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帰宅ラッシュの電車は、今日も息苦しいほど混んでいた。
主要駅に着くと、一気に人が押し流されるように降りていき、車両に残ったのはわずかな乗客だけだった。
出入り口近くに空席を見つけ、腰を下ろす。
リュックから本を取り出し、指先でパラパラとめくる。
二週間前から読んでいる本。
まだ半分しか進んでいない。
明日は休みだ。
今日こそは最後まで――そう意気込んで文字に視線を落としたその時。
ポケットの中で、無粋にスマホが震えた。
ため息がこぼれた。
タイミングの悪いヤツだ、と舌打ちしながら画面を見た。
同期の山本からだった。
『来週の金曜日、飲み会やるぞ。黛商事の受付嬢が来る。絶対来いよ』
黛商事の受付嬢は”レベルが高い”と有名だ。
腹立たしさは都合よく霧散し、すぐさま『了解』と返信した。
スタンプも返したいところだが、浮かれすぎだと思われそうで指を止めた。
我ながら単純なもんだ。
読み直そうと本を開きかけたが、そのまま膝の上に本を置いた。
ふと、窓に映った自分の顔が視界に入った。
思っていた以上に疲れ切っていた。
こんな顔、してたか……?
いつから俺はこんな顔をするようになったんだろう。
彼女と別れて、もう五年も経つ。
最近では会社と家との往復の毎日。
前は週に二冊は読んでいた本も、今では月に一冊読めればいい方だ。
休日はほとんど寝て過ごしていることが多い。
今の生活に不満があるわけではないけど、もう二十六だ。
このままでいいのか、俺。
この飲み会をきっかけに、俺の人生も少しは華々しくなるのだろうか……。
ガタン、ゴトンと一定のリズムを感じながら、そんなことを考えていた。
急に睡魔が襲ってきた。
少しだけ目をつむる。
少しだけ……。
けれど、瞼はどんどん重くなっていく。
ハッと頭を上げた。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
車内を見回すと、誰もいない。
俺ひとりだ。
電車はどこか見知らぬ駅で止まっている。
「やべ、寝過ごした」
慌てて電車を降りようと立ち上がると、膝の上から一冊の本が落ちた。
「あれ?」
一瞬、違和感を覚えた。
この本、表紙が違う……?
いや、そんなわけない。
ガタン、と電車が揺れた。
発車のベルが鳴り響く。
クソッ、今はそれどころじゃない!
とりあえず本を拾ってリュックに突っ込み、俺は慌てて電車を降りた。
降りた瞬間、背後でドアが閉まった。
危なかった。
間一髪だっ――。
「……は?」
思考が止まった。
ホームで電車を待っている人がいた。
その中に、メタリックな肌をもつロボットのようなモノも混じっている。
スーツを着た軟体動物がズルズルと身体を引きずりながら、改札へと向かう。
さらに、ベンチには六本足の毛むくじゃらの何かが、スマホを器用に操作していた。
なのに、誰も驚いていない。
誰も、振り返りもしない。
俺以外、誰も。
「夢……だよな?」
誰ともなく呟いた。
ベタだけど、頬をつねってみる。
痛い。
電車の振動、ホームの冷たい空気、どこからか聞こえてくる機械音。
五感のすべてが、これが現実だと告げている。
電光掲示板に流れている文字だって、外国語とかそういった類のものじゃない。
データが文字化けした時のような、見たこともない記号のようなものが並んでいた。
それなのになぜかその意味が、わかる。
母国語のように、自然に。
『レンガの街』『綿毛の都』
電光掲示板に表示された駅名と行き先が、すんなりと頭に入ってきた。
それがどこなのか、どんな場所なのかはわかるわけもないが……。
バサバサと風にあおられる音に誘われるように視線を向けると、ベンチに置き去りにされた新聞を見つけた。
本当に文字が読めるのか確かめたくて、手に取った。
紙面を飾るのは、ビューテンハイツ鉱山を発見したロバルト博士がスピーチをしたという記事。
新しいクリーンなエネルギーを生み出す鉱石で、飛行船の吐き出す泡の量を大幅に減らせるらしい。
なんだそりゃ。
飛行船が泡を吐き出すってなんだよ。
「5014歴13月29日……っていつだよ? 何月まであんだ?」
新聞の日付に愕然とする。
ひとり突っ込みを入れる俺の視界の片隅を、何やら得体のしれないモノが飛んでいった。
今、翼の生えたラジオが通り過ぎなかったか?
恐る恐る飛んで行った物体の方へ視線を向けた。
「……うそだろ」
見間違いでも幻覚でもなく、翼の生えたラジオが優雅に宙を飛んでいる。
「マジか……」
それだけじゃない。
見上げてみると歯車で構成された鳥のようなものも飛んでいる。
フルートとラッパにも翼があって賑やかに飛んでいて、すれ違ったとき、何が気に入らなかったのか、突然お互いに向けて音を鳴らし始めた。
まるで言い争いのようなその音は、結構な賑やかさだ。
それなのに誰も頓着する様子がない。
軽やかなベルがなり、ホームに電車が入ってきた。
その電車と……目が合った?
そんなわけないか。
俺の頭がイカれたのか?
いや、やっぱり夢だ。
そうに違いない。
これは夢だ。
必死に自分に言い聞かせていると、電車から人が降りてきた。
ピーク時ではないのか、そもそも利用客が少ないのか、降りてくる乗客はまばらだった。
その乗客たちも人間ではない姿をしていた。
ドン、と肩に衝撃が走った。
その拍子に、リュックから本が滑り落ちた。
「ぼうっと突っ立ってんじゃねぇよ!」
そう言って慌ただしく過ぎ去っていったのは、ワニのような大きな口をしたモノだった。
「すみません」
反射的に謝ったが、ぶつかった肩がとんでもなく痛かった。
何なんだよ!
もしかして、違う世界に飛ばされた?
いやいや、そんなことあるわけない。
異世界なんてありえないだろ。
現実にそんなことが起こるわけない。
そういえば、この間そんな内容の本をよんだっけ。
その本の影響を受けて幻覚を見ているに違いない。
俺、疲れてんだ。
今週忙しかったしな。
そう思いながらも落とした本を拾い上げた。
その瞬間――手が止まった。




