第十五話 塩味と豆スープ
ローダの酒場の名物、豆のスープは、ホクホクとした白っぽい豆がゴロゴロしていて少し塩辛かった。それにあまり味がない。
異世界に来ているのだから、日本人の舌に合う食事が出ることはもともと望みが薄いとは思っていたものの、ここまでとは予想外だ。
「豆はたぶん美味しいのに何かが残念」
やっぱりエミーナさんもセーイチさんの奥さんも日本人好みの味にアレンジしてたんだな、と柚希はこれまでにごちそうになった食事を思い出しため息を漏らした。
「どうしたら残念な感じが無くなるんだろう」
柚希は銀のスプーンを当たり前のように口に咥え唸った。
あまりお料理をするようには見えない柚希だが、その実簡単なものなら料理ができる。得意料理は豚のしょうが焼きだ。高校のクラブ合宿で料理当番にあたったときの定番料理だった。
わずかに酸味のある堅いパンは薄切りにされてお皿に二枚乗っている。これで三ドム。高いのか安いのかよく分からない。リリアに訊ねても首を傾げるだけだった。
柚希は最上とのすったもんだで時間を取られて人がまばらになった酒場内の様子を伺った。
おおかたの旅人は出発したのだろう。
柚希は人目を盗んでリュックサックからあるものを取り出した。
それは売り物にするつもりのラグーナの肉ではなく、柚希のお弁当用のラグーナの干し肉だった。
それをナイフで削り、スープに落とす。ぐるぐるかき混ぜて口に運んでみた。
さらに塩分が増されたスープは塩辛く、だが豆と一緒に干し肉を噛んでいると旨みを感じる。味が薄くて残念だったのは、どうやら出汁が足らなかったからではないかという結論に達した柚希は、それを水と交互に口に運んだ。
そんな柚希のテーブルに人が近づいてきた。
チョコレート色の口髭の店主だ。
柚希は、店のスープに手を加えたことを怒られるかもしれないと身構えた。案の定……。
「お客さん、何してらっしゃるんです?」
柚希はどうみても青筋を立ててるような怒り顔の店主を見て表情を強ばらせたが、店主は柚希のスープ皿を興味深げに覗いた。
「へえ! 白豆のスープにラグーナの干し肉を……面白いな、うまいんですか?」
柚希は曖昧に笑って返した。確かに旨みは増したが塩辛すぎる。 美味しいと言っていいものかどうか返答に困った。
店主が味見をしたいというので、柚希はその皿を店主の方へ押しやる。
店主は一口スープを飲むといきなり噎せ込んだ。予想を超える塩味に驚いたのだろう。
そしてしばらく咀嚼して「これはこれは! なるほど!」と大きく頷きはじめた。
店主は柚希と目を合わせると、「この調理法を売ってくれ!」と言った。
旅人が出かけてしまい、閑散とした宿屋兼酒場の一階奥の厨房に柚希はいた。
このままでは味が濃すぎて客に出せないという店主の言い分はもっともだが、柚希としては早く調理法(というには大袈裟だが)とラグーナの肉を買ってもらってエモニアへと出発したい。だが、店主はそれを許さなかった。
柚希にスープの完成まで付き合えと言うのである。
二階の宿屋の片付けをしていたおかみさんと娘さんも仕事が一段落ついたのか、厨房に集まってきていた。
水で戻した乾燥した白豆を鍋に入れて煮込み、店主が一掴みの塩を入れそうになったところで柚希は慌ててその腕を掴んだ。
「なんだ?」
「塩を入れすぎじゃないですか?」
物言いをつけた柚希に店主は呆れて言った。
「だがなぁ、客のほとんどが旅人だ。しかもあんまり金の持ってない奴らだから移動手段は歩きだ。歩けば汗をかくから味の濃いのが好まれるのさ」
「だけど、今度はラグーナを入れるんでしたよね? 干し肉は塩味が付いてますから」
店主はまじまじと柚希を見て、怒り顔をにかりと綻ばせた。
「そうだったな!」
