第十二話 高すぎる再会の対価
水妖精たちと別れの挨拶を交わすと、柚希はリリアを連れて街道へと戻った。
森の中で迷いそうになる柚希をリリアは案内するように少し前をヒラヒラと飛ぶ。
「飛び辛いなら肩に乗ってもいいよ」
ガンゴの糸から外したときにどこか傷めたのだろうか。リリアの飛び方は少し不安定だ。
柚希がそう勧めると、リリアは柚希の肩にとまり、ちょこんと座った。
リリアは他の人から見えないのだから、ひとりでニヤニヤしていたら変だろう。そう思って柚希は嬉しくてにやけてしまうのを必死で堪えた。
「リリアは何を食べるの?」
そういえばお昼ごはんを食べるのを忘れていたと柚希は思い出した。あれほどお腹が空いていたのに今は平気になっている。
問いかけるとリリアは、柚希の肩を離れてヒラヒラと飛んでいく。釣り鐘のような形をした桃色の花から蜜を飲み、にっこりと笑った。
「リリアは花の蜜がゴハンなの?」
ニコニコと笑うリリアは、また柚希の肩へと戻ってきた。
「おしゃべりはできないの?」
困ったように微笑むリリアを見て柚希が慌てる。
「今は喋れなくてもきっと話せるようになるよ! ね! お姉さんたちみたいに話せるようになるよ」
柚希が励ますとリリアは柚希の肩に立ち上がった。小さい手で柚希の頬に触れると、ちゅっと柚希の頬に口づけをした。
ニコニコ笑うリリアを見て、反対に励まされたような気がした柚希だった。
陽が随分傾き出した頃、柚希とリリアはローダの街についた。
晩ごはんも食べたいし宿も探したい。
実は本格的なアウトドアをしたことがない柚希は、すっかり野営のことを忘れていた。
こんな世界だと分かっていれば寝袋やテントのひとつも持って来たのにと思うが、それでは「異世界人だとバレるな」というレヴィンの忠告を無視することになってしまう。
柚希は街道から繋がった大きな中央の道を左右に連なる店を確認しながら歩いた。
突然、柚希の目に暴力的ともいえるインパクトで飛び込んできたもの。それは街の中心部を少し外れたところにあった。
「何のお店だろう」
白い壁に赤く塗られた柱のその建物は、どこか周りの風景に溶け込むことを拒否しているかのように浮いているのに美しい。まるで毒と主張していながらも魅了してやまない花のように。
その建物のほど近いところで、壮年の男二人がひそひそ話をしていた。
「あの客、払いの方は大丈夫なのかい?」
「俺もそろそろ思っていたところよ。もう三十日も居続けだもんな」
柚希は勝手に耳に入ってくるそれを聞き流しつつ、男たちの脇を通り過ぎようとしていた。
「名前や仕事ぐらいは聞いてるんだろうな」
「ところが妓たちにも、仕事や家の事は話しちゃいねぇみたいさ。ライト=モーガミ様って名前以外はな」
「モーガミなんて、家あったかぁ?」
「少なくともモルバニアにはモーガミなんて大商人もお貴族様もいねえや。外から来たのかねぇ」
柚希は男たちの会話から、ふいに引っ掛かるものを感じて足を止めた。
「ん? ライト=モーガミ?」
ライト、モーガミ。
モーガミ、ライト?
モガミ、ライト……ライトって英語で左だっけ?
ちがう、ちがう、キープレフトって左に寄って運転するやつ!
だから右だよ。
あれ? もういっこライトって意味無かったっけ。
「あ! 光!!」
そう叫んだ柚希を男たちは驚いた眼差しで見た。そして作り笑いを浮かべながら揉み手をせんばかりに柚希に寄ってくる。
「お兄さん暇なら寄ってくかい?」
「いい娘がいるよ」
男のいやらしい笑い方に柚希は思わず握りこぶしを固めた。その場で「誰が男だ!」と殴りかからなかった自分を褒めてやりたい。
けれどもいい加減男に間違われることに嫌気もさしているのは事実だった。
柚希は例の噂の主があの麻薬Gメンの最上光なのか確かめたくて、男の客引きに乗ったふりをして白壁に朱色の柱の建物に入った。
いざとなれば女だとバラせばいい。何の店だか知らなかったとしらばっくれればいい。
建物に入ると香のきつい香りが鼻をついた。噎せかえりそうだ。
百貨店の化粧品売り場に入り込んだような…いや、もっとキツい。ねっとりした甘い匂いもする。
柚希は雑談のふりをして、先程の噂の男について客引きの男に尋ねた。
「おや、お知り合いですか?」
男の視線が柚希を値踏みするようなものに変わった。
「いや、知っている人かも知れないと思っただけで……」
その時、女の嬌声とともに聞き覚えのある声が耳に入った。気付いていたら柚希はその声がしたドアを蹴破る勢いで開けていた。
「いやあ、助かったよ」
「なんであんなところにいるんですか、最上さん」
「美森さんこそ」
上機嫌な様子で最上がクスクス笑う。
それに反して柚希は呆れるやら腹が立つやら。
連絡がとれないと思っていたら最上までモルバニアに来ていたとは。来るなら来ると連絡すればいいのに。
見たくもない場面を見せられた恥ずかしさもあいまって柚希はイライラを隠せなかった。
情報収集といえば酒場だろうと、強引に連れてこられ、柚希と最上の前には大きな麦酒の器があった。レートが分からない柚希だから前金方式で助かったと密かに胸を撫で下ろす。
もちろん麦酒代は柚希が払ったのだ。
「一文無しで借金溜めながら妓館に居続けって、何してたんですか!」
「あれ、それ聞いちゃう?」
柚希は顔を真っ赤にしてがなりたてた。
「言わなくて結構です!! もう、最上さんのおかげて虎の子の一ガム、無くなっちゃったんですからね!」
「本当に助かったよ。でもそんなカネ、美森さんどうしたの? まさか……」
「怪しまれることしてません! 最上さんじゃあるまいし、ヘンなことで稼いだりもしてません!」
「いや、僕も身体売って稼いでた訳じゃないんだけど」
稼いでいたら自分で払って出られてるよ、と最上はぶつきながら頬をポリポリと掻いた。
「これは両替してもらったんです」
「誰に」
「うっ……言えません。でもおかしな人じゃないのは確かです。……多分」
酒が進み、柚希と最上は日本語で内緒話のように身を寄せて話し出した。周りは旅人や地元の客で賑わっており、誰も二人の事は気にしていない。
「それにしても見かけはヨーロッパの国に近いが……なんていうか、江戸時代みたいなところだな、ここは」
「そうですか?」
「士農工商、身分で仕事がきっちり分けられている。政治をする貴族、武士のように国を守る騎士、まあ庶民は結構好きに仕事を選べるみたいだが、政治家と騎士にはなれない。特権ってやつなんだろうな。さっきいた妓館も庶民の女の子が働いていた。年季が明けるまで実家に帰れないって言っていたしな」
「最上さんサイテー……でも、結構調べてたんですね」
「見直した?」
「さっきサイテーって言ったじゃないですか。聞いてなかったんですか?」
最上は柚希を見て小さく笑うと、気にしていないそぶりで言った。
「調べるのが僕の仕事だからね。じゃあ、再会を祝して情報交換といこうか」
あの日、大学のカフェテリアで見せた光が再び最上の瞳に宿ったのを見て、柚希はゆっくりと頷いた。