旦那様に好きな方ができたと聞いたので、別れ話を切り出してみました
以前書いていたものを、勉強の息抜きに改稿してあげました。八月いっぱい顔見せできませんので、とっておいた品です。
よろしかったらどうぞ。
旦那様に好きな人ができた。
そんな噂を茶会の席で聞いたとき、わたしはいよいよ「出て行くときが来たのだな」と思った。
そもそもわたしたちの関係は、家同士の政略結婚だ。そこに愛はない。こんな無愛想かつ無遠慮な女に、今まで何も言わなかった彼のほうが可哀想なのだ。つまり、こんな女と結婚してしまった彼が不憫。
わたしは正直、結婚になど興味はない。一生結婚しなくてもいいと思っている。現に弟が跡継ぎなのだから、わたしが子どもを産まなくてはならない事情はないのだ。
「なら、荷造りでもして、出て行く準備でもいたしましょうか」
そのほうが彼としても、清々するでしょう。ただ家同士がうるさいかもしれないですね。相手がわたしより下なら、なおさらです。
しかし噂では、公爵家のご息女と恋に落ちたらしいです。わたしは侯爵家だから、むしろ向こうとしては嬉しいでしょう。
だからこそわたしは、今日の夕食時に、それを彼に切り出そうと思っていました。
「ただいま帰りました、メイリーン」
そうこうしているうちに、旦那様が帰ってきました。
「おかえりなさいませ、フェルミシュオン様」
笑顔で迎え入れれば、フェルミシュオン様は無表情のままこくりと頷かれます。
「相変わらず、無表情ですね」
「すみません、愛想笑いもできないものでして」
こんな会話が、わたしたちの日常。
そういう意味で言ったわけではないのに、どうしてわたしはキツイ言葉ばかり吐いてしまうのでしょう。
あれかしら。「顔が綺麗なのですから、笑ったほうがいいですよ?」とかのほうが良かった? でも、これはこれで嫌味に聞こえないかしら?
ひとまず自分の中だけで反省し、彼から上着を貰います。それをメイドに任せ、わたしたちは二人で食卓につきました。お食事の方針を決めたのは、旦那様です。
旦那様は、城でお勤めをさなれている素晴らしい人です。最近では悪事を働く貴族だって多いのに、旦那様は民のために尽力を尽くしています。
やっぱり、今日中に言ったほうがいいわ。
わたしは一度フォークをおき、旦那様の名前を呼びます。
「フェルミシュオン様」
「なんでしょうか?」
フェルミシュオン様は、わたしなどに興味はないというように、淡々と食を続けていらっしゃる。
まだ美しいのに、わたしに縛られるべきではないわ。
そう思いつつ、わたしはこう口にしました。
「フェルミシュオン様に好きな方ができたと伺いました。別れましょう」
カ、チャーン。
わたしは自分で言っておいて、その音に驚きました。
だって、あの、冷静沈着で完璧なフェルミシュオン様が。
ナイフとフォークを落とすだなんて。
わたしはこの家に来て、初めて慌てました。
「フェ、フェルミシュオン様? や、やはりわたしから別れを言われるのはご不快でしたか? ああ、なら仕切り直しまして……どうぞ」
「いや、待ってください。あなたは一体、何を言っているのですか」
旦那様が、その麗しい顔を歪め、わたしに向けてそう言う。
わたしは首を傾げました。
「茶会の席で、ステラリンデ公爵家のご息女と恋に落ちたらしいとのお噂がありましたので」
「……誰がそんな噂を」
フェルミシュオン様はひとつ、ため息を吐き出された。頭を抱える旦那様に、わたしの疑問は深まる。
もしかして、わたしの勘違いだったとか?
