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第十三話 推しの婚約者現る


 最近、私の日常は完全にシオン様を中心に回っている。あの大失敗の婚活の後、シオン様は私を呼び出す頻度を増やした。


 私が何度か彼に栄養たっぷりの料理や甘いお菓子などを作ってから、彼はそれを何回も要求するようになっている。


(シオン様に、私の作った特製ポトフを「美味だ」と褒めていただけるとは……もう、これだけで五十年は生きていける)


 私は今の日々を楽しんで享受している。シオン様の生活を傍で見ていられることはとても嬉しいが、これ以上彼と関わり続けるのもよくないと分かっている。この幸せを味わえるのは今だけだと、私は自分に言い聞かせているのだ。


 そんな充実しながらも不安な日々を送っていた、ある日の午後。

 いつものようにシオン様の執務室で、彼が午後の執務をこなす隣で私がハーブティーのブレンドをチェックしていた時のことだ。


「失礼します、シオン様。ルクリア様がお見えです」


 若い騎士の声が響いた。シオン様は一瞬顔を顰め、淡々とした声で「通してくれ」と言う。


 私は慌てて、自分が座っていた椅子から飛び上がるように立ち、部屋の隅へと避難した。ここはお貴族様の執務室。貴族らしき人の来客があれば、平民の私は壁のシミのように振舞うことがマナーだ。


 部屋に一人の女性が入ってくる。彼女は、あまりにも完璧に見える貴族令嬢だった。黄金色の髪は美しく結い上げられ、白い肌は陶器のよう。青いドレスはこの国の最高級の仕立てだと一目でわかる。


「ごきげんよう、シオン様。先日は我が領地での視察、お疲れさまでした」


 令嬢は優雅な微笑みを浮かべながら、シオン様に近づく。


「久しいな、ルクリア嬢。君が変わりなさそうで何よりだ」


 シオン様は立ち上がり、彼女の手を取って、甲に軽く口づけた。


(ひ、ひええええ!!!)


 その光景に、私の心臓は一瞬止まったように思えた。推しの、完璧な貴族のふるまい! 推しの魅力の一つ、あまりにも尊い。


 心の中で拝んでいると、令嬢は私のことに気が付いたのか、視線をこちらに向ける。


「あら、シオン様。そちらにいらっしゃる、この方は……?」

「彼女はアメリーといい、私の仕事を補佐してもらっている。極めて有能な娘だ」


 シオン様は少し言い淀んでから、私のことをそう紹介した。彼の言葉を聞いて、私の胸が一瞬痛んだ気がしたが、それには気が付かないふりをする。


 事実である。私はただ、前世の記憶のお陰で能力が高いから彼に認められている。通常、シオン様の隣に立つには相応しくない存在なのだ。


 令嬢は私を一瞥し、小さく笑みを浮かべた。


「まぁ、シオン様ともあろうお方が、平民をお傍に置くだなんて、珍しいこともあるのですね」

「平民であることに、何の問題がある。私は彼女を認めている」

「あなた様が仰る彼女の能力というのは、美味しいお茶を淹れることですか? それくらいならわたくしにもできますわ」


 彼女はそう言いながら、ティーセットを手に取ろうとした。私が先程までブレンドしていたハーブティー。その準備途中だったので、ブレンドについてメモしておいた紙が無造作に置かれていた。


「あらあら。なんですの、この記録は。シオン様の体調について? ご冗談でしょう。あなた様の健康は、あなた様の婚約者であるわたくしが守りますわ」


 彼女はそれらのメモを嘲るように微笑む。私の脳内で、彼女の言葉がエコーした。


 あなた様の婚約者である。


(婚約者……? シオン様に、婚約者はいなかったはずでは?)


 混乱で思考が止まる。『煌めく騎士と甘い夜』では、シオン様に婚約者という存在は確かにいなかった。私という異物が関わったことで、ストーリーが大きく変わってしまったのだろうか?


 圧倒的な美貌、身分が高いであろう家柄、そして立ち居振る舞い。私なんかよりも、この令嬢の方が、遥かにシオン様の隣に立つのに似合っているよう見える。


「ルクリア嬢。彼女を馬鹿にすることは、私が許さない」

「まあ。あなた様はいつからそのようにこのような取るに足らない者を擁護するようになられたのですか」

「……その口を閉じろ。いくらルクリア嬢とはいえ、その言葉を聞き逃すことはできない」


 シオン様と令嬢は会話を続ける。私は壁際に立ちながら、徐々に心が冷えていくのを感じた。シオン様が私を守ろうとしてくれていることが伝わってきてとても嬉しいが、それ以上に私の場違い感が強くなっていく。


(やっぱり、シオン様と私は元々住む世界が違う。私は……邪魔なだけ)


 私は、この場から離れなくてはならないと強く感じた。推しの幸せを願っているのに、彼の私生活に関わりすぎるせいで彼の生活を台無しにしてしまっては本末転倒だ。この令嬢が彼の婚約者であれないであれ、私が付け入ることのできない間柄であることはうかがえる。


「あ、あの。私、急用を思い出したので、これにて失礼いたします。大変お邪魔いたしました……」


 私は頭を深く下げ、逃げるように部屋を飛び出した。出る前に、シオン様の顔を見ることはできなかった。

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