おぞましき魔王館
教会付属の小さな館で、俺は司祭や村人たちと向かい合って、テーブルについている。村人たちは、床にへたり込んでしまった俺を数人がかりで担いで椅子に掛けさせ、司祭が気付け薬を持ってきてくれたのだ。
「さぁ、この気付け薬をどうぞ。この教会に長らく伝わる秘伝の薬です」
司祭が大事そうに差し出してくれた容器には、何かの液体が満たされている。フンフンと匂いを嗅いでみると、あれ特有の刺激臭がした。
(・・・・これ、ラッパのマークの薬じゃないか・・・)
「少し匂いがきついですが、効果はてきめんですから、さ、ぐっとぐっと!」
「いや、これ、少し、なんてものじゃないんですけど・・・本当にこれ、飲むんですか?」
「この匂いが効果の源泉なのです。さ、思い切って、ぐぃっと一気に!」
俺が反射的に顔をそむけてしまったにも関わらず、自信を持って勧めてくる司祭をどうにも断り切れず、「まあ、基本的には下痢止めだからなぁ、身体に毒じゃないだろう」と多寡を括って、ぐい、と一気に飲み干した。
司祭の言うことは正しかった。
こんな激しい匂いの薬をコップ1杯も飲みされれれば、たいていの人は目が覚めるに違いない。というか、ちびちびと飲んでいたら、絶対に飲みきれない代物だ。一気飲みしない限り、こんなものを胃に収めることはまず不可能だろう。
顔をしかめて、思わず舌を出してしまった俺を眺めながら、司祭は満足そうな顔をしていた。おそらく、この薬を飲まされた者が誰でも見せる特有の表情であり、薬が効いている証拠、だと理解されているのだろう。
「ところで、勇者サマのお名前、まだ伺っておりませなんだ。ぜひ、お名前をお聞かせくださいませ」
「はぁ、浜島健一郎と申します。この辺りには少ない名前だと思いますが・・・」
「・・・ハマジマケンイチロウとは、ずいぶんと長いお名前ですね。で、苗字はなんと言われますか?」
「あ、いえいえ、苗字がハマジマ、名前がケンイチロウです」
「ああ、なるほど! 道理で名前が長すぎると思いましたよ。この辺り風にすると。ケンイチロウ・ハマジマ、というわけですな。ケンイチロウ様でも長いので、短くして、ケン様でよろしいですか?」
慇懃無礼とは、こういうことを言うのだろう。どこの世界に、勇者の名前を略称にしてしまう罰あたりがいると言うのだ。
俺は、こめかみのあたりに、ぴくっ、と青筋を一本立てたが、ここは我慢のしどころだ。この連中とトラブルになれば、俺はすぐに食べるものにも事欠くに違いない。それに、こういう手合いにも下手に出るのが、商社マンの本分だ。
それに以前、もっと失礼な目にも遭ったことがある。ケンイチロウという名前が覚えにくかったらしく、取引先の米国人は「ケンタッキー州のケン」だと記憶しようと試みたようだが、次に会った時、いきなり「イーリ!」と呼ばれて面食らった。どうやら北隣の「イリノイ州」と間違えたらしい。そういうときに怒っちゃいけないのだ。
「呼びやすいように呼んで頂いて結構ですよ」
俺は、努めてにこやかに司祭の顔を見つめた。
「それでは、ケン様、これからどうなさいますか? すぐにでも魔王との戦いに臨まれますか? あ、せっかくいらしたのですから、まずはこの近在の名所旧跡をご覧になられてからでも遅くはないですよね。この近在には、まず村の北に、ノコギリ山という山がありましてな、それはそれは、風光明美な景色でございます。さらに東には、ツクバ山という、山頂の平らな山がありましてな・・・」
司祭の観光案内は30分ほど続き、俺はさすがに退屈し始めた。俺があくびをすると、司祭が急いで、村長に目配せし、今度は彼が話を引き継いだ。
「勇者サマは、イオニアの町も初めてでいらっしゃいますよね? あの町の賑やかさと言ったら・・・」
村長の「イオニア自慢」も30分ほど続いた。
「名所旧跡やイオニアの町にも、ぜひ、行ってみたいですね。ところで、魔王のことについて」
「そうそう、この国の西のフランクの地についてもご説明しておかないといけませんな」
