第二話 深まる疑惑
「美森柚希さんは?」
厳つく目付きのすこぶる悪い大柄の男は、ちらりと表札を確かめて言った。一方、厳つい男の一歩後ろにいた優男風の男は、柚希がドアを手で押さえたまま開け放していたワンルームの室内を無遠慮に覗き込んでいるのに気付いた。
「私ですけど」
柚希はその遠慮のない二つの視線から自身を守るように憮然と返事した。何気ない風を装ってドアを閉める。
厳つい方の男は、少しだけ驚いた表情を見せたものの、それをすぐに消した。
柚希という名前は時おり男性と間違えられる。
「片岡美桜さんをご存じですか?」
「美桜は私の友人ですけど」
男たちがちらりと目配せしあう。身分証が提示され、彼らが厚生労働省管轄厚生局の役人で、麻薬取締官だということが知れた。だが、柚希には彼らがどうしてここに来たのかが分からない。
「我々は片岡美桜の行方を探しています。最後に連絡を取ったのはいつですか?」
隠しだてするとろくなことにならないぞと鋭い視線が語っている。美桜に何があったと言うのだろう。つい先日交わした明るい美桜の声が脳裏に甦った。
柚希はカラカラになった唇を開いて、質問には答えず目の前の男に質問した。
「美桜が……何かの事件に巻き込まれた……んですか?」
まさか美桜が。美桜に限って。
疑念を浮かべてはそれを打ち消す。
何かの被害者になったと聞くのは辛いが、そちらの方がしっくりくる。しかし、彼らは警察官ではなく麻薬Gメンだ。
美桜は薬学部の学生だが……真面目な美桜が麻薬と関係があるとは思いたくなかった。
男たちは互いに小さく頷き合うと「美桜さんともし連絡がついたらお知らせ下さい」と言い残し帰っていった。
次々と浮かぶ疑念と不安。
そして気付いた。彼らは柚希が美桜の交際相手で彼女を匿っていると疑っていたのではないかと。
一体美桜の身に何が起こったと言うのだろう。
ともすれば美桜のことを考えてしまう。その日の勤務は注意が散漫になってしまい、先輩警備員のおじさんたちに心配されてしまった。
勤務が明けたら……ひさしぶりに美桜の自宅を訪ねよう。警備員詰所の窓がうっすら白んでくるのをまんじりともしないで見つめていた。
散々悩んで駅前でシュークリームを買った柚希は、重い足取りで美桜の自宅を訪れた。美桜は一等地の大きなお屋敷のうちのお嬢様である。
インターフォンを鳴らすとレモンイエローのセーターを着た美桜の母が出迎えた。いつも丁寧に巻かれている髪がボサボサになっている。それは如実に彼女の心中を表していた。柚希は今さらながら娘の安否を案じる美桜の家族を訪ねたことを後悔し始めていた。
陽当たりのいいリビングに通された柚希は、シュークリームの箱を美桜の母に渡し、勧められるままにソファに腰をおろした。高校時代に美桜に招かれて遊びに来たときと何も変わらない。
埃ひとつない家具、作者の分からない絵画、虹色にクリスタルが輝く照明、ハワイに行ったという家族の写真が入った真鍮の写真立て。写真の中の美桜はまだ頬のふっくらと赤い少女だった。おじさんもおばさんも若い。
物思いに耽りながら写真を眺めていると、美桜の母が紅茶を柚希の前に置いた。そして自らも柚希の斜め前に座った。
「美桜に何があったんですか」
美桜の母は表情を強張らせた。涙を堪えているようにも見える。
「うちに……厚生労働省の人が来て……美桜の行方を知らないかって」
柚希は自分の膝を見つめながら、自分と美桜が交わした最後の会話を話した。そして昨日訪れた男たちのことを美桜の母に伝える。
「そう……柚希ちゃんにも美桜は何も話していなかったのね」
美桜の母は、手の中のハンカチをぎゅっと握った。
「どこまで柚希ちゃんに話していいのか分からないんだけど……」
沈黙が流れた。それはほんの数分の事だったが、柚希には一時間にも二時間にも思えた。
そして長い沈黙の果てに、美桜が大学の帰りに行方不明となっていることを聞いた。
