第九話 黄色い花の正体
「キノコおばあさん……?」
「昔の二つ名だが気に入っていてね。本名はミエコだよ。こっちじゃエミーナと呼ばれてる。アンタもエミーナと呼んでいいよ」
「エミーナ……さん」
「ああ。そういやアンタの名前もまだ聞いていなかったね」
エミーナがカップを両手に包んで手を温めている。
年の暮れも差し迫った日本とは少し季節がずれているのだろう。体感的には春か秋。しかしこちらに日本のように四季があるのかどうか柚希は知らない。
エミーナのおかげで森を抜けられたとはいえ、ここは森にかなり近く、雨が降っていたこともあって肌寒かった。
「はじめまして。ユズキ、ミモリです。さっきはありがとうございました」
エミーナは目を細めて微笑んだ。
「こちらこそ、ごちそうさま。久しぶりに肉を食べたよ。何しろこの婆さん一人じゃ獣を狩るのは難しくてね」
柚希はエミーナのおどけた様子にプッと吹き出した。
「ああ、笑うと可愛らしいじゃないか。どうしてそんな男の格好をしてるんだい」
「男の格好……ですか?」
与えられたものを着ているだけなので、柚希には分からない。改めて自分の着ているものを見つめた。
「何か事情があるんだろうけどね。聖輪神殿から来たばかりなんだろう? 行くところがないんなら、しばらくゆっくりしていくがいいよ。干し肉が出来るまでまだ日がかかるからね」
「ひぐりにこ……ねーてる?」
「大きな石がたくさんある所にトリップしてきたろう?」
覚えていないのかい? とエミーナが呆れる。
柚希は慌てて首を横に振った。
「昔、この世界の……なんだか力の強い神様を祀っていた神殿跡らしいよ。今は読めるものも少ない古代の祭文を使った魔法で次元の扉が開くとか何とか。シルヴィアが言っていたが、アタシも実はよく分かってないんだけどね」
「シルヴィア……さん?」
「アタシの茶飲み友達だよ。それでアンタは何をこの世界に求めて来たんだい?」
柚希は口ごもる。ここまで親切にしてもらっていながら、本当の事を話せないのは心苦しい。
「モルバニア王宮に行きたくて」
エミーナは少し目を見開いた。
「都城に行くのかい。そりゃ……ちょっとどころじゃなく遠い道のりだねぇ。路銀もいるだろうし……そうだ! アンタの狩った獣の肉と毛皮を売って金にすればいいよ。この前の街道を東に行けば一番近い街がある。ローダと言うんだがね。アタシも自分で賄えないものは、そこで揃えるのさ。なあに、あと二頭や三頭狩って行けば結構な路銀になるよ」
なぜかエミーナは突然目をキラキラさせて張り切り始めた。
柚希はあまりゆっくりもしていられないのだが、それを言い出すには理由がいる。どうしたものかと視線を落とし懐に入れた皮袋の存在を思い出した。
「あ、あの」
言いかけて止まる。財布の中身を見せるのは、いくらエミーナが親切な人でも気を許し過ぎる。
「狩ってきます」
早くモルバニア王宮に行かなくては。
柚希は手斧をエミーナに借りると、森の中を逃げて疾走する野生のラグーナを追いかけ回した。
柚希が捕まえた二頭のラグーナは、柚希の手によって肉と毛皮と骨にされた。エミーナはさらに柚希にラグーナの肉を塩漬けにし、燻して干し肉を作る方法を教えた。
ラグーナの干し肉は味と見かけはベーコンに近く、ビーフジャーキーのように繊維質で硬い。水で煮込みスープにしたり、ナイフで薄く削いでそのまま食べたりするという。
エミーナに教わって縫った布袋に売る分の干し肉を入れ、毛皮を巻いて蔓で縛り荷物をまとめると、柚希は取り分けておいたラグーナの干し肉をひと山、テーブルの上に置いた。
「お世話になりました」
エミーナの家にいる間に、この世界の食べられる野草なども教えてもらった。
