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陰気で卑屈な王子を全肯定し続けたら、愛が重すぎる超有能王太子に覚醒しました。

作者: 春樹凜
掲載日:2026/05/17



 空はどこまでも青く澄み渡り、小鳥が歌う王宮の中庭では、薔薇が美しく咲き誇っている。

 だが――。


「どうせ僕なんて、息をしているだけで迷惑なんだ……」


 そんな明るい景色にまるで似合わない暗い独り言が、庭の隅にぽつりと落ちる。


 声の主は、この国の第一王子アルヴァン・フレスコールである。

 彼は中庭の端っこで両膝を抱え、世界の終わりのような顔で俯いていた。

 王宮の中庭は眩しいほどに美しいにもかかわらず、アルヴァンの周囲だけは光など存在していないかのように、どこまでも暗く淀んで見える。


「僕が歩いた後の地面は腐るんだ……。僕の影を踏んだ者は、きっと三日以内に不幸になる……」


 なお、実際には腐っていない。

 そして先週王子の影を踏んだ侍女は、今朝も元気にケーキを三つ食べていた。


 アルヴァンは、きちんと整えれば容姿は端麗であり、頭脳も明晰なうえ当然血筋申し分なしという、絵に描いたような完璧な王子である。


 ただし、自己肯定感が低い。

 それも少し低いなどという可愛らしいものではなく、底が抜けていた。


 特に理由があるわけでもないのだが……もともとそういう性質を持っていたのだろう。

 そのせいで、歴代の婚約者候補はみな、アルヴァンとの顔合わせから数日以内に辞退してしまうほどだ。


『私には荷が重すぎます』

『殿下が一時間で何十回もこの世界に存在していることを謝られました。こちらまで存在していることが申し訳なくなりましたわ』

『アルヴァン殿下の自己卑下に付き合っておりましたら、夜眠れなくなりました』


 報告を受けた国王は頭を抱え、王妃は遠い目をし、宰相は胃薬の瓶を握り締めた。


 そこで白羽の矢が立ったのが、侯爵令嬢ミシェル・ラミレスである。

 

 ラミレス侯爵家は、家格だけは高いのだが、金がなく、はっきり言ってとても高位貴族とは思えないほどに貧乏だ。

 何代か前の当主がやらかした投資の失敗のせいで、先祖代々、借金と一応侯爵家であるという誇りと、草でもなんでも食べられるものは食べる生活のおかげか、やたら頑丈な胃腸を受け継いできた家である。


 その末娘であるミシェルは、明るく元気で、よく食べ、よく眠り、よく笑う娘だった。


 そして何より――自己肯定感が異様に高かった。


 朝起きたミシェルはまず鏡へ向かうと、マジマジと己の顔を見つめながら、満面の笑みを浮かべる。


「今日もなんて、私は美しくて可愛いのかしら。肌艶はよく、目には知性が宿っていますし、少しほつれたこの夜着ですら私の美貌と賢さを損なうことはできませんわ。つまり私は、今日も完全無敵ですわね!」


 たった数人しかいない使用人たちも、最初こそ驚いたが、今では慣れたものである。


 実際にミシェルの言っていることは、間違っていない。


 春の女神のような朗らかさと美貌を持ち、どんな状況にあっても常に前向きな性格で、自分への努力は惜しまない。

 侯爵家が借金持ちの難ありの家でなければ、もっと早くに王太子の婚約者候補に挙がっていて然るべき令嬢なのだ。

 

「お嬢様、本日の朝食はゆで卵とパンでございます」

「私の美しさに卵と小麦の栄養まで加わってしまうなんて、世界が嫉妬してしまいますわね」

「食べ終わりましたら、本日はどのようなご予定で?」

「王立図書館へ参りますわ。知識は人生を明るくしますもの。今日の私が何冊分賢くなるなんて、明日の私はいったいどれほど素晴らしくなってしまうのかしら!」


 そんな風に毎日を絶好調に生きているミシェルに、王家からまさかの婚約の打診が届いたのだ。


 父であるラミレス侯爵は、ミシェルを執務室に呼び出し、震える声で娘に告げた。


「ミシェル……王太子殿下との婚約話が来ている」

「まあ! あのきちんと整えれば大変顔がよろしいらしいと評判の?」

「初めに出てくる言葉がまずそれなのか? アルヴァン殿下にはもう少し他に特筆すべき点が……」

「何を仰っておりますのお父様! もし噂通りお顔がよろしければもちろん嬉しいですが、仮にそうでなかったとしても全く問題ありませんわ。この私の完璧な美的センスと手腕にかかれば、どんな殿方でも見違えるほど素敵な美男子に変身させてみせますもの!」

「…………」


 自分なら王子すら変身させられると微塵も疑わずに言い切った娘に、侯爵は言葉を失った。


 その隣では侯爵夫人が、


「あなた、ミシェルは昔からこういう子でしょう」


 と、慰めにもならない言葉を漏らした。

 

 侯爵は苦々しい表情で、こめかみを押さえる。

 夫人の言うように、ミシェルは昔からこういう子だった。


 鏡を見れば自分を褒め、食事を取れば栄養を得た自分を褒め、本を読めば賢くなった自分を褒める。

 雨が降れば、空まで自分に潤いを分けてくれていると笑い、転びかければ、反射神経まで素晴らしいと感心する。

 たとえ刺繍を失敗しても、これは未来の自分が上達するための尊い一針だと言って、なぜか満足げに頷く。


 褒める対象はだいたいが自分だが、不思議と嫌味がない。

 あまりにも堂々としているせいで、周囲もまあそういうものかと受け入れてしまうのである。


 だが、今回ばかりは話が違う。


「ミシェル。本当に分かっているのか? 相手は、あのアルヴァン殿下だぞ」

「存じておりますわ」

「いや、分かっていない。お前は絶対に分かっていない顔をしている」

「まあ、お父様。私は今日も賢いので、きちんと分かっております」

「その自信がどこから来るのか、父には分からない……」


 侯爵は眉間に刻んだ皺を濃くすると、深く息を吐いた。


「確かにアルヴァン殿下は、非常に優秀で、見目も、そうだな、お前のいうように重い前髪をきちんと上げて顔をあらわにすれば、麗しの王妃殿下によく似ていると聞く。ただ……とても、後ろ向きなお方で」

