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この世界へ来て一週間が経った。
毎日クララと一緒に店番をしている。
喋る本と、見たことのない姿の客が来る――それ以外は特に変わった出来事もない。
平穏な日常だ。
この世界へ来る前の方が、よほど不健康だった。
ここでは三食きちんと食べている。
食材は見た目が少し気になるが、味は問題ない。
寝る間際に本たちがしきりに話しかけてくるから、少々寝不足気味ではあるけれど、以前よりは睡眠もしっかりとれている。
この世界をもっと見てみたいという好奇心はある。
ただ、ロイに店の外は危ないと忠告されている。
それが唯一の悔やまれる点ではあるけれど……。
もともとインドア派だから、外に出られないのもそこまで苦ではない。
なかなか興味深い本も多い。
気づけば、かなり満喫している自分に驚いている。
意外に順応性があるのかもしれない。
そんな日常を送っている中、ペストマスクをつけた男性客が入ってきた。
「『星の煎じ方』という本を探しているんだが」
客の言葉に、本たちが瞬時に反応する。
「私よ! 私は懇切丁寧に教えてあげるわよ」
「いいや、珍しい種類の記載がある僕の方が断然おすすめだよ」
などなど……。
あらゆる方向から本たちが騒ぎ出す。
「ちょっと、みんな静かに――」
言っている傍から、棚に収まっているはずの本たちが、カタカタと動き出し、アピールし始める。
「私を見て、詳しく書いてあるわよ」
「君のはちょっと記載が古いんだよ。僕の方が新しいから、きっと上手く煎じられると思うよ」
これがいつもの光景なのか、ペストマスクの男性は本たちの話に耳を傾けていた。
その中の一冊を手に取った瞬間、ピタリと本たちの声が止まった。
「これをもらおうか」
それを受け取ろうとした時、本の角が指に当たった。
「痛っ」
指を引くと、じんわりと血が滲んでいた。
慌てて近くにあったタオルで指を押さえると、カランとカウンターの上に赤い石のようなものが落ちた。
血の色に見ているのに、宝石みたいに光っている。
見た瞬間、ドクンと胸の奥で嫌な音がした。
ペストマスクの男性は、その石を見た途端、息をのんで固まった。
次の瞬間、身を翻すように店を出ていく。
「あ、あの! 本は?」
答えはない。
戸が閉まる音だけが響いた。
いったい何だったのだろう。
急用を思い出しただけにしては、あの反応は異常だった。
胸の奥に、ざらりとした違和感が残る。
この石はどこから出てきたんだ?
血が滲んだだけなのに、いつの間に石に変わったのか。
そう考えていると、店のドアが開いた。
先ほどの客が戻ってきたのかと身構えたが、入ってきたのは耳の尖った若い女性だった。
石を見られないほうが良い気がして、ポケットにしまった。
すでに買う本が決まっていたのか、女性は一冊の本を手に取るとすぐにレジにきた。
『大好きな人の射止め方』という題名が見えた。
微笑ましいと思ったのも束の間、その本の帯に目がいった。
『彼を虜にさせる麻薬の作り方』
『確実に射止める弓矢特集』
背筋が寒くなるような文言ばかりだ。
その女性の意中の人が、気の毒に思えた。
女性客が帰った後、ぱったり客が来なくなった。




