ぬいぐるみは、もう泣かない。
「この人形は夜な夜な涙を流すのです」
さめざめとリサイクルショップの店員は言った。
何故に怪談風。
「や、つうか、ソレ『人形』じゃないよな」
「はあ。まあ、そうっスね。そう見えますよね~」
泣き真似を止めた店員はけろりと頷く。
「いや、『人形』には見えないから」
あははと笑う店員の腕にはふわもこなぬいぐるみが抱かれている。
大きさは大人の猫よりも小さい。体長は五百ミリペットボトルより少し小さいくらい。手足は太く短く、身体も丸い。河馬をデフォルメした様なフォルムだが、長毛種の猫の様に毛足は長く、たてがみが有り、尻尾は体長と同じくらいか、もっとあるかも知れない。
「『人形』は少女型のアクトロイド。どうやったらぬいぐるみと間違えるんだか」
人形遊びは格段に進化した。
紙を人の形に切り抜いて、思い思いのドレスやら小物やらを切り抜いて着せ替えたり、寝かせると閉じていたまぶたが、起こすと開く赤ちゃん人形、ミルクを飲ませられる人形、中にはボーイフレンドが居る設定を持つ人形なんかもあったが、それは過去のこと。
今では人間を模した機械、アクトロイドが人形遊びで用いられる。
最近は特に仕草や見た目を人間に近付けてあって、だからこそ髪や目を自然ではありえない人工色にしてあるらしい。もちろん人形遊びは子供のもの、少女達の好むアニメやマンガに出て来るようなピンクや青といった需要の問題でもあったのだ。
「コレは『人形』っスよ。ボディの損傷が酷くて、感情回路や思考回路しか無事に移せなかったんスけど。神経回路もまあ、無事な分をツギハギして移行してるんで。動くっスよ~」
あっけらかんと言い放たれた言葉に、ぽかんとしてしまった。
「いいのか、それ」
リサイクルショップでは、家電と同じ様に『人形』を買い取り、修理し、また売る。新品でも中流家庭なら手が届く、まあ多少値が張る品だ。ポンポン買い替えられないし、学習や持ち主との交流によって同じ型でもキャラクターが変わってくる為、実質一点モノ。子供時代の友達に愛着が湧いて手放したくないと思う子供が多い。
だが、その一方では違法投棄やリサイクルされる人形も居た。
違法改造を施されたり、何らかの理由で酷く損傷したりした人形達だ。
そういった人形達を扱うのは基本禁じられているが、きちんとした手続きを踏んで違法改造の跡を除去したり必要な処理と修理を施したならば、売る事は出来る。
但し、それを怠ったり処理や修理が不十分なまま客に売りつける店があったりするので、リサイクルショップでの購入は新品と比べてかなり安価だが、その分信頼出来る店や技術者を選ばなければリスキーで後が怖い。
極稀に違法改造すれすれの修理を施す技術者も居るのだし。
「ボディが壊れたからって、ぬいぐるみに移植とか大丈夫なのかよ」
「元々乗せ換えが利くタイプの人形なんスよ。ホラ、ちょっと前にあったっしょ。外見変えられるヤツ」
人形に詳しいわけではないのでそういわれても困る。
「あれね、初期の頃流通したバラバラに出来る人形と違ってボディが頑丈じゃなかったんスよ。でも中枢は取り外し可能な分、丈夫に出来てたんで」
怪しい。というか。
「俺、掃除機買いに来たんだけど」
人形が欲しいわけではない。大体、人形は少女達の遊び道具だろう。
「人形は教えたら家事も出来るっスよ。まあ、この子は小さいんで、狭い隙間に入ってモップ犬みたく自分の毛にゴミやホコリをからめ取るくらいしか出来ないっスけど」
「どうなんだソレ」
「でもしゃべりますよ。夜泣きますけど」
掃除機を買いに来たというのに。
「可愛い女の子の声が出て、自分で動くぬいぐるみとか可愛くないスか?」
「小さい女の子なら喜びそうだがな。俺は成人した大人の男だ。そして、家を空けてる間に狭い部屋を掃除してくれる掃除機が欲しいんだが」
仕送りの無い苦学生でなければリサイクルショップに入ったりしないんだが。入る店間違えたか?
