第十六話 婚活は危険を伴う
私は、古美術品の修復を仕事とするライさんと、順調に関係を深めていた。彼は穏やかな人で、静かな日常の中に生きている。
「アメリーさん。この先に小屋があるんです。修復の仕事で使っていたのですが、王都から離れていて、落ち着く場所なんです」
彼は、少し照れたように言った。今日は、初めて二人でピクニックに来ていた。私は母さんに作ってもらったサンドイッチを包み、平凡な生活を存外楽しんでいる。
「わあ、素敵ですね! 私、静かな場所が好きなんです」
ライさんの横顔を見て、私は心から安堵している。シオン様の誘いを断り続けているとそのうち返事もこなくなり、私はモブとして平穏な人生を歩み始めている。彼が家を突然訪れるということもない。寂しいという思いはあるが、これが私と彼のためにもなるのだ。
私達は、王都の賑やかな大通りから次第に人気のない裏道へと入っていった。周囲には雑木林が広がり、人通りは途絶え、風の音だけが聞こえる。静かで、落ち着いた美しい場所だ。
やがてライさんは立ち止まり、古びた小屋を指さした。
「ここです。最近は来ていなかったので、少し汚れているかもしれません」
確かに、見た目は古い小屋だ。最近誰にも使われていなかったのだろうということが伺える。しかし、周囲の異様な静けさ、そして彼の変わらぬ落ち着いた笑みが、徐々に私の心に嫌な予感を呼び起こした。
(待って。いくら静かな場所が好きだからと言っても、初めてのデートでこんな変わった場所に来る……?)
考えれば考えるほど、怪しく思えてくる。私の頭の中で警鐘が鳴り始め、私は少し彼から距離を取った。
「あの、ライさん。ここ、素敵ですけど少し暗いですね。先程通ってきた時に綺麗な場所があったので、そちらでサンドイッチを食べませんか?」
後ろを指さしながら彼の顔を見たその時。彼の雰囲気が一変した。
彼は私の腕を掴み、その手に痛みを感じるほどの力を込めた。
「何を言っているのですか、アメリーさん。せっかく誰もいない静かな場所に来たのに。あなたのその美しさは、僕だけのものになるべきなのですよ」
彼の声は低い。私の知る、優しくて穏やかな青年ではない。その瞳には、全身が冷えるほどに不穏な激情が込められているように見えた。
(この人、本物の悪意を持っている!)
私は必死に抵抗するが、彼の力に及ばずに小屋の扉の前まで引きずられる。
「大丈夫。ここは、誰にも邪魔されない。誰も来ませんから」
彼は私の抵抗をなんとも思っていない様子で、荒々しく扉を開けた。小屋の中から、埃の混じった湿った空気が流れ込んでくる。
「っ、離してください!」
私は大きな声を出した。なんとか彼の手から逃れようと体を動かすが、彼の手はびくとも動かない。細く見えるのに、筋肉が付いていることが今更ながら分かる。
婚活には下心を持っている人も参加しているかもしれないから注意が必要だということは、前世からもよく言われていたことだ。何故、少しも疑問に思わなかったのか。
彼は私を軽々と小屋の中に押し込む。
「諦めてください、可愛いアメリーさん。あなたは、あまりにも目立ちすぎる。若き騎士団長様のお気に入りなのでしょう? 彼からの寵愛を受けたことはありますか? ああ、彼がとても憎い。どうして僕は彼のようになれないのに、彼は僕の欲しいものを全て奪おうとするのか」
言葉が刃となって胸に突き刺さる。彼は、私がシオン様と交流を持っていることを知っていたのか。言葉の端々から、彼がシオン様のことが嫌いだということが伝わってくる。どこかで、関りがあるのだろうか。
「お気に入りのあなたを奪えば、彼は大層動揺するでしょうね。とても面白い」
彼は扉を閉めようとする。このままでは本当に取り返しのつかない事態になると直感した。
(私の貞操のためにも、絶対に逃げる!)
決意が湧き上がり、私は咄嗟に彼の足を強く踏みつけた。
彼は痛みに呻き、一瞬、私を掴む力が緩んだ。その瞬間を狙って体勢を反転させて、閉まりかけた扉の隙間に全身で突っ込んだ。持っていたバスケットを彼の顔に投げつけ(ごめんなさい、お母さん。そしてサンドイッチ!)、全力で走る。
後ろから足音が聞こえてくる。息が切れ、体が震える。必死に足を動かして、雑木林の中を、ただひたすらに走った。
ワンピースがツタに引っかかり、皮膚が擦り切れる。呼吸は乱れ、心臓は破裂しそうだ。
「誰か! 助けて!」
私の叫び声は、木々に吸い込まれて誰にも届かない。それでもとにかく足を動かし続けた。
「きゃっ!」
しかし、木の根に引っかかって転んでしまう。その少しの間で、彼に追いつかれてしまった。私は地を這ってでも逃げようとしたが、彼に腕を掴まれる。
「逃げても無駄ですよ、アメリーさん。さあ、戻って僕とあなたの愛を育みましょう」
怖い。私の体は勝手に震え、悲鳴にならない息が口から出た。