「慎重派ということですわね」

「いや、慎重というか……自分の存在を常に謝罪しているというか……」

「謙遜の心をお持ちなのですね」

「そうではなく……」

「大丈夫ですわ!」


 ミシェルは胸に手を当て、にっこりと微笑んだ。


「殿下の自信が少しばかり迷子になっているだけなら、この私が毎日褒めて褒めて褒めて、その自信を取り戻して差し上げますわ。それに、私が隣にいるのですもの。殿下の人生が明るくならないはずがございません! 」


 その言葉を聞いて、侯爵は思った。

 少しばかり、ではないから問題なのだ、と。







 そうして数日後。

 ミシェルは王宮へ招かれ、第一王子アルヴァン・フレスコールと正式に対面することになった。


 とはいえ、ラミレス侯爵家に新しいドレスを仕立てる余裕はない。

 ミシェルが身にまとっているのは、母が若い頃に着ていたという古いドレスだった。


 淡い紫色の布地は丁寧に手入れされているものの、袖の形も腰の絞り方も、今の流行からは外れている。

 そんなドレス姿で王宮の廊下を歩けば、すれ違う使用人や文官たちがちらりと視線を向けるのも無理はなかった。


 だが、ミシェルは少しも気にしない。


「なんて素晴らしいのでしょう」


 磨き上げられた廊下の窓に映る自分の姿を見て、ミシェルは今日何度目か分からない満足げな微笑みを浮かべる。


「今では流行遅れとされる古い型のドレスですのに、私が着るとこんなにも上品に見えるなんて。お母様の思い出のドレスも、私という最高の着手を得て、さぞ誇らしいことでしょうね」


 付き添っていた侍女が慣れた様子で、


「左様でございますね」


 と頷く。


 実際、その自信は決して空回りではなかった。

 古めかしいはずのドレスは、ミシェルの明るい表情と美しく伸ばされた姿勢によって、不思議と品よく映えている。

 堂々と歩く彼女の姿は、流行を追えなかった貧乏令嬢というより、あえて古い意匠を選んだ誇り高い令嬢のように見えた。


「これほど美しく、しかも由緒あるドレスまで完璧に着こなしている私が歩いているのですもの。視線を奪ってしまうのも仕方ありませんわ。私はなんて罪作りな人間なのでしょう」


 そう言いながら晴れやかな顔で王宮の廊下を進むと、王宮の奥にある応接室に到着した。


 早速、案内してもらった王宮仕えの使用人に扉を開けてもらった中に入ると、そこはこじんまりとした広さながら、隅々まで上品に整えられた応接室だった。

 大きな窓からは柔らかな陽光が差し込み、卓上には部屋を明るく彩るような美しい季節の花が飾られている。

 テーブルの皿には焼き菓子がたくさん並べられ、茶器も美しく磨かれていた。

 王宮側が、少しでも穏やかな空気を作ろうと努力したことがよく分かる部屋だ。

 

 ――ただし、部屋の中央に置かれたソファの端に座っている青年の周囲だけは、まるでそこだけ光が当たっていないかのように、心なしか暗い影を落としている。


 それを見つめながら、ミシェルは彼こそが今日の顔合わせの人物である噂のアルヴァン殿下だと確信する。 


 その青年は、重い黒の前髪で顔の半分ほどを隠しているので、残念ながら顔の全体像をきちんと確認することができない。

 しかし、前髪の隙間から覗く白い頬に、すっと通った鼻筋。

 伏せられた睫毛の長さや、俯き加減ながらも分かる整った輪郭。


 ミシェルは内心で力強く頷いた。

 これは、きちんと整えれば相当お顔がよろしいと。


 姿勢が非常に悪く背中が丸まってはいるが、背はかなり高いように見える。

 ただあまり外には出ないのか、肌の色は他の貴族の令息に比べて真っ白で、体の線も細い。

 

 けれどミシェルに言わせれば、それもまた磨きがいである。

 日に当てて、食べさせて、きちんと姿勢を正せば、きっと見違えるに違いない。

 素材が良いとは、こういうことを言うのだ。


 ミシェルが遠目ながらもアルヴァンを観察していると、視線を感じたからなのか、アルヴァンはゆっくりと顔を上げた。


 前髪の奥から、灰色がかった青い瞳が覗く。

 薄暗い印象に反して、その瞳は驚くほど澄んでいた。


 まあ、なんて綺麗な目なんでしょうとミシェルは思った。

 これはぜひ前髪を上げた状態で、もっと近くで宝石のようなその色を拝見したい。

 

 だがミシェルは礼儀正しい令嬢なので、心の中でだけ拍手喝采を送るだけにとどめ、ドレスの裾をつまんで丁寧に礼をする。


「アルヴァン殿下、初めてお目にかかります。ラミレス侯爵家が娘、ミシェル・ラミレスでございます」


 するとアルヴァンは、なぜかびくりと肩を揺らして、弱弱しくも暗い声で口を開いた。


「あ、ああ……顔を上げてくれ。僕のような者の前で、君に頭を下げさせるなんて申し訳ない……本当にすまない……しかも僕の前に座らせるという苦行を今から君に強いることに対しても、謝罪させてほしい……」


