな」