第十七話 悪いけど逃がさないから
「もう。柚希ちゃん勇まし過ぎるでしょ」
すっと目の前に手を差し伸べられた。
「せっかくのきれいな格好が台無しだね」
最上は柚希に手を貸して立たせると「さて」と帽子男に向き合った。
「二年前行方不明になっていたブラックヘブン代表コンドウシュウハチ。まさかお前がここにいるとはね」
最上が冷たい声で帽子男に声をかけた。帽子男が薄ら笑いをしながら帽子を取ると、その下からは明らかにのっぺりとした日本人顔が現れた。
「お前、こんなところで何をしてるの?」
「んだよ、マトリか警官がこんなとこまで追っかけて来たのかよ、信じらんねぇ。でもここは治外法権なんじゃねぇの」
信じられないといいながらも、コンドウは愉しそうでさえある。
「ある人がさ、俺をこの世界に呼んだんだよ。だから俺が色々教えてやったのさ。クスリで人を操る方法とかさ」
コンドウはヒヒッと耳障りな笑い声を上げた。
「相変わらずサイテーだな」
最上の冷たい声が耳障りな笑い声に被さる。
「この花は偶然見つけたんだ。ここで一山当てたら、今度はこれを日本に持って帰る。まだ知られてもいない新種のドラッグだぜ。量を調整すりゃ人もコントロールできる。女と楽しむのも人を壊すのもお手のものさ。俺は億万長者だ!」
帽子男は手のひらで玉を転がすように花を転がした。まるで世界をその手で転がしているつもりなのだろう。
「そんなことをさせるわけないだろ」
ツカツカと最上は無防備に帽子男との間合いを詰めていく。
何をするのか呆気に取られていると、最上はにこりと柔らかく笑い、次の瞬間、帽子男に回し蹴りを入れた。
男は蹴りを脇腹にめり込ませ、壁に激突した。ピクリとも動かない。今度こそ本当に気絶したらしい。
「で、あんたらも仲間だよね。悪いけど逃がさないから」
その後、エマが呼んできた保安隊に全員気絶した状態で男たちは引き取られた。
ーーだが、最上の表情は曇っている。
「コンドウはこの世界を仕切ってるのは自分だ、みたいに言ってたけど、恐らくバックに巨大な何かがあって……コンドウはただ利用されているだけだと思うね。もしかしたら片岡美桜を連れて行ったのもその奴らかも知れない。この揚羽楼は多分末端の施設で……資金を集める目的で運営されている可能性が高い。ここで使われていた催淫効果のある薬物、あれの元があの赤い花なんだろうな。甘ったるい匂い、あれを嗅いだ途端頭がボーッとなっておかしくなった」
そう言えばそんな匂いを嗅いだと柚希は思い出す。ただボーッとまではならなかったが。
「あいつらのバックにいるのは誰なんだろうな。事によっては……あいつらはすぐに釈放されるかもしれない」
苦い顔のまま最上は吐き捨てるように言った。
「聞き込みによると、以前は普通の……風俗営業店だったらしい。金持ちの男が何ヵ月も帰って来なかったり、気付いたら長期間滞在していて莫大な請求をされ始めたのは一年ほど前からみたいだな。あいつが変な入れ知恵したせいで、この世界にあるややこしい植物の毒性が利用されはじめ、片岡美桜によってさらに深刻な事態になっている。二年前にこちらに来たばかりのあいつにそんな影響力あると思うか」
柚希は首を横に振った。
「あいつのバックにあるのは大きな力と金を持つもの。そして、黒幕の資金を支えるのはこういう末端施設と……」
最上は少し言葉を区切り、柚希の表情を確かめるように覗き込んだ。
「恐らくMOVA。外貨というのも変だが、資金を稼ぎ、この世界に利用出来そうな日本人を拉致するための情報を集める施設。そう考えれば説明が付くんだよなあ、想像だけど」
「情報を集め……る?」
「そう。会話の練習に必死な日本人は、知らず知らずのうちに個人情報を吐露させられている」
覚えはないか、と最上の瞳が問いかける。
「名前は? 家族構成は? 職業は? 趣味は? って嘘もつかずに聞かれたまま答えるだろ?」
「そう言えば……」
「で、あいつは殊勝にも語学を習うようには見えないが、片岡美桜は恐らくそれで目を付けられた。何の為だか分からないが目的のためにあちらの薬物や毒草を持ってこさせたんだろうな。この国、近々隣の国と戦争になるかもしれないよ、柚希ちゃん」
「え!?」
驚いて見上げると最上の真剣なグレーの瞳とぶつかった。
「商工組合の掲示板に貼り紙があって、その前でおっちゃんたちがひそひそ話してた」
「戦争の歴史はどこの世界も逃れられないものなのかな」
戦争を身をもって知らない柚希でも、他人のものを奪いあう戦争は不毛でたくさんの人の命を奪う哀しいものだと知っている。
何も言えずに最上を見上げる。
女子としては長身の柚希より最上の頭は高いことに気付く。
「早く帰りたいね」
最上の言葉に柚希は唇を噛んだ。
「エモニアに行かなきゃ」
「エモニアに何があるの」
不審そうに訊ねる最上に柚希は答えた。
「イディって人に手紙を届ける」
「それ、どうしても行かなきゃ行けないのか?」
「……美桜を見つける手助けをしてくれる……かもしれない」
「……かもしれないって」
何も答えない柚希にそれ以上問い詰めるのを諦めたように最上は言った。
「この際付き合うよ。片岡美桜の情報を得る協力を申し出たのはこちらだし。片岡美桜を連れて一刻も早く帰ろう」
いつからそうしていたのだろう。無意識に柚希はぎゅっとチョーカーの水晶を握っていた。
◇◇◇
「……さて、こちらも動こうか」
柚希から届く思念波を読みながら、レヴィンは満足そうに笑った。