 なんと初めて交わす会話は、初手から謝罪だった。


 だがミシェルはまったく気にすることなく、にこりと笑って顔を上げると、すとんとアルヴァンの前に腰を下ろす。


「まあ、殿下はお優しいのですね」

「……え?」

「私に頭を下げさせては申し訳ないと、気遣ってくださったのでしょう? ありがとうございます」

「いや、そんな立派なものでは……」

「それに、殿下の前に座ることは苦行ではございませんわ。むしろ目の保養ですもの」

「目が腐るの間違いではないのか……? そもそも、君のような明るく健やかな女性が、僕のような暗くて陰気な男と同じ部屋にいること自体おかしいんだ……」


 アルヴァンはそう言って視線を落とすと、せっかくの綺麗な瞳がまた前髪の影に隠れてしまった。


 あんなに澄んだ美しい瞳を持っているのに、自ら隠してしまうなんて、世界にとって損失である。

 もしもミシェルがアルヴァンだったなら、嬉々として瞳を見せつけるだろう。


 もちろん、ミシェルは自分の蜂蜜色の瞳にも大変満足している。

 明るく、甘く、光を受けるときらきら輝く、実に自分らしい素晴らしい瞳だと思っている。


 けれどアルヴァンの灰色がかった青い瞳は、それとはまったく違う美しさだった。

 静かな湖の底に朝の光がひとすじ差し込んだような、不思議と目を離せない色をしているのだ。


 それを隠してしまうなんて、やはりもったいない。 

 そう考えている間にも、アルヴァンは小さな声で呟き続ける。


「僕は君にふさわしくない。僕の隣にいたら、君まで不幸になるかもしれない。僕がいるだけで部屋の空気は重くなるし、花はしおれ、茶は冷め、焼き菓子まで湿気る気がする……」


 ミシェルは確認のために卓上を見る。

 幸い、花は瑞々しく咲き誇り、カップからは湯気が立ち、チョコチップの練り込まれたクッキーも、紅茶の茶葉が練り込まれたビスケットも、まださくさくしていそうだった。

 ミシェルがこの部屋にいる限り、空気が重くなるなんてことはありえないので、それもアルヴァンの勘違いである。

 

「だから、その……今すぐ婚約を断ってくれていい。いや、断るべきだ。君にはもっと明るくて、堂々としていて、存在しているだけで周囲を幸せにするような男がふさわしい。僕のような、息をしているだけで申し訳ない暗くて面白みもない男ではなく……」

「まあ」

 

 そこまで聞いて、我慢できなくなったミシェルはとうとう口を開いた。

 対してアルヴァンは、ますます身を縮める。


「すまない。不快にさせたね。初対面でこんな話をするなんて、やはり僕は――」

「殿下」

 

 しかし明るい笑みを浮かべたミシェルが言ったのは、謝罪でも慰めでもなく、話の流れとはまったく関係のない言葉だった。


「殿下のお顔が大変、私好みですわ!」

「……え?」

 

 あまりにも予想外だったのか、アルヴァンがぽかんと口を開けて固まった。

 部屋の空気まで一瞬止まってしまったかのようだった。

 だが、ミシェルはそんな空気などまったく気にせずに続ける。


「先ほどから拝見しておりましたけれど、殿下はとても整ったお顔立ちをしていらっしゃいます。前髪を上げれば、もっと素敵ですわね。目も綺麗ですし、鼻筋も美しいですし、横顔も上品です。つまり、私の未来の旦那様として大変すばらしいですわ! 殿下の婚約者に選ばれて、大変光栄に思いますの!」

「み、未来の……」

「旦那様ですわ」


 ミシェルはきっぱりと言った。


「まだ正式に決まったわけでは……」

「では、私に決めていただきたく思います」

「いや、でも、僕は暗いし……」

「夜も暗いですが、よく眠れるので私は好きですわ」

「陰気だし……」

「落ち着きがあるということですわね」

「すぐ落ち込むし……」

「感受性が豊かなのですわ」

「存在しているだけで迷惑を……」

「存在しているだけでお顔が良いので、まずそこは大きな加点ですわ」

「加点……?」

 

 アルヴァンは、言っている意味がよく分からないと言いたげな表情で、かすかに首を傾げる。

 どうやらアルヴァンは、自分に良い点があるという発想にならないらしい。


 それならば丁寧に説明する必要があると、ミシェルは大きく頷く。


「もちろん、お顔だけではございません。殿下は私が不快に感じていないか何度も気遣ってくださいましたし、私のことを明るく健やかな令嬢だと褒めてくださいましたわ」

「それは、褒めたというか……ただ、そう見えただけで……」

「それが素晴らしいのですわ! 目の前の相手をきちんと見て、良いところを言葉にできる。しかも、殿下のお言葉には嘘やお世辞がありませんでした。つまり殿下は、とても正しい目をお持ちなのです」

