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「法螺會」課題

雪女 後日譚 ( 南天の実 ) 

作者: 齋藤 一明

 とろとろと小さな炎が揺らぐこともなく、筆の穂先を煤けた鉄瓶にのばしている。ついさっきまでシュンシュンと湯気を立てていた鉄瓶は、たっぷりの水を入れられ、ただ重そうにガンギに下がっていた。今夜は大晦日。いつもなら子供部屋に追い立てられる幼子までも、今夜は広間で囲炉裏を囲んで夜更かしなのだ。

 囲炉裏をぐるりと囲むように布団が敷かれ、幼子ははしゃいで布団の上を駆け回る。それを姉が追い、母親が追う。お婆さんと、そのまたお婆さんは、目尻に皺を寄せてニコニコしているだけである。

 囲炉裏の一角に座を占めた父親と、お爺さん、そのまたお爺さんは竹筒で暖めた酒を湯呑みに注ぎあっていた。


「さあさあ、もう遅いから寝なきゃ。今夜はみんなで寝るから嬉しいねぇ」

 お婆さんは幼子をつかまえると、抱きかかえたまま寝床に誘った。

「じゃあ、何かお話ししてくれる?」

 幼子といってももう小学校の高学年なのだが、そのおねだり攻撃に、お婆さんは困った顔をした。自分が話して聞かせることができるのは、もう何度もした話ばかりなのだ。だけど、寝かしつけるためには何かを話してやるのが一番なのだろう。


「そうかぁ、お話しが聞きたいのかぁ。だけど、お婆ちゃんだってたくさん知ってるわけではないから……。どんな話がいいの? 思い出してみるから、言ってみて」

「うーんとねえ、何がいいかな」

 幼子は目をキョロキョロさせて薄暗い広間をさぐっていたが、床の間に飾った雪うさぎに目をつけた。ついさっき、家族揃って雪うさぎを作ったのである。家族全員で雪うさぎをつくり、温かい甘酒を飲むのが大晦日の恒例行事なのだ。その雪うさぎは、盆に載せられて床の間を飾っている。そして、そこに飾られているのは、曾婆さんと幼子が作った二匹だけだった。


「雪うさぎ? うーん、お婆さんはその話を知らないよ」

「えぇーっ、雪うさぎの話がいい! ねえ、ゆぅきうさぎぃー」

 納得せずに駄々を捏ねる幼子に手をやいたお婆さんは、困ったように大婆さんをうかがった。

「よし、じゃあ雪うさぎの話をしてあげよう。(かえで)も高校生になったことだし、そろそろいいだろうね」

 何度か頷いた大婆さんはそう言うと、幼子とともに、娘になった楓を両脇に呼び寄せて布団をかけた。


「蛍光灯が点いてたらできない話なんだよ。真っ暗でなきゃだめな話なんだけど、どうする?」

 大婆さんは、二人の目をのぞきこんだ。

「真っ暗でなきゃいけない話なんて初めてだよね」

 いつもと違う雰囲気を感じ取ったのか、高校生になった楓は興味を示している。対する椛も、夜中まで起きていることが許されたのだから興奮の頂点にあった。

「私だって、もうすぐ中学生なんだから、お、おトイレくらい一人で行ける」

 大婆さんは、優しく笑んで頭を撫でてやった。

(もみじ)は雪女の話を知ってるかい?」

「雪の山で旅人を凍らせて、魂を吸い取ってしまうお化け?」

 幼子はすかさず応えた。

「そうだよ、よく知ってるねぇ」

「そりゃあ、もう何回も聞いたから」

「そうだね。だけど、その話に続きがあるのは知ってる?」

 楓も椛もふるふると首をふった。

「そろそろ楓はそれを聞いておかなきゃいけない歳になったから、思い切って話してあげようね」

 大婆さんはそう言って布団を頭から被ると、そこへ楓と椛が頭をつっこんできた。


「雪女の最後はどういう話だったかな?」

 真っ暗になったところに大婆さんの声だけが流れた。酒を酌み交わす父親たちの話し声すら、布団が吸い取ってしまうのである。まるで雪女の住む世界のように、しんと音のない世界であった。