再び司祭がバトンタッチされて、説明が始まった。司祭は、心なしか、額に汗を浮かべて必死である。
この期に及んで、ようやく俺は気がついた。
(この連中、俺と魔王を接触させないように、とにかく時間稼ぎをするつもりだな)
「ところで、魔王のことについて」
「そうそうそう、この国の東には」
「あ、いえ、地理案内はもう結構ですから、そろそろ本題に入って、魔王について聴きたいのですが」
司祭の話を強引に断ち切ると、司祭も村長も困惑しきって顔を見合わせた。そして、一転して表情を引き締めた司祭が低い声で尋ねてきた。
「ケン様は、これからすぐに魔王との対決に臨まれるおつもりですか?」
「いや、そんなわけないでしょ? こっちは、ここでの自分の勇者としての特殊能力が何なのかすら知らないし、あまつさえ、満足な武器も持ってないんですよ。こんなんで、いきなり魔王に挑んでも、返り討ちにあって、呆気なく叩っ殺されるのがオチですよ」
俺の言葉を聴くや否や、司祭は「おぉ!」と呟いて、ポン、と手を打った。
「あっ、あなた、今、『その手があったか!』とか思いませんでした?」
胡乱な目で司祭を見つめると、彼は慌てて「いやいやいやいや!」と、わざとらしく首を振ったが、どうみても、あの呟きはそういう意味に違いない。
「あれ、そう言えば、お飲み物をお持ちしていませんでしたよね。先ほどの薬のお口直しに、蜂蜜水などお持ちしましょう。この村の蜂蜜は天下一品でしたねー」
自分の動揺を見透かされたのを誤魔化すためか、司祭は妙にヘラヘラと愛想笑いすると、館の奥に消えていき、ほどなく甘い香りの液体の入った杯を持って現れた。
「さ、さ、遠慮なく、ぐびっと!」
「なんだ、こういう飲み物もあるんじゃないですか。さっきの薬よりも、こっちのほうがよっぽど気付けには効きそうだ」
司祭に勧められて、杯の蜂蜜水を呑み干した瞬間、司祭が意味ありげに村長に目配せした。嫌な予感を感じて、俺は咄嗟に椅子から立ち上がって外に走り出ようとしたが、既に足が立たなくなっていた。
「お、おまへら、ひっぷく、盛りひゃがったな!」
よほど即効性がある毒らしく、もう呂律が回らなくなってきた。
「勇者サマ、ケン様、本当に申し訳ありません。この村も、イオニアも、今は、まったくの平和なのです。たとえ、魔王が森の奥に存在しようとも、現状について、誰も不満はないのです。こんなにみんなが平和に暮らしているところで、創世の戦いなど始められるのは、我ら凡夫にとって、これ以上の苦しみはありません。私たちは、ただ、平和に、今のまま暮らしていきたいだけなのです。どうか悪く思わないでくださいね」
床に倒れてあがいている俺を見下ろしながら、司祭が恭しく十字を切って見せ、村長が小声で「なむぅー」と唱え始めた。そこで、俺の意識はブラックアウトした。
意識が戻った時、俺は窮屈な箱の中に閉じ込められており、二重三重に猿轡をかまされたうえ、手足をぎっちりと緊縛されていた。
荷車か何かで搬送されているらしく、ゴトゴトという揺れが伝わってくる。声にならない叫びを上げて、必死に身体を箱の中で動かすが、棺のように狭い箱の中では身動きがとれない。頑丈な箱は厳重に釘付けされているようで、どこもびくともしない。
(こいつら、「勇者サマを天にお帰しします」とかなんとか言って、このまま舟に乗せて川か海に流すつもりじゃないだろうな!? いや、こいつらなら、やりかねん! まずい、絶対にまずいぞ、この状況はっ!)
昔読んだ井上靖氏の短編小説「補陀落渡海記」を思い出し、俺は思わず総毛だった。脂汗を流しながら、取りうる対応を考えたが、とにかく再び気絶した振りをして、隙を見て逃げ出すしかない、と、心に決めた。
やがて、荷車が停まると、ピンポーン、というチャイムの音が聞こえた。
「魔王さーん、お届け物でーす。ハンコお願いしまーす」
(あ、あいつら、俺を魔王のところに宅配便で送りつけやがったなっ! なんてことをっっ!)