「正しい、目……」

「はい。なにしろ私は実際に、明るく健やかで今日も、いえ、明日も明後日も、そして一年後も、大変素晴らしい令嬢ですもの」

「……自分で言うんだね」

「事実ですから」


 ミシェルは一切の曇りのない瞳で見つめる。


「そして、事実をきちんと見抜ける殿下は、やはり素晴らしいお方ですわ」


 あまりにも当然のように言い切られ、アルヴァンは言葉を失う。


 これ以上何を言えばいいのか分からなくなったアルヴァンが唇をもごもごさせていたら、卓上のお菓子へ視線を向けていたミシェルが問いかける。


「ところで殿下、焼き菓子はお好きですか?」

「嫌いでは、ないけれど……」

「では一緒に食べましょう。殿下は少しお疲れなのですわ。糖分を取ればきっと殿下の気持ちも夏の空のように明るく晴れ渡りますわ!」


 ミシェルは自然な動きで菓子を一つ手に取り、アルヴァンの前の皿へ置いた。


「それに、殿下は少し、栄養と日光が足りていないようにお見受けします」

「そうなのか……?」

「はい。ですので、まず焼き菓子を食べます。その後、外へ参りましょう」


 ミシェルの提案に、アルヴァンの声がかすれた。


「外って……まさか、中庭に?」

「はい。せっかく晴れておりますもの」

「いや、駄目だ。僕が外に出たら、せっかく晴れている空が曇るかもしれない。この間だって、前の婚約者候補に断られたあと、中庭の隅で落ち込んでいたら、急に雨が降り出したんだ。きっと空まで僕を拒んでいたんだ……」

「空が殿下の代わりに泣いてくださったのですわ」

「僕が歩いた場所の草が枯れるかもしれない」

「その時は、庭師に相談しましょう」

「僕の影を踏んだ者が不幸に……」

「では私が踏みますわ」

「踏まないでくれ!」

 

 初めて、アルヴァンの声に強さが混じった。

 だがなぜかミシェルは胸の前で手を組むと、嬉しそうに目を輝かせる。


「まあ、殿下。大きなお声も出せるのですね。先ほどまでの低く静かなお声も素敵でしたけれど、今の少し高くなったお声もよく通っていて素敵ですわ!」

「普段の湿った地下室みたいな陰気な声も、今みたいな情けなく裏返った声も褒めるのかい……?」

「もちろんですわ。どちらの殿下のお声も、私好きですわ!」

 

 アルヴァンは困惑しきった顔でミシェルを見た。

 

 普通なら、自分の暗い言葉を聞けば困った顔をするか、慰めようとして疲れるか、気味悪がって離れていく。

 これまでの令嬢たちはみなそうだった。

 

 それなのに――目の前のミシェルはまったく違う。

 彼の陰気な言葉を、まるで雨粒でも払うように軽やかに受け流すどころか、妙な角度から褒めてくる。

 アルヴァンのじめじめした言葉が、彼女の明るさに届いていないわけではなく、届いたうえで跳ね返されているように感じた。


「君は……僕が不気味じゃないのかい?」


 だからだろう、思わず、アルヴァンはミシェルにそう尋ねていた。

 するとミシェルは不思議そうに首を傾げる。


「不気味? なぜですの?」

「僕は、暗いし、面倒だし、君を不幸にするかもしれない。いや、絶対にするに決まっている。僕はただ一番目に生まれた王子というだけで、王太子になった。でも、こんな僕に国を導けるはずがない……」


 アルヴァンは膝の上で指を握り締める。


 彼はまったく努力していないわけではない。

 むしろ、しすぎるほどしている。

 政務も歴史も他国の情勢も読めるものは片端から読んでいる。


 だが、そのせいで余計に怖くなるのだ。


「僕の判断ひとつで、誰かの暮らしが壊れるかもしれない」


 そう思うたび、アルヴァンは自分が王太子になる未来を、国に降りかかる災厄のように感じてしまう。


「僕はしょせん、何の役にも立てない存在だ。そんな僕なんかが上に立ったら、この国は終わりだ……」

「殿下」


 だがアルヴァンの台詞は、ミシェルによって強制的に止められる。


「つまり殿下は、国のことを真剣に考えていらっしゃるのですね!」

「……え?」

「自分の判断ひとつで誰かの暮らしが壊れるかもしれないと、そこまで考えていらっしゃる。しかも、そのためにたくさん学んでいらっしゃるのでしょう?」

「それは……王族なら当然のことで……」

「当然のことを当然に続けられる方は、素晴らしいのですわ! それに、臆病になってしまうお気持ちも分かります。殿下の両肩には、多くの人々の生活がかかっておりますもの。むしろ不安に思うのは、それだけ真剣に民のことを考えている証拠ですわ!」


 きっぱりと言い切られ、アルヴァンは目を見開いた。  

 自分の臆病なまでの不安を、国を真剣に想っている証拠だと正面から肯定されたのは初めてだったからだ。


 言葉を失って瞬きを繰り返すアルヴァンに、ミシェルはさらに告げる。


「それに、私を不幸にするかもしれないというご心配も無用ですわ」

「無用って……どうして言い切れるんだい?」

「なぜなら私は、これまで不幸だと思った日は一日たりともありませんもの!」

「……そう、なのか?」

「それどころか、私は今日殿下とこうして出会えて、会話を交わして、楽しいと感じております。殿下は私の今日を、さらに素晴らしい一日にしてくださっているのですわ!」


 信じられないものを見るような目になるアルヴァンに対し、ミシェルは堂々と胸を張った。


「ですから、私が不幸になんてなるはずがありませんわ。そしてそんな幸せにあふれすぎて仕方ない私と殿下が婚約者になり、ゆくゆくは夫婦となるのです。であれば、殿下も、そしてこの国の未来も明るいものになると決まったようなものですわ!」


