EP8 決意
少し文量が多くなってしまいました。次回は部長と顧問とけじめをつけます、ぜひ蓮を応援してください
放課後の教室は、いつもより静かだった。
部活に向かう生徒たちはすでに去り、窓から差し込む夕陽が、机の影を長く伸ばしている。
蓮は、自分の席に座ったまま、しばらく動けずにいた。
――生徒会。
九条雅。
生徒会長。
誘われたときの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
断る理由なら、いくらでもあった。
忙しくなる。
自分に務まるか分からない。
そもそも、あの場所は「できる人間」の集まりだ。
――俺が、行っていい場所なのか。
考えれば考えるほど、答えは遠ざかる。
「なあ」
不意に声をかけられて、蓮は顔を上げた。
隣の席では、新垣信が椅子に逆向きで座っている。
肘を背もたれに乗せた、いつもの姿だった。
「どうするんだ?」
短い一言。
それだけで、胸の奥を見透かされた気がした。
「……まだ、決めてない」
「即答で行くと思ってたけどな」
「……俺も、そう思ってた」
自嘲気味に笑う。
期待されるのが、怖かった。
また何かを追いかけて、手からこぼれ落ちる気がして。
「でもさ」
信は、少しだけ声の調子を落とした。
「今まで、紬のことしか見てなかっただろ」
胸の奥に、鈍い痛みが残る。
「だったら、今度は違う景色を見てみろよ」
夕陽が、二人の間に沈んでいく。
「同じ選択しかしないなら、同じ場所にしか行けねえぞ」
言い返す言葉は浮かばなかった。
蓮は、ゆっくりと息を吐く。
追いかけていた背中は、もうない。
――なら、立ち止まる理由もない。
「……一回くらい、やってみるか」
その瞬間だった。
――ガラッ。
教室の後ろの扉が開く。
「如月蓮」
名を呼ばれ、空気が張りつめる。
振り返ると、そこに立っていたのは九条雅だった。
生徒会長の制服姿。
教室という日常の中で、ひときわ浮いて見える存在感。
「今、少し時間ある?」
問いかけは穏やかだったが、逃げ道はなかった。
信が、面白そうに口角を上げる。
「ほら、呼ばれてんじゃん」
蓮は一瞬だけ迷いの名残を胸の奥に感じてから、
「……はい」
そう答えて、席を立った。
決心した直後に開いた扉。
まるで、選択を見計らっていたかのようだった。
教室を出る直前、背中に声が飛んでくる。
「前向いてこいよ」
蓮は振り返らず、軽く手を上げた。
廊下は、放課後特有の静けさに包まれていた。
少し先を歩く九条雅の背中を、蓮は半歩遅れて追う。
何か話すべきか。
それとも、黙っていた方がいいのか。
判断がつかないまま、足音だけが響く。
「……緊張してる?」
前を向いたまま、九条が言った。
「え、あ……はい」
正直すぎる返事に、自分でも苦笑する。
「無理もないわね」
九条は歩幅を緩める。
「生徒会室って、入る前が一番怖いから」
「……そうなんですか」
「ええ。中に入ってしまえば、案外どうでもよくなる」
その言葉に、肩の力が少し抜けた。
再び沈黙。
廊下の突き当たりに、生徒会室の扉が見える。
「ここよ」
九条は立ち止まり、ドアノブに手をかける。
「深呼吸、しておいた方がいいわ」
冗談めいた口調だった。
蓮は一度だけ、息を吸って吐いた。
「……失礼します」
扉が開く。
生徒会室に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
静かすぎる。
そう感じるほどに。
室内には、蓮と九条の二人しかいない。
整然と並ぶ机。
夕陽が床をオレンジ色に染めている。
「……あの」
声を出しかけて、言葉が続かなかった。
時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。
九条は資料を机に置き、椅子を引いた。
「……座って」
「はい」
腰を下ろしても、落ち着かない。
机の上には、ノートとペン。
触れるのをためらうほど、きれいに揃えられている。
――二人きり、か。
さっきまでの廊下より、ここはずっと気まずかった。
九条も一瞬だけ視線を泳がせ、それから口を開く。
「……こういう沈黙、苦手?」
「正直、はい」
即答してしまい、しまったと思う。
だが九条は、ほんの小さく笑った。
「私もよ」
その一言で、張りつめていた空気が和らぐ。
「じゃあ、本題に入るわね」
背筋を伸ばし、真正面からこちらを見る。
「如月くんを、生徒会の書記に迎えたい」
蓮は思わず、目を見開いた。
「……書記、ですか」
「ええ」
蒼い瞳が、まっすぐ向けられる。
「記録係じゃない。会全体を把握して、流れを整える役割よ」
言葉の重さに、息を呑む。
「あなたに向いていると思っている」
胸の奥が、ざわついた。
「俺……まだ、返事はしてません」
「分かってる」
九条は頷く。
「今日は、決断を迫るつもりはないわ」
生徒会室に、夕方の光が静かに差し込んでいた。
机の上のノートとペンに、蓮は一度だけ視線を落とす。
「……生徒会に、入ろうとは思っています」
そこから先の言葉が、すぐに続かなかった。
九条は急かさず、ただ待つ。
「でも」
顔を上げる。
「少しだけ、待ってもらえませんか」
「理由は?」
短く、静かな問い。
「部活です」
九条の眉が、わずかに動いた。
「俺、サッカー部の副キャプテンで……」
言葉を選びながら続ける。
「今のまま生徒会に来るのは、違う気がしてて」
逃げに聞こえるのは、嫌だった。
「途中で投げたまま、次の場所に行きたくないんです」
九条は、黙って聞いている。
「ちゃんと、区切りをつけたい」
勝ち負けでも、評価でもない。
「今までやってきたことに、最後まで責任を持ってから来たいんです」
一拍の沈黙。
九条は、ゆっくりと頷いた。
「……それは、“けじめ”ね」
迷いのない声だった。
「いいと思うわ」
その言葉に、肩の力が抜ける。
「生徒会は、逃げ込む場所じゃない」
九条は穏やかに続けた。
「でも、何かをやり切った人が来る場所にはできる」
蓮は、思わず息を吐いた。
「待つわ」
はっきりと言う。
「部活に区切りをつけてから、来なさい」
「……ありがとうございます」
「期限は、あなたが決めて」
そう言って、机に視線を戻す。
「その代わり」
一瞬だけ、こちらを見る。
「戻ってきた時は、書記として本気で使うから」
蓮は小さく笑った。
「……覚悟しておきます」
立ち上がり、深く一礼する。
生徒会室を出るとき、胸の奥にあったのは迷いではなかった。
やるべきことが、ただ一つ見えただけだ。
――まずは、サッカー部。
追いかけるためじゃない。
逃げないために。
その場所で、最後まで立つ。
そして――
胸を張って、ここに戻ってくる。
また読みたい!!続きが気になる!って人はこれからもぜひ応援してください