柚希はラグーナを薄く切り、調理場にあったハーブの中からローズマリーの香りに近い香草を選ぶと鍋に入れた。
そうして出来たスープを四人で試食すると、反応は上々だった。特別味覚に違いがあるわけではないことが分かり、柚希としてはほっと胸を撫で下ろす。
店主はラグーナ入りの白豆スープを食べながら、「うーん」と唸った。
「どうしたんですか?」
柚希が訊ねると店主は苦い顔で言った。
「いやな、このスープは確かにウマイ。うまいんだが、ラグーナの肉は高くてな。あんまり手に入らんのだ」
「高いってどのくらいですか?」
店主は柚希にソーセージのような指を五本立てて見せた。
「一頭買いなら五ガムだな。柚希の持っていた程度の大きさなら三十イムはしただろう?」
しただろう? といわれても柚希は買ったわけではないので、返事に窮した。思わず視線を肉の詰まったリュックサックにやる。
「お貴族様の間じゃラグーナ狩りだのとお遊びでいらっしゃるが、ラグーナは気の荒い野生の獣だ。そうそう庶民が食えるもんじゃねぇのよ。だからこそ、これを売りにしたら客は増えると思うんだが、ラグーナの肉の仕入れなぁ……」
悩む店主の前に柚希はラグーナの干し肉の塊を五つ並べた。
「これを二ガムで買いませんか?」
これは自分で狩ったラグーナだと言うと、店主もおかみさんも娘さんも目を見開いて干し肉と柚希を交互に見た。
「驚いた! 柚希は狩人だったのか?」
「え? いいえ、エモニアに行きたいんです」
「エモニアぁ?」
「ちょいとお前さん、いちいち威嚇すんじゃないよ。娘さんが怯えるだろ」
「はあ? どこの娘さんだ」
「何言ってるんだい! この子に決まってるじゃないか」
おかみさんは柚希に向かって「ねえ?」と同意を求めたので、こくんと頷いた。店主は椅子から転がり落ちて驚いたので、柚希はますます落ち込んでしまった。
おかみさんは柚希の肩をぽんぽんと優しく叩き慰めた。
「こんな節穴を顔に二つも開けてるような男の言うことなんて気にするんじゃないよ。どうしてそんななりをしているのか事情はあるんだろうけどさ」
「まあねえ、モルバニアじゃ髪は伸ばしてスカート履くのが女の常識だもの。でもアタシ、ユズキのズボン姿も素敵だと思うわ。狩人なら男装していても納得だし、ユズキの黒髪も素敵だと思う。ねえ、エモニアへ何をしに行くの?」
娘がはしゃいだ声で柚希に聞くと、立ち直った店主が娘をたしなめた。
「おい、お客のプライバシーに立ち入っちゃいかん」
「はーい、ごめんねユズキ」
悪びれない娘の笑顔に、柚希も微笑んで首を横に振って謝罪を受け入れた。というか、娘は何も悪くない。そもそも男と間違えたのは誰だと言いたい。
「道中気をつけてな。ラグーナが手に入ったらまた寄ってくれ。買い取ってやらんでもない」
店主の優しい表情を初めて見た気がする柚希は、花が綻ぶように笑った。
値段交渉の末、ラグーナの肉は八掛けの一ガム六十イムで取引された。
「ユズキが泊まった部屋の同室者かい?」
柚希が最上がまだ部屋にいたのか聞くと、宿屋のおかみさんは頬に手を当てて事も無げに言った。
「アタシたちがシーツを替えに回ってた時にはもういなかったよ。その時はユズキのことを知らなかったから、もう宿を出たんだと思っていたんだけど……なんにも約束してなかったのかい? 恋人を置いていくなんて薄情もんだね、その男は!」
山盛りにシーツが詰め込まれた篭を持った宿屋の娘が、「ユズキの恋人?」と色めきたったが、全力で否定した。
金的を狙った反撃で最上は自分を見限ったのかもしれない。やり過ぎたかと落ち込む柚希に娘はとある提案をした。
「そんな薄情な男なんて忘れちゃいなよ! 服を貸してあげる。ローダを発つ前に街を案内してあげるから行きましょう!」