 いつもなら、誰に何を言われても、でも、どうせ僕なんてと、無限に湧き出てくるはずのネガティブな言葉が、ミシェルの眩しすぎる光を前にして完全に焼き切れてしまった。


 瞬きすらできずに固まっているアルヴァンを見て、ミシェルはパンッと明るい音を立てて両手を打ち合わせた。


「さあ、難しいお話はここまでですわ! 国を憂うのも大変立派ですが、まずはご自身の健康からです。はい、殿下。あーんですわ」

「あ、あーん……?」


 ミシェルはアルヴァンの皿の上に映したチョコチップのクッキーをひょいと摘み上げると、未だ呆然としているアルヴァンの口元へ迷いなく差し出した。  


 アルヴァンが反射的に口を開けると、さくっと甘いクッキーが押し込まれる。


「もごっ……!?」

「美味しいですわよね? 私も甘いものは大好きなんですの! とはいいましても我が家ではこちらに並んでいるような高級なものは手に入りませんので、普段は固くなったパンの端っこをこんがり焼いて、少しだけお砂糖をまぶしたものをいただいておりますの。 ですが、よく噛むことで小麦本来の甘みを感じられますし、顎も鍛えられて健康に良い、最高のオヤツですわ!」


 そしてミシェルは、自分でもお菓子を食べながらも、アルヴァンの中に次々にお菓子を突っ込んでいく。

 アルヴァンもアルヴァンで、食べたくなければ口を開けなければいいのに、ミシェルにあーんとされてしまうとつい口を開けてしまう。


 やがて五枚ほど食べたところで。


「では、糖分も補給したことですし、お庭へ参りましょう! それに日に当たると、気持ちを明るくする力が体の内側から湧いてくるそうですわ。日光浴はとてもいいことですのよ」


 ミシェルは勢いよく立ち上がると、アルヴァンの手を取ってぐいっと引っ張り上げる。  

 貴族の令嬢とは思えないほどの予想外の力強さに、アルヴァンは為す術もなく立ち上がらされてしまう。


「き、君、令嬢なのにどうしてそんなに力強いんだい……!?」  


 驚くアルヴァンに、ミシェルは誇らしげに答える。


「我が家は使用人が少ないので、お屋敷の床磨きや水桶運びなどを私も手伝っておりますの。日常の労働は素晴らしい全身運動になりますわ。おかげで、こうしていざという時に殿下を引っ張り上げられる、たくましさを手に入れることができましたの」

「ま、待ってくれ! やっぱり僕が外に出たら、空が、雨が……」

「もし雨が降ったら、それは空が私と殿下の新たな門出を祝う嬉し涙ですわ。傘を差して歩くのも風情があってよろしいではありませんか」

「つまり、気持ちを明るくする力は得られず……」

「これだけ毎日幸せに生活している私が、殿下におすそ分けいたしますわ!」


 どんな反論もすべて、ミシェルによって撃ち落とされる。  

 ミシェルの手はとても温かく、そして絶対に離してくれそうになかった。


 引っ張られるままに応接室の扉へ向かいながら、アルヴァンはなぜか、先ほどまで感じていた息苦しさが嘘のように消えていることに気がつく。


 前髪の隙間から見えるミシェルの笑顔は、中庭で咲き誇るどんな花よりも明るく、輝いて見えた。







 その顔合わせの直後。  

 ミシェルは、ラミレス侯爵と国王夫妻の前で、


「殿下のお顔は至高の芸術作品であり、私を気遣ってくださるお心も完璧です! 未来のために努力を惜しまないところも素敵です。これほど素晴らしい殿下に、私というこれ以上なく完全無欠な令嬢が寄り添うのですから、この国の未来はもはや光り輝くことしかあり得ませんわ! 私を殿下とぜひとも、いえ、何が何でも婚約させてくださいませ!」


 と、それはもう非常に強く、並々ならぬ熱量で宣言した。  


 息子の陰気さに耐えきれる令嬢などいないと諦めかけていた国王夫妻は、感極まって涙を流し、その日のうちに二人の婚約は正式に決定したのである。


 そして一カ月後。  

 ミシェルの底抜けの明るさに感化されたのか、アルヴァンには具体的な変化が表れ始めていた。  


 相変わらずネガティブではあるものの、変化の理由は明確だ。

 ミシェルによって中庭で強制的に日光を浴びせられ、さらに細い体つきからあまり食べていないと悟った彼女に、


「しっかりとした食事をとるべきですわ!」


 と料理を詰め込まれたおかげで、青白く透き通るような肌には健康的な血色が戻っていた。

 

 長かった前髪も、今では短くすっきりと整えられている。  

 最初アルヴァンは、


「駄目だ……僕と目が合った者は、深い闇に当てられて暗い気持ちになる呪いにかかってしまう……」


 と抵抗した。  


 しかしミシェルが、


「まあ! では私もその呪いにかかって……いいえ、むしろその逆ですわ。私は殿下と目が合いますと、とても明るい気持ちになりますもの。ということは、殿下の気のせいですわね」

「だけど僕は……」

「瞳を晒すのはお嫌ですの? でしたらその宝石のような瞳の輝きに当てられるのは、私だけということですね。なんという贅沢でしょう、私ってば世界一の果報者ですわ! ですが私だけが独り占めするのはやはりもったいないですわ。この美しさはみなで共有すべきです。殿下もそうは思いませんこと?」