それなら、早とちりもいいところだろう。
わたしは素直に頭を下げた。
「申し訳ありません、フェルミシュオン様。わたしの早とちりだったようで」
「……待ちなさい、メイリーン。君はこれからもそんな噂があるたびに、わたしと別れると言い出すつもりでしょう?」
「あら。何故お分かりに?」
フェルミシュオン様が、さらに頭を抱えてしまわれた。
するとフェルミシュオン様は、食事もそこそこに立ち上がる。そしてわたしの手を引くと、リビングを出て行ってしまう。
「え、フェルミシュオン様っ?」
「君とは一度、ゆっくりと話をしましょう。君はどうやら、思い込みが激しいようですから」
そうして連れて行かれたのは、旦那様の書斎だった。
わたしは初めて入ったそこに、視線を奪われる。
「まぁ……綺麗」
そこには、数々の魔導具が置かれていた。
魔導具を動かすために必要な鉱石もあり、思わず触ってしまいたくなる。しかしここは、旦那様の部屋だ。なら、触るのはいけないだろう。
わたしはそう思い、ぐっと我慢した。
フェルミシュオン様はわたしを、書斎の奥の客間に案内した。そこのソファに腰かければ、向かい側にフェルミシュオン様が座る。
そして彼は、手を組んだ。
「まず、メイリーン。君は酷い勘違いをしています。わたしは君以外を妻とする気は、これっぽっちもありません」
「……そうだったのですか?」
てっきり、ぽいっと捨てられてしまうのかと思っていました。
心の中でそうぼやけば、フェルミシュオン様は頭を抱えてため息を吐く。
「……捨てるわけがないでしょう。あなたのような女性は、他にいるはずもない」
「……フェルミシュオン様のお力も、お姿も、大変美しいと思うのですが」
フェルミシュオン様が気になさっているのは、ご自身のその姿だ。
美しい銀髪に、紫色の右の瞳。そして髪で隠すようにしている、燃えるような左の真紅の瞳。
フェルミシュオン様はそのお姿から、縁談を幾つも蹴られているのだとおっしゃっていた。
そしてその瞳に拍車を掛けるのが、旦那様のお力だ。
旦那様は、他人の心の声が聞こえてしまうのだ。
だからどんなに素晴らしい令嬢と話してても、本音が聞こえてくると嫌悪感を抱くらしく。
わたしは心で思ったことは大抵口に出してしまうため、その嫌悪感がないのだとか。
その上旦那様は、夜になられるとお姿が変わられる。黒髪に両目が赤く染まった見目になられるのだ。悪魔のようだ、と陰口を叩かれているのを、わたしは知っています。
わたしからしてみたら、悪魔も褒め言葉ですが。
外を見れば、日が暮れ始めている。それとともに旦那様の姿が変わるのを、わたしは心を踊らせて見つめていた。
やっぱり、綺麗。
思わず触ろうとして、手首を引かれる。
気がつけばわたしは、旦那様の足の上で、膝をつくように座っていた。
黒髪へと変わられた旦那様の頭が、直ぐ真下にある。思わず触ろうとしてしまったわたしに、旦那様は声をあげて笑った。
「メイリーンは本当に、とても面白いですね」
「はあ……フェルミシュオン様がお美しいのは、わたしでなくとも分かると思いますが?」
そう言えば、また笑われる。フェルミシュオン様は、とても楽しそうだった。
「……メイリーンくらいですよ。わたしの姿に、美しいなどと言うのは」
宝石のように輝く瞳の縁を、なぞるように触れる。するとフェルミシュオン様が、冷たい手でその手に触れた。
「やっぱり、とても綺麗です」
「気味悪がるのが、一般的ですよ」
「いいえ。綺麗です」
もしかして、そのことを話して振られてしまったのかしら。
それなら大変。フェルミシュオン様は今、とても深い傷を負われているんだわ。
どうしたら治せるか、考えてはみたものの、一向に案は浮かばない。するとフェルミシュオン様は、また笑った。
「君は本当に、面白いことばかり考える」
「どうせ口から出るので、筒抜けでも構いませんから」
むしろ、言わないでいいのは楽です。口を動かす手間が省けますからね。
今度は旦那様が噴き出した。
フェルミシュオン様が爆笑する。
「フェルミシュオン様、えーっと……」
「ふふ……本当に慰めたいと思っているなら、ひとつだけ約束して欲しいのですが」
「はい?」
改まった調子のフェルミシュオン様に、わたしは首を傾げます。
そして続いて出てきた言葉に、目を見開きました。
「君の全てを、わたしに渡しなさい」
ぞくりと、赤く染まった目がわたしを射抜きます。それにわたしは、すっかりやられてしまいました。
回らなくなった頭で肯定すれば、フェルミシュオン様が見たこともないくらい、美しい笑顔を浮かべます。
「はじめから、こうしておけば良かったのですね」
そのままわたしを抱きかかえたフェルミシュオン様は、寝室へ向かわれる。それから三日ほど、わたしはベッドから出られなくなってしまった。
***
それから、わたしは嫌と言うほど彼に愛されていることを伝えられた。先日の初夜もそうだけれど、彼としてはわたしの勘違いを、払拭しようとしてくれたみたい。
でも、わたしとしては恥ずかしさのほうが酷い。日常生活や合間合間に「愛しています」とか「好きです」とか「離しません」というのは、反則だと思うのです……!
すっかり彼の虜になってしまったわたしは、今では彼なしの生活なんて考えられないくらい依存しています。
「メイリーン。あなた相手に容赦していたわたしが馬鹿でしたよ」
「……それってつまり、どういうことなのでしょうか?」
とりあえず、わたしから言えることは、ひとつ。それはフェルミシュオン様の美しい笑顔、そしてふたつの美しい姿。そのどちらも拝見できているわたしは、世界で一番の幸せ者だということです。