第十九話 モブを卒業します
シオン様に手を強く握られながら、私の心臓は激しい音を立てていた。
「どうか、私から離れないでくれ。逃げられると、追いかけたくなる」
彼の言葉はどこかで聞いたことがある。そうだ、ゲーム内で彼が言っていたのだ。愛の重さが垣間見えると前世の私は喜んでいたが、実際に言われてみるとどうだ。
威力が半端ない。こんなことを言われて正常でいられるわけがない。
「わ、わわ、わたしは」
声が震える。シオン様が、私を好きだと言ってくれた事実。ルクリア様が彼の婚約者ではなく、また平民であってもお貴族様の隣に立つことを許されるという彼の言葉。
私はもう、自分はモブであるから、という言い訳を続けることはできなかった。
「私も、シオン様が……」
こらえきれない。私の目から、涙が溢れてきた。
「シオン様のことが、大好きです」
一度口にしてしまえば、言葉がせき止められることなく溢れ出てくる。
「シオン様のことが、大好きなのです。推しとしてだけでなく、人としても、一人の男性としても。あなたのことを好きになったら、辛くなるって。私、いつかはあなたから離れないといけないと思うと、想いを自覚したくなくて。だから、私……」
涙でシオン様の顔が見えなくなって、手で目を擦る。ぐいっと強く擦っていたら、彼の手が私の手首を掴んだ。驚いて彼を見上げると、彼はとても優しい笑みを浮かべていた。その笑みを見ると、また涙が止まらなくなる。
「……私は、シオン様のことが好きです」
「ああ、私もだ。アメリー、君を愛している」
シオン様は私の涙をそっと拭って、私を抱き締めた。彼の胸に額を押し付けると、彼の心臓の鼓動が聞こえてくる。少し、速い鼓動が。
心地よい熱に身を寄せていると、彼の体が動く。再び彼を見上げると、彼はふと笑みを深めた。どこかいたずらで、色気がたっぷりな笑み。写真で撮って一生保管しておきたい。
その笑みに見惚れていると、段々とシオン様の顔が近づいてきた。彼は私の顔を両手で包み、その唇を——
私の唇に重ねた。
(…………え?)
思考が停止する。
(……えっ、えええ!?)
シオン様と、キスをしている。そう頭が把握した瞬間、一気に顔に熱が集まった。
最初は触れる程度の優しいものだったが、徐々に深くなっていく。なんだろうこれ。直感的に、このまま彼に食べられてしまうのではないかと思った。それほどまでに、強い思いが籠っているキスだ。
彼は私の存在を確かめるように、深く私を求めている。彼の思いに応えようと始めは頑張っていたが、息苦しくなってきた。
「……っ、シオンさま! ……っは、いったん、だめ!」
少しの間与えられる息継ぎの時間でなんとか声を出す。彼はゆっくりと顔を離し、私の頬を撫でて目元を和らげた。
「なんとも、可愛らしいな」
「な、ななな……」
沸騰するのではないかと思うくらい、頬が熱い。羞恥で目が潤んできた。私は余裕そうな彼を睨みつける。
「は、初めてで、こんなに!」
「初めて、だったのか? 前の世界も合わせて?」
「初めてですよ! 男性に好きだと言ったのも、キスをしたのも!」
恥ずかしすぎて顔を手で覆うと、シオン様は小さな声で「良かった」と呟いた。
その夜。私はシオン様の屋敷に泊まることになった。
推しの聖地。好きな男の人の家。私は落ち着いていられる気がしなくて何度も彼に帰ると訴えたのだが、彼は許してくれなかった。外も暗くなっていたし、何よりあんなことがあったばかりだと心配だ、と真剣な顔で言われたら、何も言い返せなくなった。
シオン様は、快適で豪華な客室を用意してくれた。私の質素な家(お父さんお母さん、ごめんなさい)と比べると、ここは王宮の一室なのではないかと思うほどに贅沢な空間だ。
前世でも眠ったことのないくらいふわふわなベッドで横になる。落ち着かずに目を瞑ったり体を起こしたりを繰り返していると、部屋の扉が静かに叩かれた。私は立ち上がって扉に近づき、開ける。
「ひゃ!」
開けてすぐに閉めた。なんか、心臓に悪いものを見た気がする。深呼吸をして再び開けると、扉の前にはイケメンが立っていた。シオン様だ。寝巻姿の、シオン様だ。
「失礼する」
私が呆然と彼を見ていると、彼は私の腕を掴んで部屋の中に入った。ほとんど引きずられるように彼についていき、ベッドに腰かける。
「眠れていないのか?」
「……はい。というか、今もっと眠れなくなりましたよ。心臓が拍動を速めています」
「そうか。安心してくれ、流石に今夜君に手を出すつもりはない」
彼は私の頭を優しく撫でた。心地良くて、目を瞑って彼に身を任せる。
「シオン様は、どうしてこちらに?」
「君と話しておきたいことがあってな。私は今日、君のそばにいられなかったせいで君を怖い目に合わせてしまった。今後、絶対にそのようなことが起こらないようにしたい。私が君を守る。君は私の隣で、私と幸せになってくれたらいい」
シオン様の言葉に、また涙が溢れそうになった。こくこくと頷いていると、彼は私の額に唇を触れさせた。
「君を守るためにも、明日、君を私の婚約者として公言する」
(……こ、こんやくしゃ?)
聞き逃すことのできない単語が聞こえてきた。私が愕然として彼の顔を見ていると、彼は優しく微笑んで私をベッドに寝かせる。
「今夜はゆっくりと眠るといい。様々なことは、私に任せてくれ」
彼はもう一度私の額に口づけして、部屋を出て行った。彼が去ってからも熱はしばらくの間消えず、私は熱すぎる頬に手を当てながらぼんやりと天井を眺めていた。