 と斜め上の理屈で丸め込み、アルヴァンは思わず頷いてしまったため、前髪を切られてしまった。

 おかげで、今では美しい灰青色の瞳がしっかりと見えるようになっている。


 何より、息をしていてごめんなさいと謝る回数が、一日に数十回から数回程度にまでと、劇的に減っていた。


 そして、婚約発表を兼ねた夜会で、二人は初めて大勢の前に姿を現した。  


 会場の隅で壁のシミの一つになろうとするアルヴァンの腕を引き、ミシェルは堂々と、己の美しさとアルヴァンを自慢するように中心に躍り出る。


 二人の姿が光の下に晒された瞬間、華やかだった会場は水を打ったように静まり返った。


 無理もない。

 貴族たちの多くは、あの陰気な王子と貧乏侯爵令嬢の組み合わせなど、せいぜい見世物にしかならないと陰で嘲笑っていたからだ。


 しかし、実際に現れたのはどうだろう。  

 堂々と胸を張るミシェルは、豪奢なドレスを見事に着こなし、まさに太陽のような圧倒的な輝きを放っている。  

 そして彼女に引かれて歩くアルヴァンは、前髪を上げてあらわになった彫刻のような顔立ちで、誰もが息を呑むほどの美丈夫へと変貌を遂げていた。

 さっきまで壁のシミになろうと丸まっていた背中も、ミシェルに、


「ほら、お背中が曲がっていてはせっかくの美貌が台無しですわ!」


 とぐいっと物理的に姿勢を正されたため、今は真っ直ぐに伸びている。


「あれが、アルヴァン殿下……?」

「なんて美しい瞳をしていらっしゃるのだ。それに、ミシェル嬢のあの堂々たるお姿は」

「貧乏侯爵家の令嬢だと聞いていたのに、まるで女神のようではないか」


 予想を遥かに超える完璧な二人の姿に、貴族たちは圧倒され、ざわめきながら自然と道を開けていく。


 しかし、そんな二人の変貌ぶりが面白くない者も当然いた。  

 ある高位貴族が意地悪くこんな言葉をかけてきたのだ。


「ミシェル様、本日は一段と美しく、その豪奢なドレスも大変お似合いです。ラミレス侯爵家にしては失礼ながら、見違えるようですな。それに比べて……アルヴァン殿下は相変わらず物静かでいらっしゃる。ミシェル様のように明るく美しい方には、殿下の隣はさぞ退屈で、趣味に合わないのでは? 殿下ももう少し、場を盛り上げる努力をなされてはいかがかな」


 ミシェルを褒めそやしつつ、貧乏な実家を腐し、さらにはアルヴァンは暗くてつまらないと、王族相手にギリギリのラインで貶める。

 遠回しで陰湿な、アルヴァンへの明らかな嫌味だった。


 アルヴァンがさっと顔を伏せ、やっぱり僕は……といつものネガティブを発動しかけた、その時。


「まあ! 退屈だなんてとんでもありませんわ!」


 ミシェルは扇を優雅に広げ、満面の笑みで言い放った。


「べらべらと中身のない言葉を並べる方よりも、思慮深く、私を決して傷つける言葉を口にされない殿下の方がずっと誠実で素敵ですわ。 それに、殿下はただ立っていらっしゃるだけで一枚の絵画のように美しいのですから、場を盛り上げるどころか、この夜会そのものの価値を高めていらっしゃいます」

「なっ……」

「それに、私が身につけているこの素晴らしいドレス、私に似合うようにと殿下がご自身で選んでくださったものなのです! 殿下の確かな美意識と完璧なセンス、そしてそれを一寸の狂いもなく着こなしてしまう私の美貌が合わさっているといいますのに。私たちの美しさと相性の良さが理解できないだなんて、よほど瞳が曇っていらっしゃるのですね。心配ですわ……」


 最後は本当に心配そうに相手を見つめるミシェル。

 彼女の言葉に、貴族の男は顔を赤黒くさせ、


「な、生意気な……!」


 と、反論しようと口を開いた。

 だが、それよりも早く、低く静かな声が響く。


「……彼女の言う通りだよ」


 今までミシェルの横に静かに立っていたアルヴァンがすっと一歩前に出て、ミシェルを庇うように立ったのだ。  


 ピシッと伸びた背筋と、前髪の奥から相手を見据える灰青色の瞳は、いつもの自信なげなものではない。


 かといって次期国王としての堂々たる覇気を持っているかと言うとそういうわけでもなく、まるで底なしの沼のような、ぞくりとするほど重く暗い、それでいて粘着質な威圧感を放っていた。  

 彼特有のネガティブな感情が一点に圧縮されたような、異質の恐ろしさを持ったまま、アルヴァンはじとっとした声で言った。


「僕のことを陰気で退屈だと言うのは構わない。間違いではないからね。けれど……彼女の完璧さを疑い、その美しい笑顔を曇らせようというのなら話は別だ。もしこれ以上、僕の大切な太陽を不快にさせるつもりなら……僕のような卑屈な人間が、君という不安要素を排除するために、どれほど陰湿で徹底的な手段を使って追い詰めることになるか……試してみるかい?」


 あまりにも重苦しい、ミシェルへの執着すら孕んだ凄みに、男はヒッと短い悲鳴を上げ、顔面を蒼白にさせた。  


 嫌味をきれいさっぱり受け流したミシェルと、彼女のためなら王太子としての権力とネガティブな脅しを見せつけるアルヴァン。  

 二人の完璧な反撃の前に、男はぐうの音も出ず、逃げるように退散していった。


 周囲の貴族たちは、あの暗くて小さく丸まっていることしかできなかった王子がこんな恐ろしい威圧感を放つなんて、しかもなんだか随分と立派に見えると驚きと畏怖を隠せず、張り詰めた空気が場を支配する。


 しかしそれを一瞬でぶち壊したのは、他でもないミシェルだった。


「殿下!」

「えっ……あ、うん。ご、ごめん、僕なんかがつい出しゃばってしまっ……」

「先ほど仰った陰気で退屈というお言葉、今すぐ訂正してくださいませ!」

「……え?」


 びくっと肩を揺らしたアルヴァンに対し、ミシェルは腰に手を当ててぷんすかと怒ってみせる。


「殿下は陰気ではなくミステリアスですし、退屈どころか私を毎日楽しませてくださっていますわ! 間違いではないなんて認めないでください。それに陰湿な手段だなんてご自分を下げるのもやめてくださいませ。私のためにそこまで情熱的で緻密な計画を練ってくださるなんて、殿下の愛の深さに感動いたしましたわ!」