司祭や村人たちと異なる、のんびりした声が聞こえると、パタパタパタという足音に続いて、キィッと扉の蝶番が軋む音が聞こえた。
「はい、ご苦労さん。今日も暑いねえ。こんなに暑いと、運送屋さんも大変だね。はい、ハンコ、ぽん、とっ」
「まったくですよねぇ。まあ、水さえあれば、野菜は豊作になりますから、農家は大助かりなんですけどね。うちは農家もやってますから。ただねぇ、こんなに毎年毎年、豊作が続くと、野菜の値が下がっちゃって、豊作貧乏ってのは、こういうことなんですねぇ。いやぁ、まいった、まいった」
全然参っていないような明るい声を出すと、運送屋は俺の入った箱を持ちあげた。
「大丈夫? 重そうだね。伝票には、えーと、壊れモノ、って書いてあるけど、季節の果物、桃か何かかねぇ。あっ、私も手伝うよ」
魔王の使用人らしき男と二人かがりで箱を地面に下ろすと、運送屋は「それじゃ、どうもー!」と言って荷車を曳いて遠ざかって行った。
「困ったね、これ、一人じゃ運べないよ。おーい、誰かー、荷物運ぶの手伝ってよー。おーい、ゾエ、テオ、誰かいないのー?」
使用人らしき男が叫び声を上げたが、誰からも返事は無い。
「やれやれ、こういうときだけ聞こえないふりするんだからなぁ、もう! しょうがない、中身を出して、少しずつ小分けにして運ぼうかな」
男が渾身の力を込めて、箱のふたをギシギシと言わせながら開けようとしている。
(もう駄目だ! 俺は、ここで魔王に殺されるっ! ぎゃぁぁぁっっ!)
やがてバキッという音とともに、箱のふたが勢いよく開き、先ほど道端ですれ違った、あの自転車を押していた禿頭の男が顔を覗かせた。
「あれ、これが壊れモノ? 心が折れちゃってる人なのかなぁ。困るなぁ、こういうの送ってこられても・・・・。送り返すのも送料がかかるんだし・・・まったくもう・・・」
恐怖で目を見開いている俺には、まったく無頓着なまま、男は一旦、箱の蓋をバコンと閉じると、その場を立ち去り、すぐに誰かを伴って戻ってきた。
「とりあえず、『謁見の間』に運ぼうと思うんだけど、台車に乗せるの手伝って」
「えっー、なんか重そうだしぃ・・・。アタシ、箸より重いもの持ったことないしぃ・・・」
「またそういうことを言う! この間だって、金のティアラ買ってやったじゃないの! あれは、明らかに箸より重いよ! 少しはお父さんのこと、手伝ってよ、もう! こんなところで死なれたら、後始末が大変じゃないの! 後で掃除するの、私かテオなんだからね!」
「わーかったわよ! 台車に乗せるだけでいいんでしょ?」
使用人父娘の会話を聴いている限り、ここが異世界、しかも魔王城の門前とは思えないが、紛れもなく、俺は生命の危機に瀕している。
(こいつら、なんか弱そうだな。謁見の間、とやらに運ばれる途中で、なんとか逃げられないものか)
「あ、いけないっ、お湯、沸かしっぱなしだったっ! 済まないけど、これ、謁見の間まで運んどいて! お願いっ!」
「あ、ちょっと、おとーさんっ、おとーさんってばー、あー、もうっ! アタシ、これからイオニアの舞踏会に行かなきゃいけないのに!支度に時間かかるのよー。あー、もう、面倒くさいっ! こんなモノが送られてくるから、いけないのよ、もうっ!」
娘が、癇癪を起して、ガン、と思いっきり箱の横板を蹴った。
(い、いてぇ! こいつ、足癖、悪いなぁ! 一体、親の躾はどうなってんだ!)
咄嗟に、俺は娘が蹴った部分を眺め、そして、身体を硬直させた。
(箱の横板が破れてる・・・・)
頑丈そうな箱の横板が、娘のたった一蹴りで、こちら側に向かって大きく湾曲して破れている。そこから見える板の断面は、非常に厚くて、並みの男が蹴り破れるものではなかった。
(と、とりあえず、ここは下手に抵抗せず、こいつがいなくなって、あの使用人だけになったら、逃げることにしよう)
娘のキックの破壊力を目の当たりにして、俺は搬送途中に脱走することを断念せざるをえなかった。
少し間が空いてしまいましたが、第4話をアップしました。
この作品は、「ダブル・スタンダード」の合間に、まったく気分転換で楽しく書いている肩の凝らない作品ですので、どうかお気軽にお楽しみください!
基本的にファンタジー系で、これからコメディー&恋愛要素も大いに増えてきます!
さて、次話では、いよいよ「魔王」本人が登場します! 果たして主人公は、このラビリンス(迷宮)から逃げられるのか?
「成長」をテーマとした学園系作品「ダブル・スタンダード」も、下記で毎日連載中ですので、ぜひ、ご一読頂けますと、幸甚でございます!
http://ncode.syosetu.com/n2171bh
きのみや しづか 拝