「夜泣きするんス。お代要らないんで引き取って欲しいっス」
*
入る店間違えたな。一週間分の食料やら日用品やら重い荷物を抱え、家路をたどる。ベッドタウンは休日の昼間でも静まり返っていた。
工業地帯に近くすすけた空は、今日は曇ってなお暗い。更に気分が重くなる。だが、スモッグ混じりの雨に降られてはたまらないと歩調を速めた。
時折もぞもぞ動く胸元をポンポンと叩く。ピタリと動きが止まり、何やら嬉しげにすり寄られた。
ほだされたなあ。溜息を吐いて、これ何度目の溜息だろうと考える。それくらい溜息ばかり吐いた帰り道だった。
1LDKの狭いアパートに戻って荷物を下ろし、肩を回して腰を伸ばす。胸元が窮屈になったのだろう、「きゅう~」と苦しげな呻きが上がった。
「ああ、悪い。ほら、家に着いたぞ」
パーカーのジップを下げると、空色の毛玉が「ぷあっ」と大きく息を吸った。
身を乗り出して、というよりぐったり引っかかったまま、動かない。生き物ではないので酸素を必要としないハズだが。
「おい」
声を掛けても動かない。生き物ではない。だが、温かで、柔らかで、生き物そっくりで。
「なあ、おい、」
ちょんと、恐る恐るつついてみる。拳一つ分くらいの大きな頭がパッと持ち上がる。振り向いて、
「もきゅ?」
首をかしげた。大きな目だ。銀が散ったライムグリーンの人工虹彩が一瞬、金の瞳を拡散させ、そしてキュッと収縮させてから此方に焦点を合わせる。
昔から動物には弱い。明らかに人工の目なのに、目が合ったら情が移るのは変わらないらしい。
――動いてるとこ見たら絶対可愛いっス! 絶対っスよ! あ、自走式の掃除機も付けるんで! ね?
もう二度とあの店には行かない。
「きゅう!」
高い声が辺りに花を散らす様にハシャいだ。
丸い小さな指だか爪だか判らない部分がシャツを掴む。
「ハイハイ」
胸元に突っ込んでいたせいで乱れた毛並みをなでてやり、床に下ろす。じっと、キラキラと薄い緑の大きな目が見上げて来る。目尻が下がるのはしょうがない。だって、動物のこういう仕草は可愛いんだから。
「ちょっと待ってろよ。片付けるからな」
時計を見れば昼飯には少し遅いが、リサイクルショップで少し時間を食い過ぎたな、と思いつつ冷蔵庫の余り物を出し、買って来たものを詰める。日用品は押し入れに押し込み、チャーハンを作ろうとしたところで何かに足にまとわりつかれた。
何か、なんて自走式の掃除機を箱から出してすらいないのだから、わかりきっている。買って来たぬいぐるみだ。
「どうした?」
Gパンに爪を立て、必死によじ登ろうとしている。子猫みたいだ。
爪が短い上に丸いのでうまくいかず転げ落ちてきゅうと丸くなるところや、何が起こったのだろうと大きな目を瞬かせるところも。そして、飽きずに登ろうとして来るところも。エンドレスリピートだ。動けない。動くと確実に踏む。
仕方ない。
首根っこを掴んでパーカーに再び突っ込んだ。
「ぷふっ?」
「おう。いい子にしてろよ」
しばらくもぞもぞしてくすぐったかったが、いいポジションを見つけたのか大人しくなり、「きゅうきゅう」とすり寄られた。
チャーハンを食べながらふと、こいつ動物じみているなと思った。
此方のやる事なす事興味津々でじっと見ているくせに、油がじゅうじゅう音を立てるのにも、手首のスナップを利かせて具材をひっくり返すのにもびっくりして服の中に逃げ込んでは、そっとおずおず覗いてくる。学習機能がある人形達は好奇心旺盛に出来ている。だが、毛繕いやら何やらの仕草もあいまって猫の様だ。
「ごちそうさまでした」
残り物で更に夜食べるパスタを作り、冷蔵庫に突っ込んでから洗い物をした。
久しぶりに水回りの掃除なんかもして、ようやく書きかけのレポートに取り掛る。
いつからか雨が窓を叩き、手元が暗くなる。電灯を点け、風があるなあ、この分なら雨雲も直ぐ流れるだろうかと考えつつカーテンを閉めた。パーカーを脱いだら肩に腹ばいになっていたぬいぐるみが、歩く振動に肩口から落ちない様、爪を立てプルプルしながら必死に耐えている。