 どんなに重く暗い威圧感も、粘着質な執着も、ミシェルの圧倒的光属性の前ではすべて愛の深さとして、ポジティブに全肯定されてしまう。  


 先ほどまで息も詰まるほど重く暗い気配を放っていたアルヴァンは、途端に顔を真っ赤にさせて、


「そ、そうかな……」

「愛だなんて……」


 と言いながら、モゴモゴと照れ始めた。


 そんなあっさりと毒気を抜かれ、大人しくなったアルヴァンの姿を見て、周囲の貴族たちは別の意味で震え上がった。


「あ、あの恐ろしい殿下を、一瞬にして手懐けた……!?」

「どんな脅し文句も愛の囁きとして受け取るとは、なんという器の大きさだ。あの令嬢、只者ではない……!」


 そんな声が会場中で囁かれた。


 この日を境にミシェルは、良くも悪くも社交界中に、絶対に敵に回してはいけない最強の令嬢として強烈な印象を植え付けたのである。







 少しずつ確実に良い方向へ変わってたアルヴァンだったが、ある事件が起きる。


 発端は、アルヴァンの即位を良く思っていない国内の対立派閥の貴族たちが、わざとアルヴァンの耳に入るように囁いた言葉だった。


「ミシェル様は素晴らしい。底抜けに明るく、度胸もあり、あのような暗い威圧感を放つ殿下すら見事に手懐けていらっしゃる」

「ええ。ですが、それゆえにアルヴァン殿下の不甲斐なさが際立ちますわね」

「あのように完璧な令嬢が、殿下のお守りなどさせられているのだから。あの陰気な王太子という重荷さえなければ、彼女はもっと自由に、より輝かしい未来を歩めるはずなのに」


 これまでも、暗いとか、王子にふさわしくないという自分への悪口なら散々言われてきており、彼自身もそう思っていたので、傷つきはしなかった。  


 だが、今回は違った。

 彼女と過ごす日々は温かくて、心地よくて、暗い地下室に閉じ込められているかのようなネガティブ思考の中で生きていたアルヴァンにとって、初めて見つけた宝物のようなものだった。  

 だからこそ、自分が彼女の足枷になって未来を奪っているという言葉は、彼のもっとも脆い部分を深く抉ったのだ。


 その結果、アルヴァンは、見事に自室に引きこもってしまった。


「やっぱり僕なんて……あの輝く太陽の隣にいる資格はないんだ。僕という陰気な荷物がいない方が、彼女は絶対に幸せになれる……」


 厚いカーテンを閉め切り、光を完全に遮断した部屋の隅で、アルヴァンは膝を抱えていた。


「そもそも僕は国を背負う器じゃないんだ。僕が玉座に座れば他国から舐められ、民は絶望し、国は滅びる……僕の存在そのものが、この国と、そして彼女にとって最大の不利益だ……」  