最初はバイト先からの無断欠勤に対して美桜の体調をおもんばかる電話がかかってきた。美桜の母はすぐに美桜に連絡をとろうとしたが携帯電話は繋がらなかった。
そしてその夜は、ついに何の連絡もなしに美桜は外泊をした。
「大学生の娘ですもの。一泊や二泊……もちろん心配ですけども、友達のところに泊まりに行ってるのかなって考えていたのよ。明日帰って来なかったら警察に相談しよう、そう毎日考えていたの」
もともと美桜は、無断で外泊をしたことがなかった。時には明朗快活に、時には言い訳がましくも許可をとってから、大きな鞄にお泊まりグッズを詰め込んで外泊をしていた。
だから美桜の母は事件だと決めつけられないものの、なにか大きな不安を感じていたという。
「そんな時に警察が来たの。美桜の行き先に心当たりはありませんかって。私の方がむしろ知りたいくらいで……家出じゃないかと鼻で笑われるのを覚悟で相談したの。そしたらね……」
言いにくいことを言おうとしているのだろう。美桜の母は、もう一度ハンカチを握りしめた。
「美桜が無断外泊した最初の日、美桜の大学で盗難事件があったんですって。……薬草園から薬草、毒草……そして、私も美桜がしたって信じられないんだけど……厳重に管理されている大麻草やけしの種子も……」
麻薬Gメンが動いていることが納得できたと同時に、柚希は信じられない思いで美桜の母の話を聞いていた。
「でも……大麻やけしって栽培しちゃいけないんじゃ」
確か栽培することも、所持することさえ禁止されているのではなかったかと柚希は思う。もっとも柚希にはそのへんの知識はあまりないのだが。
「ええもちろんよ。でも薬学部のある大学では特別に許可を受けて栽培されているところもあるのよ」
「それを……?」
美桜が疑われていると。柚希の頭のなかは真っ白になった。
「美桜は何かの事件に巻き込まれたのかもしれないわ。だって、そんなことする子じゃないもの」
「分かります……美桜はそんな子じゃない。もし美桜が盗んだとしても……誰かに唆されたとしか思えない」
そういったものには大学側も厳重に管理していることだろう。一般の人がふらりと大学に侵入して事に及んだとは考えにくい。だからこそ、そこの学生で
うまくやればチャンスもあっただろう美桜が疑われているのだ。そして美桜はその日から姿をくらませている。素人目にも怪しいと思うだろう。
私だって……警備しているビルの人気のない暗い場所でウロウロしている人を見れば警戒する。
あのとき、奥歯に物が挟まったような美桜の様子に気付いてあげられたら……何かが変わっていたのだろうか。
丁寧に礼を伝えて美桜の自宅を辞した柚希は、モヤモヤとした気持ちを抱えて来た道を戻った。
「美桜、あなたは何を伝えたかったの?」
自問自答しても後悔が募るばかり。
ただのノロケ話だとばかり思って、適当に会話を切り上げたあの時の自分に柚希は行き場のない怒りをぶつけた。
「美桜、あなたはどこへ行ったの?」
警察も麻薬Gメンも美桜を窃盗犯として追っている。
せめて自分くらいは、彼女を信じて……美桜を助けたい。探し出して、連れ戻して、事情を聞いて……本当に美桜がやったのなら自首させてやりたい。
自己満足かもしれない。だけど、いまの柚希にはそれしか考えつかなかった。
「まだ大丈夫」
女の子らしくもない実用本意で選んだゴツいダイバーウォッチで時間を確かめ、柚希は駅前から電車に乗った。
「まずは美桜の大学。そしてアルバイト先……」
美桜の母に聞いた大学とアルバイト先の住所を手帳で確認しながら、どこかに美桜がいるのではないかと流れ行く車窓に目を凝らした。
このお話はフィクションです。実際の麻薬Gメンはこうだよ、とか本当の薬学部はこうだよ、と言われると続かないので、その辺ご了解ください。
って、これ書かないと次話が怖くて載せられないって、一体どういうことだ!