「誰にも言わないって約束を破られたお雪が男を凍えさせようとしたけど、自分の子供がかわいそうになって、そのまま雪の中に消えてしまった」

 椛が小声で答えた。

「よく覚えているね。じゃあ、今からその続きを話してあげるからね……」

「続きがあったの? 学校でもそこまでしか先生は言わなかったよ」

「みんなが知らないだけでね、続きがあるんだよ。じゃあ、始めるよ。雪女の名前はなんだった?」

「おゆき」

「そう、お雪だ。ちゃんと覚えているね。お雪はね、家を出ると雪の中を素足で山奥へむかったんだよ。しんしんと……」




 お雪は家を出ると、しんしんと降り続く雪のなかを山奥めざして歩いて行った。薄物一枚しか着ていないお雪は、いつしか肩や頭にこんもりと雪の山をつくっていたというのに、寒がりもせず、疲れた様子もなく、ただ黙々と山奥を目指した。お雪の足跡は、すぐに風が消してしまう。こんこんと降り積む雪が、窪みをうめてしまう。だから、お雪が通った一時間後にはすっかり見分けがつかなくなってしまった。

 しかし、お雪にも異変がおきていた。以前のように空中を滑ることができないのだ。それはきっと、人として生きたことの罰だったのだろう。いくら頑張ってもくるぶしまで埋まってしまうのである。がそれは、深山の霊気がお雪に味方してくれたからで、それがなければずっぽり埋まってしまうのだ。それほどにお雪の霊力は弱っていたのである。にもかかわらず、お雪は涙を流していた。

 残してきた娘の行く末が案じられる。裏切られたことへの悔しさがある。人と通じてはならぬという掟を破ってしまった。そして、霊力の源である人の魂を我慢し続けたことへの後悔もある。


 涙は溢れ続けた。どこにそんな水気があるのかと驚くほどに溢れ続けた。折から厳しい冬である。夜が明けても厚く覆った雲が陽を遮るので、溢れた涙が薄氷になった。それでも後からあとから滾々と溢れ続けた。

 そして涙はツララとなり、その尖った先からポタポタ足元を濡らす始末である。


 幾夜かすぎた時、お雪の足元は完全に凍り付いていた。ビュービューと吹き付ける風もお雪を動けなくする原因だった。じっと立っているだけなので、体中が凍り始めていたのだ。

「悔しい……、あぁぁ……くやしい……」

 寒さを感じないことが反ってお雪を身動きできないようにしていたのである。

 愛し子を招きよせようとでもするのか、軽く肘を曲げたまま腕は動かなくなっていたし、背をまるめ、腰を屈めた姿勢のまま固まってしまっていた。

「霰ぇ……、あられやぁ……、あ  ら  れぇ……」

 それを最後にお雪の嗚咽は途絶えた。


 冬の切れ間に強い陽がさすことがある。雪の原にぽつんと立つお雪は、完全に氷となっていた。

 飛んできた小鳥でさえ、自分の姿を映す柱に仰天し、チチチチチ……

 鏡のようになったお雪をかろうじてかわすほどにピカピカになっていた。


 春の訪れは凍りついた山を融かすことから始まる。葉を落とした楢やブナとともに、お雪も徐々に融かされてゆく。お雪だった柱から、ゆらゆらと湯気が立ち上ってゆくのを誰も見てはいなかった。