 ぶつぶつと呟きながら、誰の声も届かない分厚い自己卑下の殻の中へと閉じこもっていく。


 そんな風に引きこもって半日が経った頃だった。

 ガチャリと、突如、厳重に施錠していたはずの扉が開いた。


「殿下、失礼いたしますわ!」


 そんな明るい声と共に、部屋に眩しい廊下の光が差し込む。

 堂々と入ってきたのは、もちろんミシェルだ。


「ミシェル……? どうして、鍵はかけていたはずじゃ……」

「陛下から合い鍵をいただきましたの!」


 ミシェルは悪びれる様子もなく、じゃらりと鍵束を掲げる。


 アルヴァンが引きこもって出てこないことを聞いたミシェルが、自分が必ずアルヴァンを光の世界へ連れ戻しますと説得して、半ば無理やり奪ったものである。


 けれどいつも通り、明るいオーラを纏って近づいてくるミシェルに、アルヴァンはこれまで以上の低い声で言った。


「帰ってくれ……今の僕と同じ空気を吸っていたら、君まで不幸のどん底に引きずり込んでしまう……」

「まあ、相変わらずご冗談がお上手ですこと」  


 しかしミシェルはまったく構わず、ずかずかと歩み寄ってアルヴァンの目の前にしゃがみ込んだ。


 そして、彼の両肩をがしっと掴んで、部屋どころか王宮中に届きそうな声で思いっきり叫んだ。


「殿下! 殿下はお顔が良くて頭も良くて、私の話をいつもちゃんと聞いてくださる、最高の婚約者ですわ!」


 まるで陰鬱な空気を消し飛ばさんばかりの声だったが、アルヴァンはそれでも伏し目がちに答える。


「で、でもみんな、僕が陰気すぎるあまり、君の幸せの枷になるんじゃないかと……」

「でしたらそのみなさんの見る目がないだけですわ! それに比べて、私の目は節穴ではありませんの」


 ミシェルは胸を張り、いつものように曇りのない、絶対的な自信に満ちた笑顔を向ける。


「私は毎日鏡を見て、自分の美しさと賢さを確認しております。その完璧な私の目に狂いがあるはずがありません! 私の選んだ殿下は、世界一に決まっておりますわ!」

「君の、選んだ……」

「ええ。ですから、もっとご自分に――いえ、殿下を選んだこの私の完璧なセンスに自信を持ってくださいませ!」


 それは、あまりにも何の根拠もなく、理不尽で、強引な言葉だった。


 アルヴァン自身が素晴らしいから、ではなく、素晴らしいこの私が選んだ人だから最高に決まっているという、無敵の理論。  


 そしてミシェルは、本気でそう思っている。

 なんて自分勝手で、そして――どうしようもなく救われる、温かく眩しい言葉なのだろう。


 呆然としていたアルヴァンの瞳に、少しずつ光が差し込んでいく。


 彼女の足枷になるかもしれないなど、ただの杞憂だった。

 ミシェルはアルヴァンの暗闇など丸ごと飲み込んで、自分の輝きに変えてしまうほどに逞しくて、強い。


 どんなにアルヴァンの自己評価が低くても、ミシェルのこのめちゃくちゃな自己肯定感を否定することはできない。

 彼女が、完璧な私が選んだのだから間違いないと胸を張る限り、アルヴァンが自分自身を卑下することは許されないのだ。  

 他人の心ない言葉など、彼女のこの揺るぎない自信の前では、ただのそよ風に等しい。  


 そう考えたら、一人で暗闇に引きこもって悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきて――。

 

 アルヴァンの中から、ネガティブな感情を押し流すように、小さな笑い声が漏れた。


「ふふ……あははっ。君には、本当に……敵わないな」

「笑う殿下のお顔も、大変私の好みですわ!」


 自分の言葉でアルヴァンが笑ってくれたことがよほど嬉しかったのか、ミシェルは嬉しそうにその場でぴょこんと跳ねた。  


「ああ、今日はなんて素晴らしい日なのでしょう!」


 そう無邪気に喜ぶその姿があまりにも眩しくて、愛おしくて、アルヴァンはもう一度、今度は心の底から声を上げて笑った。


 こうして、周囲を巻き込んだ王太子の引きこもり事件はわずか半日で解決し、アルヴァンは再び太陽に手を引かれ、明るい光の下へと連れ出されたのだった。







 数年後、ミシェルとアルヴァンは正式に結婚し、夫婦となっていた。


 王宮の執務室では、今日も高く積まれた書類の山を前に、アルヴァンはぶつぶつと呟いていた。


「どうせ僕が考えた新しい農業政策なんて、どこかに必ず穴があって、貴族たちから批判されるんだ……」  


 ミシェルという光を隣においても、アルヴァンのネガティブ思考は相変わらずである。

 しかし数年前と違うのはここからだった。


「だから絶対に誰からも文句を言われないように、何重にも対策と根回しを完璧にしておいたし、万が一不作だった場合の補填予算も三パターン用意した。反発しそうな貴族たちの懸念材料はすべて潰したから、これでぐうの音も出ないはずだ……」


 どんよりとした顔で呟く内容は、完璧を通り越して恐ろしいほどの緻密さだった。  


 そう、アルヴァンの根本的なネガティブ思考は直らなかったが、どうせ失敗する、文句を言われるという極度の心配性を拗らせた結果……。


 彼は、絶対に批判されないよう、常軌を逸したレベルで完璧な準備と対策を行う、超絶有能な王太子として覚醒したのである。


「さすが私の殿下! これほど完璧な政策を練り上げるだなんて、やはり私の完璧な目に狂いはありませんでしたわね。殿下が素晴らしいお仕事をされるたびに、殿下を選んだ私の素晴らしさまで証明されてしまいますわ!」


 ミシェルが自分の手柄のように胸を張って褒めちぎると、アルヴァンは少し顔を赤くして微笑んだ。


「君がそう言ってくれるなら、きっと大丈夫だね」  


 アルヴァンはミシェルの手を取り、その手の甲に優しく口づけを落とす。


「君が側にいてくれるから、僕は今日も息ができるよ。君がいなければ、僕は不安でこの国ごと潰してしまっていたかもしれない」

「私の存在が、殿下とこの国を救ったのですね。ですが明日の私は、今日よりもっとこの国と殿下を幸せにしてしまいますわよ!」


 自信満々に笑う妻を見て、アルヴァンは愛おしそうに目を細めた。

 そして黒い熱を帯びた、執着を感じさせる重い瞳でミシェルを見つめる。


「ああ、君は本当に眩しいね……。僕はきっとこれからも、こんな風にネガティブで、陰湿で、君への重い執着を抱えたままだと思う。 ……けれどどうか一生、僕から逃げないでほしいな」


 それは、普通なら後ずさってしまうような、暗くて重い独占欲の表れだった。  


 しかし、ミシェルはまったく怯むことなく、むしろ不思議そうに目を瞬かせる。


「あら。ですが私、昔から足は大変速いですのよ? もし逃げられないようにと仰るなら、殿下も私に追いつけるように、今日から一緒に走り込みをして足を鍛えませんとね!」

「……え?」

「さあ、そうと決まればまずは体力作りですわ。お仕事もひと段落つきましたし、早速これからお外に出て、一緒に走りましょう!」


 どれほど底暗く重い執着を向けようとも、彼女という圧倒的な太陽の前では、一片の影を落とすことすらできないのだ。   

 ぽかんとした後、アルヴァンは小さく吹き出し、降参したように笑った。


 ネガティブなまま最強の王太子となった青年は、


「どうせ走ってもすぐに転ぶんだ……」


 とぶつぶつぼやきながらも、底抜けに明るい妻の手だけは決して離さず、今日も彼女に引きずられるようにして眩しい外の世界へと引きずり出されるのだった。




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― 新着の感想 ―
異世界版 修◯様… 彼女こそが太陽神 いや、女神ですわ
凄えwwwwww 陽キャもここまで極まると無敵ですなw 嫌味さも鬱陶しさも欠片も無いわwwww 得難い伴侶が得られて良かったね殿下
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