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 パタンと本を閉じた時、視線を感じた。

 顔を上げると、クララがじっと俺を見ていた。

 いつものあどけなさは――ない。

 

「どうかした?」

「キョースケ、その本読めるの?」

 いつになく真剣な眼差し。

 とぼけようかとも思った。

 でも、クララに嘘はつきたくない。

 戸惑いながらも小さくうなずいた。

「うん」

 すると、クララはパッと笑みを浮かべた。

「その本、おもしろい?」

「うーん、すごくびっくりすることが書いてあった」

 

 その時、バタンと扉が勢いよく開いた。

 ロイにしては珍しく、わずかに息を切らしている。

「くさぁーい」

 クララが鼻をつまんだ。

 確かに、火薬と焼け焦げた臭いがする。

 見ればロイのジャケットの裾が少し焼け焦げていた。

 

「ごめんごめん。小判を取り返そうと、奴らも躍起になっててね。容赦ないんだよ」

 ロイはジャケットの裾を軽く払ってから、襟を整える。

「いやだね。大人の余裕ってのが全くないんだよ」

 って言うけど、小判はそもそも人様のものだよな。

「ロイが奪ったんでしょ? 取り返そうとするのは当然なんじゃ……」

「やだなぁ〜。奪ったなんて人聞きの悪いこと言わないでよ。あれは先人の落とし物みたいなものだから、奴らの所有物でもなんでもないんだよ」

 

 ロイは一瞬窓の外に目を向けた。

 すると、眉間にしわを寄せる。

「外が何やら騒がしい……。今日はもう店を閉めよう」

 ロイの焦りを含んだ声に、クララがすぐさま反応する。

「はーい」

 空中で手を動かし始めた。

 見えない何かを操っているかのように、指が優雅に動く。

  

「それと、悪いがすぐに店の場所を移動させてくれ」

 言いながらポケットを探り、ロイは飴玉をいくつか取り出した。

 クララは自然な仕草でロイの前に手を出す。

 ロイは飴玉をクララの掌に落とした。

「はいはーい」

 ロイの緊迫した声とは対照的に、クララの返事はのんびりしていた。

 クララは嬉しそうに飴をひとつ口に入れると、残りはいつも使っているガラス瓶にコロンと入れた。

 瓶の中ではいくつもの飴玉がきらりと転がる。

 ただのご褒美というより、何か“仕事の対価”のようにも思えた。

 クララはそのまま鼻歌を口ずさみながら、再び空中で指を動かし始めた。

 結界を整えている――そんな気配がした。


 ただ漠然とクララを見ていた。

 その時、本を持っていた手を、ロイが払いのけた。

「あッ」

 床に本が落ちた。

 本を拾い上げようと手を伸ばす俺に、ロイが叫んだ。

 

「触るなッ!」

 ロイの鋭い声に、体が固まる。

 何だ?

 何がまずかった?

 びっくりしてロイを見ると、心配げに俺の身体を見つめている。

 

「大丈夫かい? どこか異変は? 痛いところはない?」

「痛いところはロイに払われたところ……かな」

 冗談めかして言うと、ロイは胸を撫でおろした。

 そこへクララのあどけない声。

「キョースケ、その本読めるみたいだよ」

 クララの言葉に、ロイはさらに驚いた顔をした。

 

「エッ!」

 その驚きにこっちもびっくりする。

「え?」

「すみません。読んじゃいました」

 日本人の悪い癖。

 何か悪いことをしたわけでもないのに、つい謝ってしまう。

 ロイの驚きがさらに大きくなる。

「えぇ?」

 何だかすごく悪い事をしてしまった気がする。

 

 やっぱり、ロイもこの本に興味があったんだ。

 それなのに俺が先に読んでしまったから怒ったのかもしれない。

 だったら申し訳ないことをした。

「ホント、すみません」

「エェエエエエエ!?」

 ロイはさっきから『え』しか言わない。

 

 もしかして、本を読めるのがそんなに珍しいのか?

 ……いや、待てよ。

 あの本に書いてあった――『日の本の血脈を受け継ぐものにしか読めない』。

「その本が読めるってことは……キョースケ、やっぱり君はニホンジンなのか?」

 緑の瞳が真実を求めるように、じっとこちらを見つめてきた。

 

 本には、『知られてはならない』と書いてあった。

 でも……ロイはきっと大丈夫。

 根拠はない。

 ただの直感だ。

 それでも、自分の人を見る目を信じて……頷いた。

「そうか……そうかッ!」

 ロイが興奮したように声を上げる。

「邪心なく望む者にこそ与えられる――そういうことか」

 そして、俺を見つめた。

「実は、あの時駅で宝石を拾ったんだ」

 そう言うと、ロイはポケットから赤い小さな石を出した。

 ロイの表情が柔らかくなる。

「もしかしたらって思っていたけど――やっぱりそうだったんだな」

 ロイは嬉しそうに天を仰いだ。

 

「眠る財宝、付け狙う組織にキーパーソンのお出ましだ!」

 ロイが興奮したように言う。

「最高だよ!」

 そして、表情を引き締める。

「ああ、そうだ。念のため言っておくけど、僕は君の血と心臓には興味がないから安心してくれ」

 少し間をおいて、真剣な声で続ける。

「でも、ニホンジンであることは容易く口にしたらダメだぞ。それこそ枯れるまで吸いつくされるぞ」

 軽い口調でゾッとすることを言う。

 その言葉で、さっきのペストマスクの男性を思い出した。

「あ、あの。これなんだけど」

 ポケットから石を取り出す。

「さっき指を切ってしまって……。で、血が出たはずなのに――これになっちゃって」

 石をロイとクララに見せた。

 