何だコレ。笑ったらダメか。
座るとぬいぐるみは胸を滑り落ち、今度は膝の上に陣取って馬の様に手足を折り身を伏せ、資料をあの短い爪でペラペラやって、多分読み始めた。目が真剣で、時折うんうんと頷いているのもシュールだ。
ダメだ、勝てる気がしない。
ふき出すとキョトンと見上げて来るつぶらな薄緑の目。こっち見んな。
「もきゅ?」って何だ。不思議そうに首かしげんな。何だコレ。
元々、『人形』は愛玩用だ。可愛いのは当たり前だろう。ぬいぐるみになっても可愛いのは変わらないらしい。
指であごをくすぐってやれば、目を閉じてあごを上げる。人工毛だが、なかなかの毛並みだった。牛の様に垂れた耳がぱたぱたと動く。体長より長いのではと思う尻尾もバサバサ振られた。全身で気持ちいいと示して来る。
まるっきり動物だ。こんなフォルムの動物はいないが。
水も食べ物も要らない、文字通り電気を食う生き物だと思えばいい。
連れて帰るにあたり飼う決心はちゃんとしたが、正直可愛いがってやれる自信は無かった。だが、案外大丈夫かも知れない。ようやく胸の中にすとんと落ち着いたのだった。
*
結論から言うと、夜泣きはしない。
最初の夜は店員の言葉を忘れていて、朝は出掛ける時にくっついてしがみついて離れないぬいぐるみに手こずり、それどころではなかった。ひっきりなしに動くので待機状態にもならず、仕方なく電源を切って出掛けたのは盗難を怖れてのことだ。ちょっと可哀想だったが仕方ない。
授業中にふと、あれ、夜泣きしなかったなと思い出したが、なにぶん授業だったので直ぐに思考が流れた。昼飯を食べてる間に再び思い出したが、考えてもわからない。
帰って起動したらぬいぐるみは引っ付き虫になった。たいそうな甘えたで、最早胸元が己の居場所と譲らない。拗ねているようだった。
寂しがり屋なのだ。側を離れると必死に追い掛けてくる。泣く。電源を落としても、自動電波時計が組み込まれている『人形』のOSは時間の経過に離れていた事を知って泣く。
多分、夜な夜な泣くというのは店に誰も居なくて寂しくて泣いていたんじゃないだろうか。電源を切っても多分泣いていたのだろう。
時々面倒だが、猫の様にプンプンして腕をぺしぺし叩く尻尾は可愛いし、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら鼻先と言わず、頭と言わず泣いてるせいで普段よりもっと温かな身体ごと擦り寄せて「むきゅう~きゅう~」と鳴くのも、可哀想だが、可愛いのだ。
が、外に連れて行くのははばかられて、結局出掛ける時には置いて行くのが常となっている。盗まれるに決まっているではないか。
有袋類よろしく服の胸に突っ込んでいるのも、どうなんだろうと思わないではない。だが、可愛いと思ってしまうあたり、もう大分頭がやられてる。
とまあ、そんな風に、結構うまくやれている。
マスター、くらいしかしゃべれないが知能は非常に高く、レポートの際自分と端末を繋いでネット上から資料を集めたり、資料を読み込んで必要なところに小さな爪で一生懸命付箋を付けるといった芸もする。仕込んでないのに。
えっへんと胸を張る仕草など、『人形』なんだなと思う人間くさい仕草も時折見せる。丸っこい身体なのでバランスを崩し、後ろに転がりパニックになってわたわたと手足をばたつかせるのがまた可愛い。
膝に乗せてやると、ぱああっと顔を輝かせ腹にすり寄ってくる。腹を見せて、「撫でて撫でて~」とでも言うようにキラキラした大きな目で見上げられて、手のひらで撫で転がしながらレポートをまとめようとペンをとる。
ベルベットの様な、とまではいかないが、上等な毛皮をもみ転がしながら、あの日、いい買い物だったなと不本意ながら思った。
「マスター、ダイスキ!」
ゴロゴロとすり寄るぬいぐるみの鼻先をつついて、俺も好きだよ、と笑った。