第十六話 謎の男と赤い花
せっかくローダに来たのだからと、柚希は宿屋兼酒場の娘、エマに強引に着替えをさせられた。
麗らかな春の空のような青のワンピースドレス。肩幅は少しきつく、袖丈と着丈は少し短い。
背中の紐でウエストを絞れば、哀しいかな胸元におかしなシワが入った。エマの体型で作られているこの服を着ている柚希はエマほど膨らみがないせいだ。
そんな柚希の髪を丁寧にブラシを入れていたエマはにこにこしている。柚希は不安になってエマに声をかけた。
「おかしくない?」
「ユズキは背が高くて、痩せていて羨ましいわ」
「こんなにいい服、借りてもいいの?」
「もちろん。さあ出かけましょう!」
エマは柚希に白いケープのようなマントを羽織らせた。
スカートなんて高校卒業以来で少し恥ずかしいというのが柚希の本音だった。
学生時代でさえ制服でなければスカートを着なかった柚希のタンスの中はジーンズやズボンばかりだった。
スカートが似合わないと気付いたのはいつだっただろう。
フリルのついたショートパンツは柚希のお気に入りで、持っている中で唯一女の子らしいアイテムだった。だが、部屋の中以外で履いたことはない。
その反動なのか、柚希はファンシーで可愛いものが大好きだった。
だからエマと、そしてエマには見えないがリリアと三人でローダの街を散策しても、つい目が引き寄せられるのはアクセサリーショップだとか雑貨屋だった。
ローダの名物お菓子だというドーナツに似たお菓子を食べ、石畳の狭い登り坂を上がって高台の教会の庭に立つと、低い石のかきねの向こうにセーイチの住んでいた集落やこんもりとしたキノコ森が見えた。
「ユズキ、あなたが目指すエモニアは、あっちの海の方」
エマの指差す方を見ても海はまだ見えない。
「エマ、ありがとう」
エマは風で暴れる髪を押さえながら笑う。こんな風に女の子らしく生まれたかったと柚希は少し羨ましく思うけれども、これまでの自分を否定するのは負けたような気がする。
私は私らしくしか生きられない。
「戻って着替えるよ。もう行かなきゃ」
柚希とエマは石畳の坂を下っていく。先に立って歩く柚希が道を間違えたのか、昨日最上が滞在していた朱塗りの柱が特徴の建物の裏に出た。
その前に、昨日の客引きとはまた違う男が二人いた。
一方の帽子の男には柚希は見覚えがあった。
早朝、ローダの街外れで通りすがった不審な男だ。
第六感に訴えるような嫌な胸騒ぎを感じる。同じく不安になったエマがそっと柚希の腕に手をかけた。
「ユズキ、あっちに行こう」
「う、うん……」
エマの囁きに答えながら、ここを離れた方がいいと分かっているのに柚希は目を反らすことが出来なかった。そんな柚希の腕をエマは少し強く引いた。
帽子の男がリヤカーのこもを捲ると中には赤い花がたくさん入っていた。男たちは薄ら笑いを浮かべながら何かを小声で話している。話している内容までは分からないけれども。
なんだ、花か。
柚希は不思議と落胆した。
今朝の不審な行動と結びつかないが、ただの花売りならば気にすることはない。そう柚希が思っていると、妓館の男はたくさんお金が入っていると思われる袋を帽子の男に手渡した。
高価な花、なのかな。
そう柚希が思ったとき、周りが翳った。
柚希の腕を掴んでいたエマの指に力が込められ、彼女の「ヒッ」と小さな息を飲む音が耳に届いた。
柚希がエマを振り返ると、大柄な男五人が二人を取り囲んでいた。
「何を見ていたのかな、お嬢ちゃんたち」
背後から話しかけられ、そちらを見ると今朝の帽子男だった。
帽子で押さえつけられた長い前髪の奥で、黒い瞳がギラギラ光っている。
「わ、私たち、何も」
エマが震えた声で言うも、男たちは薄ら笑いを浮かべている。
柚希はエマを背中に隠すように庇うと、毅然と言った。
「あの赤い花は何?」
柚希が言うと、帽子男はニタリと笑った。
「やっぱり見たんだね。あの花の取引を」
「フスタール?」
背中にしがみつくエマの指先に力が入る。
柚希が眉をしかめると、帽子男はおや、と小さく驚いた。
「お嬢ちゃんは、今朝の……。そうか、女の子だったんだね」
帽子男は、何が楽しいのかクスクスと酷薄そうに笑う。
「このお花をどう使うか、知りたいかい?」
柚希もエマも息を潜めて黙っていると、帽子男はさらに愉しそうに言った。
「説明するのは難しいんだ。だから体験してもらおうかな。どうせ見られたんじゃこのまま返してあげるわけにはいかないし。なあに、痛くはないよ。フワフワして気持ちいい事が好きになる。止められなくなるかもしれないけどね……ククッ」
エマは真っ青になっている。柚希の腕を掴んでいる指が痛いほど食い込んでいる。
ジリジリと二人を捕まえようと大柄の男がにじりよって来る。柚希は間合いを測りながら、エマの手に自分の手を重ねた。
「エマ、私が逃げ道を作るから走って」
エマが目を見開いて柚希を見つめた。柚希はエマを安心させるように頷く。
柚希だって大人の男を一度に五人も相手に乱取りなんかしたことがない。ましてやこれはルールのある試合じゃない。足が震えないように力を入れているのが精一杯だった。
「そして、誰か呼んできてね」
エマにそう囁くと、まずは正面の男に向かって体当たりした。さっきまで調子よく演説をしていた帽子男は、不意討ちをくらい、柚希ごと壁に激突する。
「エマ!!」
柚希が叫ぶが早いか、エマが駆け出した。
「このやろう!」
野郎じゃないんだけど。
リーダーを倒されて頭に血が上った男たちが、柚希の逃げ道を塞ぐように立つと、ひとりずつ柚希に向かってきた。
幸いだったのは、この裏道が狭くて男たちが一斉にかかってこられないということだった。
男に捕まる寸前で身を屈め、自ら懐に入るとジャケットの襟と奥襟を掴んで投げ飛ばす。いくら相手の力を利用するといっても、体重差が柚希の体力を奪う。二人投げ飛ばしたところで足元がふらついた。
三人目を投げ飛ばしたところで、男たちも柚希がどう投げているのか気付いたのだろう。その場でジャケットとシャツを脱ぎ捨てた。筋肉質な肌が露になるが濃い胸毛がピンク色。柚希は目を背けたいのを我慢した。
上着を脱がれては組めない。掴むところがなければ投げ飛ばすことは出来ない。
間合いを測り長いスカートを脚に絡ませながら中段蹴りを入れる。
リリアの水鉄砲も柚希と男たちの立ち位置が激しく変わるため狙いがつきにくいのか石畳を濡らすばかりだ。
「つーかーまーえーた」
キックをした直後、ふらついて体勢を調えていた柚希を後ろから羽交い締めにする腕があった。
声とジャケットを着ていることから、帽子男が復活したのだと分かった。
甘く囁くような狂った声に、柚希の肌が粟立つ。
下の方で抱き込まれているから肘打ちが出せない。身を屈ませ後頭部で顔面を狙うしかないかーー!
「グプッ」
柚希が頭を低くした時、背後で変な声が上がった。羽交い締めにしていた男の腕が弛み、柚希は石畳の上に転がった。