 ロイの表情が一変した。

 さっきまでの陽気さは消え、鋭い目つきになる。

「どんな客だ?」

「えっと、ペストマスクをつけた男性だけど」

「クララ、誰か分かるかい?」

 クララは目を閉じる。

「うん、分かる」

「追加で頼めるかな」

 そう言いながら、ロイは胸ポケットから何かを取り出した。

 ピンクのリボンだ。

 クララの目がパッと輝く。

「うん! あいつ、もう入れないようにするね」

 嬉しそうにリボンを受け取ると、空中でパズルをはめるような動作を始めた。


 なんだか急に不安になってきた。

 俺、家に帰れるのかな……。

 

「君の心臓が宝石に変わる前に――元の世界に戻らないとな」

 俺の心配を払拭するようなロイの言葉に、少し勇気が湧いてくる。

 でも、このまま一緒に居たら、ロイやクララを危険にさらしてしまうんじゃないか。

 そう思った時、ロイが言った。

「変な遠慮はいらないよ」

 まるで俺の心を読んだかのようだ。

「僕は遺跡に興味があるんだ。遺跡へはキョースケが居なければ行けないんだから」

 ロイが悪戯っぽく笑う。

 

 すると、クララもニッコリほほ笑んだ。

「ロイの手も治るかもしれないし、ね」

 ……手?

 ロイの手を見た。

 そういえば、ロイが手袋を外したところを見たことがない。

 食事の時でさえ、外さなかった。

 本の一文が頭をよぎる。


 ――同胞以外は本に触れてはならぬ――。


「ロイ、もしかしてこの本に触った?」

「触ったらどうなる?」

 ロイは子どもが物語の先をせかすように、好奇心に満ちた表情で聞いてくる。

「化石になる、って……」

「なるほど、そういうことか」

 ロイが納得したように頷く。

 そして――手袋を外した。

 

 ロイの左手は、手首まで真っ白だった。

 血の通わない、石のように冷たそうな白さ。

 まるで石膏像のようだ。

「え? 手首まで石になってる!」

 クララの声が震えている。

「この前まで指だけだったのに」

 これまであどけない子どものようだったクララが、緊迫した声を出した。

 

「そうなんだ。少しずつ範囲が広がっている。まあ、利き手じゃなかったのが救いかな」

 ははは、とロイは笑って言った。

 まるで他人事のように。

「笑ってる場合じゃないでしょ……って、ちょっと待って、確か呪いを解く方法があるって書いてあったような……」

 ページをめくり呪いの解き方を探す。

 

 でも本に書いてあったのは、解く方法があるということだけで、その方法までは書いていない。

「呪いを解くのは遺跡に行かないとダメみたい」

「ほんと⁉︎」

 ガッカリする俺とは対照的に、ロイの声は弾んでいた。

「呪いで手が石になっているのに……怖くないの?」

 あまりにも楽しそうだから、思わず聞いてしまった。

 

「怖い? どうして?」

 ロイが不思議そうに首を傾げる。

「僕は楽しくてワクワクしてるんだ。この呪いだって、冒険をより楽しくするスパイスみたいなものさ」

 そして、左手を見る。

「とは言え、あまりのんびりはしていられないけどね。だんだん範囲が広がってきて、不便でしょうがないんだ」

 不便、 って……。

 でも、目を輝かせて話すロイの様子を見ていると、空元気ってわけでもなさそうだ。

 

 でも、安心してもいられない。

「そんなに喜んでもいられないよ。遺跡への道は満月の夜にしか開かれないって書いてある。満月まで待ってたら、ロイの石化はどんどん進んじゃう」

 すると、ロイは壁に掛けてあるカレンダーのようなものを見て、ニッコリと笑った。

 

「大丈夫。満月は三日後だ。すぐに出発の準備をしよう」

「クララも行く!」

 まるで遠足にでも行くようなノリで、クララは目をキラキラと輝かせた。

 危険な遺跡だというのに――この無邪気さはどこから来るんだろう。

「クララが来てくれるのは心強い」

 

 遺跡には生活に困らないように物を揃えてあると、本に書いてあった。

 でも、それを狙う者には容赦ない仕打ちが待っている、とも。

 決して遠足気分で行くような場所じゃない。

「本には仕掛けがあるって書いてあったから、クララを連れて行くのは危険なんじゃ……」

 俺の忠告は全く意味をなさなかった。

 それどころか逆に好奇心をつついてしまったようだ。

 

「それならなおのこと、クララがいてくれた方が心強い」

 ロイの言葉にクララが胸を張る。

「エドも連れて行こうよ。呪文とか仕掛けとか、そういうの得意でしょ」

 クララの提案に、ロイが大きく頷いた。

「確かに! よし、エドを誘いに行こう」

 ロイが立ち上がる。

「でも、僕だけでは話の信憑性に欠けるからな。キョースケも一緒に来てくれ。君が本を読めることを証明すれば、エドも納得するだろう」

「じゃあクララは荷物をまとめておくね」

 あっという間に話が進んでいく。

 反論する余地もなく、俺はロイに連れられてエドの家へ向かうことになった。


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