 強い悔いを残したお雪は、湯気となって天に上った。そして、雨となって地上に降り立ち、人に姿を変えて愛し子の行方を捜したのである。

 旅の娘となって諸国を巡り、冬になったら姿を消した。次の春には尼となって諸国を巡った。

 五年も十年も探し続けて、お雪はようやく愛し子、霰をみつけたのである。

 遊女になっていたお雪は、ふとしたことで霰の消息を知った。そして、どんな暮らしをしているかも知ってしまった。

 その、あまりの惨さに、お雪は火事場に身を投じてしまった。悲しみのあまりに命を絶とうとしたのではない。娘を救うために、天に上ろうとしたのだ。


 湯気となったお雪は、霰の暮らす百姓家の田や畑に雹となって降り注いだ。そうして作物を全部だめにすると、またしても天に上ったのである。


 ある時は大雨となって洪水をおこし、ある時は山津波となって家を押しつぶした。そうしておいてすぐにまた天に上るのである。

 霰が幸せな暮らしをするようになるまで、お雪はそうして見守り続けた。


 やがて霰も大人になり、慎ましいながら幸せな暮らしをつかんだ。お雪は、それが嬉しくて、ついに霰のそばで暮らすことを強く望んだ。



 ある雪の夜、お雪は霰の家をほとほと叩いて救いを求めた。

「夜分に申しわけありません。旅のものですが、雪に閉じ込められて難渋しております。今夜だけでけっこうですので、土間の片隅でも貸していただけないでしょうか」

 よろばうように救いを求めたお雪を、霰は快く迎え入れた。暖かい座を勧め、囲炉裏で粥を煮てもてなした。

 が、翌朝は吹雪であった。世話になったと出立しようとするお雪を霰は宥め、とうとう雪解けまで面倒をみたのだ。

 旅の行方を訊ねる霰に、お雪は力なく首をふることで応えていたが、ついに、行き別れの娘をさがす旅だと打ち明けてしまった。


 ある日、お雪と霰は雪うさぎを作った。

「私の雪うさぎは、なかなか融けないのですよ」

 霰は自慢げに自分の雪うさぎをお雪に見せた。真っ白な胴体に鮮やかな椿の葉がピンと立った兎そっくりの耳である。それなのに、肝心の目が入っていなかった。


「そうだよ。あんたの兎は簡単に融けはしない……。目がないのは?」

「どうして融けないのを知っているのですか? 誰にも言ったことなんかありませんよ」

 霰が不審げに言った。

「目がないのはどうして?」

「いつだったかなぁ、まだ子供の頃でした。奉公先の友達がつくっているのを真似て覚えたのです。そのとき、お母ぁ、達者でいろよって言いながら南天の実を……」

「……」

「私……、母親がいないのです。小さい頃に家を出たまま……、どんな顔なのかも知りません」

「だから目がないのね?」

「ねえ、どうして私の兎が融けないのを知っているのですか? 教えてください」

 真正面から見つめられ、困り抜いたお雪はそっと袖をたくし上げた。そして、それを霰の腕と並べた。

 つられて袖をたくし上げた霰は、瓜二つの腕が並んでいるのを見た。

「ま、まさか……」

 誰にも負けない色白の肌が、そこにもう一つあった。


 お雪は、苦しみながらこれまでのことを語って聞かせた。自分が、実はこの世のモノではないことも打ち明けたのである。

 突然にそんなことを言われて信じられるものではないことも十分わかっていた。

「だからお前の兎は融けにくいのだよ。嘘だと思うのなら、わたしの目を見てごらん」

 言うなり、お雪は黒い目をぱっちり開けた。

 霰がそれを覗き込むと、奥のほうで赤い炎がチロチロゆらぎ、しだいに真紅に染まったのである。


 自分が化け物だと知られたからには、お雪はそこに居続けることはできない。すぐにでも家を出ることにした。


「待って、もう会えないの?」

 霰は悲しそうに呟いた。

「じゃあ、会える方法を教えてあげよう」

 お雪は、じっと考えた末に、その方法を語りだした。


「この峠を上ったところに細い脇道があるから、そこを上るんだよ。そうすると古い社があるんだ。社の裏に小さな扉があるから、中を見てごらん。真っ暗な中にひとつだけ赤く光る鏡があるはずだよ。それを持ってお帰り。その時、両脇の鏡も一緒に持ち帰るのだよ。大きい鏡は神棚に、小さい鏡はお護り袋にいれておくといい。光った鏡は神棚の脇に置いておくれ。三枚の鏡は、誰も触れることができない。盗人にだって奪われないから安心するがいい。会いたくなったり、困った時に光った鏡を見つめてごらん。お前が私の子だということがわかるはずだ。鏡に映るのは私だよ、おまえじゃない。見つめている間に、私が必ず現れるからね」