中毒症状を起こして担ぎ込まれる人々の介抱を手伝ううちに、その対処方法も知った。
感謝してもしたらないほどエミーナには感謝している。
自分では狩れないと言いつつもエミーナは肉が好きなようだったから、柚希はお礼にラグーナの肉を置いていくことにした。
「都城でシルヴィアに会ったらよろしく言っておいておくれ。また茶飲みにおいでってね」
「はい」
「ユズキの旅に神様の加護があるよう祈っているよ。またいつでもおいで」
「お世話になりました」
「サバラ、ユズキ」
「サバラ、エミーナ」
さようならとモルバニア語で挨拶を交わし、エミーナにお辞儀をすると、柚希はエミーナに見送られながらローダに向かって歩き出した。
どこかで子どもの泣いている声が聞こえる。
エミーナの家を出て、街道を雲の流れる方向に進んでいた。
どこか懐かしいような風景が左右に広がる。
涼しい風が吹きわたり、黄色い野の花が揺れた。
可憐だがこれは毒草だ。
高校の頃からそういうものに興味のあった美桜が柚希に教えてくれた。いや、脅された。
身近な花壇や花屋にはそういう花もあるのだと。
柚希は声のする方向を探して、首を巡らせた。
一人の少年が地面に四つん這いになり、傍にいた少女が泣いている。
柚希は彼らに向かって走り出した。
「どうしたの?」
泣いている少女が顔を上げた。
「おにいちゃんが……エポックが……□△*☆!」
少女の説明は不明瞭でよく分からない。柚希は困り果て、蒼い顔で蹲っている少年を観察した。
吐瀉物が地面に広がり、黄色い花びらが辺りに散っている。
「これ、食べた?」
黄色い花びらをつまみ上げて、しゃくりあげている少女に見せると少女はこくんと頷いた。
柚希は早速応急処置をする。
毒花はきれいな反面、死に至る毒を持つものが多い。幸い少年はみずから直ぐに吐き出していたので、大事には至らなかった。
ぐったりした少年を抱き上げ、少女の案内で彼らの村へと向かう。
「お兄ちゃん、騎士さまみたいね」
すっかり泣き止んだ少女がはにかんで言うのを、柚希は複雑な思いで曖昧に微笑んだ。
彼らの村は街道を少し離れた場所にあった。
農村なのだろう、畑が村の周りを囲んでいる。その中心にレンガと土で作った家が並ぶ。数は五十もない。
そのひとつに案内されると、少女の呼び掛けによって女が飛び出してきた。
その女は柚希の腕から少年を受けとると、奥の寝台に少年を寝かせた。
「あの、助かりました。チカが言うには、グレッグはエポックの花を食べたとか……?」
少年の母は不思議そうに言った。グレッグというのがさっきの少年の名前なのだろう。チカは柚希の膝に座っている少女の名だ。名を呼ばれたとたん、にこにこと柚希を見上げたから分かった。
温かなお茶がカップに注がれ、柚希の前にもひとつ置かれた。
「エポックはねー、甘くて美味しいの~。でも今日のグレは苦いってぺってして、オエッてたのー」
どうやら兄妹は、日常的にエポックという花を食べていたらしい。
柚希はチカの頭をクルリと撫でると言った。
「あれはおそらくエポックではなく、フクジュソウです。毒草なんです」
膝からすり抜けたチカが絵本を持って戻ってきた。
騎士とお姫様の恋愛物語のようだが、挿し絵の騎士のあしもとに黄色い花が描かれていた。それを指差してチカが「エポック! エポック!」と喜んだ。
なるほどパッと見た感じがフクジュソウとよく似ている。
チカとグレッグの母は顔を青ざめさせていた。
福寿草は本当に毒草です。絶対に食べないで下さい。
作品中の致死量や症状、対処方法はフィクションですので、参考にはなりません!!
参考にしないでください!!
この先、そういう場面がいくつも出てきます。