第十四話 推しから離れて
シオン様の元から逃げるようにして家に帰ったあの日から、私は彼の元に訪れていない。ご令嬢の美しさ、シオン様との釣り合いの取れた家柄、そしてあの優雅な立ち振る舞い。それらすべてが、私に現実を突きつけてきたのだ。
「お前は、この物語の邪魔者だ」と。
私が今までシオン様の側にいた理由は、自己欺瞞の極みだった。疲弊した推しの弱さに付けこみ、推しが私を受け入れてくれているからという大義名分の元で、シオン様を「推し」として楽しんで見ていたのだ。
ほんの少しだけ、私も彼の隣に立つことができるのかもしれないと、勘違いしてしまっていた。
違う。私の使命は、シオン様が物語の結末で——否、物語とは関係なく、この世界で心から幸福になることだ。その幸福は、彼を心から優しく受け入れ、彼にふさわしい光に満ちた女性と共に歩む未来だ。私のように、前世の知識に頼る力のない卑怯者が、その隣にいていいはずがない。
ファン失格だ。
私はそれから、シオン様からの召集をありとあらゆる手段で断るようになった。
「父がはやり病にかかったので店を休めません」「母が腰を壊して、家庭の手助けをしないといけません」「王都の外にいる親戚の用事で手が離せません」
次々と嘘の理由を並べた。彼が送ってくる丁寧な文書を見るたびに、胸が張り裂けそうになる。シオン様が私の不在を気にかけてくれているということはとても嬉しいが、私が求められている理由が有能だから、とか考えてしまうと苦しくなる。彼の優しさに甘えれば甘えるほど、私は彼の日常生活を侵犯する。
ある時、シオン様のお手紙に、「アメリー。君が淹れてくれるハーブティーがないと、頭が冴えない。どうか、少しの時間でも良いから来てくれないか」と、彼の自筆で切実に書かれていた。
(だめよ! 彼の弱さを見てはいけない。彼の孤独につけ込んではいけない!)
私は彼の手紙を抱き締め、布団の中で声を殺して泣いた。推しが私を求めてくれているのに、推しを無視するようなことをしている。
それでも、彼の——私の幸せのためにも、彼の隣から姿を消す必要があるのだ。
私は部屋に籠って、新たな人生の指針を考えた。
シオン様の推し活は、ずっと続ける。遠くから彼の幸せを願い、時折顔を拝みに行く程度に収める。これは生涯変わらないことだ。
しかし公私問わず、シオン様との直接接触を断つ。今後は彼への贈り物もせず、本来のストーリーに関わることには一切関わらない。
そして最後に、最も重要なこと。私は、平凡で地に足の着いた人生を歩む。それが一番、私の存在を「物語」から完全に切り離すには適しているだろう。
その決意を固めて、私は再び婚活に臨むことを決めた。前回の婚活は私もそれほど乗り気ではなく、その上シオン様という美しく大きすぎる壁があったので上手くいかなかったが、今回は違う。私は本気で挑む。
婚活パーティー当日。私はおしゃれだがあまり目立たないワンピースを選んだ。華やかさは少ないが、普通の相手を求めている人の目にはつくかもしれない。
会場に入ると、前回とは打って変わって、私は穏やかな気持ちで席についた。今回、シオン様がこの場に来るはずはない。彼の騎士団長としての激務は知っているし、前回のようにぽんぽんと休むことはできないだろう。
私の前に座った相手は、王都の近くで静かに活動する、古美術品の修復を仕事とする青年だ。穏やかで、優しそうな人。
「アメリーさん。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私は、彼の話に耳を傾けた。古美術品の修復は目立ちはしないものの安全で安定した仕事で、騎士団と関わることもなさそう。
彼は私の手をそっと取って、少しはにかみながら言った。
「アメリーさんは、派手な装いを好まれないのですか? 私は、その……静かな女性が好きです。あまり目立たない方が、落ち着きます」
その言葉が、私の心に深く響いた。
(そう、これよ。私は、明るさとポジティブさだけが取り柄の、目立たない普通の娘になるべきだったんだ)
彼との会話が弾む。彼の話は推しが関わることもなく、ただ穏やかな、この世界の日常だ。
彼の隣で、彼を愛し、静かに平凡な人生を歩む。それが、私にとっての幸福なのかもしれない。
(……さようなら、シオン様。私の推し。私はあなたの幸福を、静かに見守り続けます)
このまま話が進めば、私は近いうちに「アメリー・セレーネ」という娘の人生を、推しの物語から完全に切り離すことができるだろう。
私は推しを捨てるのではなく、推しの幸福のために、私を捨てるのだ。