 そう言ってお雪は、持っていたお金を全部霰に持たせると……



「……持っていたお金を全部娘にやって、雪に埋もれた山の中に姿を消したんだよ。……これが本当の話だよ」

 語り終えた大婆さんは、ぼおっとした珊瑚玉のような目で楓と椛を見つめた。

「大婆ちゃん、目……光ってる……。椛、大婆ちゃんの目が光って」

 赤珊瑚のような深い赤色の光が皺の中で光っている。含み笑いをすると明るさが増し、またすうっと蝋燭ほどに暗くなる。初めてそれを見た楓は、驚いて椛に教えようと振り返った。すると、妹の目も淡いピンクに染まっている。

「ほんとだぁ、大婆ちゃんの目、光ってる……。ああっ、お姉ちゃんの目、眩しい」

「二人とも、光った、ひかった……、よかったねぇ」

 大婆さんは、二人の目が光を放つのを嬉しそうに見た。そして、光るのが当然とでも言いたげなのだ。

「ねえ、どうして光るの? 私たちおかしいの?」

 椛が先だった。互いの目を見比べて慌てるばかりだった二人が、少しづつ落ち着きを取り戻すのにずいぶんの時間がかかった。

「ふふふ、どうしてだろうね、当ててごらん」

「そんなの、わかんないよー。大婆ちゃん、教えてよー」

「今の話を聞いてたらわかるはずだよ。さあ、思い出して」

「まさか……、今のはただのお話でしょう?」

 楓の声がかすれている。たった今聞いた話がヒントとするならば、あまりにも荒唐無稽な答しか思いつかないのだから。

「さぁね。……なら、どうして光るのだろうね?」

「じゃ、じゃあ、私のご先祖はゆきおんな? ば け も の?」

 楓の声は、囁きに変った。自分が化け物の子孫だなんて、想像すらしたくないことなのだ。

「いーや、力を受け継いではいるけど、人間だよ」

 おお婆さんは、優しく言った。

「力って? どんなちから?」

「椛も、お姉ちゃんくらいになったら教えてもらえるよ。だけど、このことは誰にも言っちゃいけないよ。友達が一人もいなくなってしまうからね」

「ふうん、そうだったのか。でも、どうして年頃になるまで話してくれないの?」

 真紅の光をギラギラさせた楓がぽつりと呟いた。

「だって、子供に話したって嘘だと思うからねぇ」

「私は嘘だと思わないよ」

 椛は、ピンクの目玉をキョロキョロさせながら言った。

「そうだねぇ、信じるよねえ。二人とも、きれいに光って……、初めて光ったねぇ。さて、話はこれでおしまい。除夜の鐘が鳴ったら、皆でご先祖様に挨拶しようね。楓も椛も、きっと鏡の中にご先祖様を見るはずだよ」


 話し終えた大婆さんが布団から頭を出すと、部屋の中は囲炉裏の灯りだけになっていた。

 すでに酔いがまわった男どもは、意地汚く酒を飲んでいる。薄暗くなった部屋の中を飛び交う五対の赤い光など、まったく気付かずに。


 五対の光を集めた鏡が、うすぼんやりとした光を黒光りする梁にともすのに合わせたかのように、床の間も淡い光に満たされていた。三日たっても融けない雪うさぎの南天が、紅玉のように小さく瞬いていることを誰も知らない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 時間と云うものをとても感じた物語でした。 脈々と受け継がれていく血の流れ。それぞれの人生の時間。そして未来へと向かっている子等の時間。静かでとても豊かな、語られている間中流れている時間。 …
[良い点] まるで、本当に目の前で語り部が語るような作品ですね。真似出来ないなあ! こういった語り口調の物語は齋藤さんの真骨頂だなと思いますよ。
2014/12/21 13:38 退会済み
管理
[良い点] 一つひとつの言葉の選び方が、描写をより鮮やかにしていると思います 炉端で騒ぐ家族・・・幻想的に飛び交う紅い光・・・ >力を受け継いではいるけど のくだりで名前の季節が秋に変わっていることに…
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