伝世の書
男のあまりの変貌に当惑して立ち竦んでいると、集まってきた住人たちにたちまち取り巻かれた。
「おい、マヌエル! 一体、どうしたって言うんだ? 大声あげて、びっくりするじゃねぇか!」
黒々とした髭をたくわえた若い男が、ぺたんと座りこんでいる男に声を掛けた。
「と、とうとう、いらっしゃってしまったんだ・・・」
男は、流れる涙を拭おうともせず、震える声を絞り出した。
「いらっしゃってしまったって、この人かい? へんちくりんな服を着た、ただの異国の旅人じゃねえか。ここの街道は、ハザールやバクトリアまで伸びているんだぜ。見慣れない服の旅人なんざ、日常茶飯事だろ。いまさら、怖がることもあるめぇ」
「こ、このお方は、ゆ、勇者サマだ・・・とうとう、いらっしゃってしまったんだ・・・ああ」
「勇者サマって、うちの婆さまたちが言ってた、あの話かい? おいおい、馬鹿言っちゃいけねぇや。勇者サマが来るって言われ続けて、はや五百年だぜ。伝説もいいとこさ」
「違うんだ、ヨハネス。このお方は、ニホンから来られたって、自らおっしゃったんだ。そして、ケイタイを持っておられるんだよ!」
「なんだと、ニホンからケイタイを持って来た、だと? やい、てめぇ、どっかで伝説を聴いて、俺たちを騙しにしたカタリ野郎だな。おい、みんな、構うこたぁねえ、こいつを簾巻きにして、川へ放り込んじまえ。この罰あたりめ!」
ヨハネスと呼ばれた男が逆上して大声を出すと、たちまち殺気立った若い男たちが、ばらばらと俺を取り囲んだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺は、別にあんたたちを騙しに来たわけじゃないよ。この人に、どこから来たかって尋ねられたから、日本から来たって答えただけだ。俺は、正真正銘の日本人だ。嘘偽りなど、一切ない! 晩飯を食いに入った店で、爆発に巻き込まれて、気が付いたら、ここの野原にいたんだ」
「こいつ、まだ言うか、ふてぇ野郎だ! ようし、そんなに言い張るんなら、ほんとかどうか、ひとつ試してやろうじゃねえか。おい、アレクシオス、ひとっ走り、教会行って、司祭様から『伝世の書』を借りてもらって来い。村長の俺の頼みだと言えば、よもや断られることもあるめぇ」
その言葉を聴くと、マヌエルは大きく首を振った。
「伝世の書だと! とんでもない! あれは滅多なことで開いてはいけない禁書だろう! そんなことは、お前が一番よく知ってるはずだ」
「そんなことはわかってる。だが、人ひとりの命が掛ってるんだから、あれを開く価値はあるだろうさ。偽者だとわかったら、イオニアの街へ使いを出して、領主様のお許しを頂いて、こいつを川に沈めてやる。俺たちの聖なる記憶をもてあそんだ罪は、死に値する。さあ、行け、アレクシオス!」
アレクシオスと呼ばれた男が駆け出していくと、俺は地面に座らされた。少しでも抵抗すると、縄でも縛られそうな殺伐とした雰囲気に、俺は困惑しきっていた。
(一体全体、なにがどうなってるんだよ。こいつら、日本や携帯のことは知ってるらしいけど、こう言う単語に敵意を持ってるみたいだ。もしかして、日本と敵対している国か? ただ、こいつらは、アジア系の顔立ちをしているが、名前は、アジアではあまり聞かれないものだし・・・)
しばらくすると、アレクシオスが大切そうに何かを抱えて、息せき切って戻ってきた。どうやら、何かの本らしかった。ヨハネスは、その本を受け取ると、片膝をついて、両手で頭より高く本を持ち上げ、目を閉じて、口の中で何かを唱えた。そして、目を開けると、胡坐をかいて座り、膝の上に本を置き、慎重な手つきで本を開いた。
「おい、そこの! お前がニホンから来たと言い張るなら、この書を読んでみろ」
差しだされた本を見て、俺は驚いた。
「なんだこれ、日本語で書かれてあるじゃないか。ちょっとよく見せてくれよ。あ、これ、紙じゃなくて、羊皮紙だな。えーと、ああ、こう書いてあるな。いいか、読むぞ。『我、東方より来たりし者にして、勇者なり。ここに予言の書を遺す。時期は定かならずとも、いずれの日にか、勇者再び現れ、激しき戦いののち、イストリアスに住まう魔王を平らげ、地に平和をもたらさん。魔王との戦いは長く激しきものとなり、多くの者が、子を、親を、兄弟姉妹を、妻を、夫を、そして友を失うこととなろう。家々は炎に包まれ、城館は焼け崩れ、街からは、動くもの全てが消え去ろう。新しき世界は、焦土と涙から始まるであろう。その者、我と同じ日本より来たる者にして、我と同じ聖器を持ち、教会を守護し奉る者なり。ゆめゆめ粗略に扱うべからず』。とまあ、こんな感じだが、これはどうみても黙示録そのものだなぁ。まだまだ長く続くが、もっと読まなきゃいけないか?」
本から視線を話して、辺りを見回すと、住人たちは一様に顔から血の気が引いて茫然と立ち尽くし、マヌエルは地面にうずくまって頭を抱えて震えていた。
「この書を読めた者は、今まで誰もいなかった。俺たちも、先祖が書いた内容を口伝で親たちから教えられてきた。そして、この村の者は、その口伝の内容を、よそ者には決して教えなかった。だから、俺たちの他に、この書の内容を知っている者はいない。俺たちの口伝自身、長い年月のうちに、あちこち意味がわからなくなってしまっていた部分があった。しかし、今、あなた様が読まれた内容を聴き、初めて意味がわかった部分も幾つかありました。あなたは、本当に、勇者サマ、なのですね」
ヨハネスは、途中から、はっきりと口調を変えた。
そして、憂いに満ちた眼差しで、手を合わせて、天を仰いだ。
「ああ、これから、『創世の戦い』が始まるのか。こんなにも、平和な世の中なのに・・・」
正直、自分が勇者だと言われても、まったく実感は湧かない。勇者と言えば、魔術的な力を持っているとか、剣の腕前が半端無い、とかいった、常人を遥かに凌ぐ能力を持っているのが相場だが、今のところ、それらしいものは感じない。日本人があまり来ない場所だからと言って、「日本人=勇者」と決めつけられても困る。
そもそも、ここが異世界だとか言われても、はいそうですかと信じられるわけがない。携帯はずっと圏外になっているけど、そんなことは日本でも珍しいことじゃない。
「あのー、お取り込み中、申し訳ないんですが、ここ、本当に異世界とやら、なんですかね? なんか、異世界らしいものとか風景とか、あります? それに私、聖器とやらを持っていないような気がするんですけど・・・」
「取り敢えず、村の教会にご案内します。お話はそれからです」
住人たちは、沈痛な表情で、足取りも重く、時折、溜息をつきながら、俺を教会に案内し始めた。
予約投稿ですので、このお話がアップされるとき、私はまだオフィスにいるはずです。
「成長」をテーマとした学園系作品「ダブル・スタンダード」も、下記で毎日連載中ですので、ぜひ、ご一読頂けますと、幸甚でございます!
http://ncode.syosetu.com/n2171bh