第十三話 私、男に見えますか
この世界には柚希と美桜以外にも日本人が連れてこられている。
最上のその言葉を聞いた柚希は、エミーナとセーイチの顔を思い浮かべた。
「あれ? あんまり驚いてないね」
最上が意外そうに柚希を見た。
「まあ。ここに来るまでに会っているので」
「へえ、どんな感じ?」
「え、どんな感じって。連れてこられたっていうよりは……自ら来たのかな。この世界に馴染んでましたけど」
「ふうん、ちなみに名前は分かる? こっちでどんな仕事をしているとか」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、柚希はゆっくりと言葉を選びながら答えた。……といっても、ほとんど最上に白状させられたのだが。
柚希の報告を聞くと、最上は満足そうに麦酒をひとくち飲んだ。社のおじさんたちがありがたがる白い泡はこちらの世界にはないらしい。
フルーティーで飲みやすいな、と柚希はコクコク喉を鳴らした。
「なるほどねぇ。片岡美桜はこの世界の何処かにいるって言うのか。僕が通ってきたこの辺はそんな噂は聞かなかったけどなぁ」
最上は柚希が広げたモルバニアの地図のキノコ森から上、北の辺りをくるりと指で囲んだ。
「この辺には険しい山脈があって、麓には集落があるけどかなり小規模でね、よそ者が来ることには敏感なんだよ」
「よそ者……」
柚希は最上を見た。最上が苦笑する。
「なんで俺を見るの、柚希ちゃん」
酔いが回ってきているのか、最上は馴れ馴れしく柚希を呼び始めた。柚希の方も名前で呼ばれたくらいで嫌悪感はないので放っておくことにする。
酒場には鮮やかな色のドレスを着た女性が客の間を行き来して酒肴を運んでいる。柚希はふとそんな女性たちを目で追っていた。
「何? 柚希ちゃんどうかしたの?」
気遣わしげに最上が問いかける。
「気になる女の子でもいた? モルバニアの女の子って本当に可愛いよね」
「最上さんは、またっ!」
立ち上がろうとする柚希の肩を最上が押さえた。
「ごめん、ごめん。あんまり見てるからさ。どうかしたの?」
「……私、男に見えますか?」
ふて腐れた柚希はテーブルに突っ伏した。すかさず最上が麦酒が倒れないように避難させる。
「見えないよ? そりゃ、ボーイッシュだとは思うけど僕からしたら可愛い女の子に見えるけど……」
ははん、と最上が鼻を鳴らした。柚希の肩に手を回して顔を近付けながら囁く。
「さっき男に間違われて客引きされたのを気にしてんだ? ……柚希ちゃんは可愛いよ、僕だけが君の魅力を知っていたらそれで充ぶ……っ!!」
「あ! 宿!!」
突然思い出したかのように顔を上げ、柚希が叫んだ。
こんな時間でみつかるだろうか、酔いが醒める思いで柚希は焦った。
後頭部で鼻を強打し鼻を押さえて呻いている最上は目に入らないほどに。
その時、白いエプロンをつけたでっぷり太った酒場の店主が、チョコレート色の口髭を動かして言った。
「宿ならこの上にあるよ。一晩素泊まりなら五イムにしてやるよ」
「お願いします!」
柚希は立ち上がっておじさんの手を握った。
「今夜はもう一部屋しか空いてないがね。男同士なら構わないだろう?」
柚希と鼻を赤くした最上は無言で目を見合せた。
「ベッドは私が使います。ここからこっちに入ってきたら命はありませんからね」
柚希はつま先で木の床に見えない線を引いた。
チョコレート色の髭のおやじさんに案内され二階の客室上がってみると、その部屋にはベッドがひとつしかなかった。
最上とは親しい仲でもない。ひとつの部屋に寝泊まりするだけでもあり得ないのに、ケダモノと一緒のベッドでなんか寝られるか! と柚希ははじめは同室を拒否した。
だが、最上は一文無しだということと、夜は昼と一転して凍えそうに寒いこと、それに協力関係を結んだ日本人同士であることを訴え、柚希が非情になるのを躊躇させた。
最終的には最上の「柚希ちゃんには指一本触らないから」という必死のお願いと、おやじさんの「泊まるの、泊まらないの? 泊まらないのなら他の客に紹介してもいいんだよ、ウチは」という無言の圧力に屈してしまった。
つまり柚希はお人好しなのである。
この見えない境界線は、柚希のギリギリの妥協策でもあった。ただし、なんのトラップも拘束力もない。ただ最上の良心に訴えるだけの脆いもので、陣地を主張する子どものようだった。
リリアも柚希と一緒になって最上を威嚇したが、いかんせん見えていない。
柚希は毛布を一枚最上に投げ、リリアにリュックサックから出したタオルをかけてやって、自分はもう一枚の毛布にくるまった。
もちろん貴重品が入っているマントは丸めて腕のなかにしっかりと抱き込んだ。
最上はもとより柚希をどうこうするつもりはなかったらしく、毛布を被り床にごろんと寝転んだ。
柚希は最上の寝息を確認してから、とろとろと微睡むように意識を手離した。
翌朝、柚希が起きると最上はまだ寝ていた。
緊張しながら寝ていたせいか、身体が強ばっている気もする。
最上の保釈金(妓館の逗留代)とドアの修理代を払ったせいで、所持金は少なくなっていた。
宿代が五イム。
麦酒が一杯三ドム。
そして妓館に支払ったのが一ガムと三十五イム。
まずはラグーナの干し肉を買って貰えるところを探さなくては。
柚希はまだ最上が目覚めないうちにマントを羽織り、リリアを連れて部屋を出た。