95 陽に受け継がれる記録
受け入れて貰えない謝罪は、あるいは許されない謝罪よりも過酷かもしれない。新たに配られたコーヒーを口に含みながら雷雅は思う。そして、そこまでの罪を目の前に座る男は犯したのだろうか、とも思う。この男の罪はんだろう?
目の前に、暴行される人がいてもを助けず見て見ぬふりをして警察を呼ぶこともしなかった、そんなところか? でもそれって、きっと法律では裁けない罪だ。だから余計に罪深いのか?
もし、自分がこの男の立場だったらどうしていただろう……それを考えると責めることはできない。きっとコイツと同じで、何もできずにオロオロするだけだ。そこで雷雅は気が付く。謝罪を受け入れられないんじゃない、謝罪して欲しいと思っていない。少なくとも僕は。
マスターや煌一・ひなたの気持ちはまた別かもしれない。でも、僕は謝罪なんかして欲しくなかった。全力を尽くしたと言って欲しかった。違うのか? そうじゃないのなら、その事こそ謝って欲しい。
コーヒーカップを置いた雷雅が俯いて顔を顰める。ギュッと肩に力が入り、口を強く噛み締める。龍弥が雷雅の肩を抱き、
「お話は終わりですか?」
と静かな声で男に尋ねた。
いや、と男がそれに答え、
「ここまでは今までの経緯です」
龍弥を見た。つまりこれからのことを話したいと、言っている。奥から咳払いが聞こえ、煌一が姿を現し、ひなたがそれに続いた。
「そうなると、俺たちの意向も無視できない。そうでしょう?」
煌一の声は威圧的だ。マスターが奥から煌一とひなたのカップを運び、自身もそばに腰かけた。
「まず、先に言っておきます。あなたは雷雅の許可と、陽という事でここに入っていただきました。が、お判りと思いますが、影でもあるあなたのご家族をお入れするわけにはいきません」
「はい、重々承知しております。兄と母とはわたしが連絡を取り、こちらのお考えに背くことのないようにいたします」
フンと煌一が侮蔑の表情で男を見る。
「もう充分、こちらの意に反することをなさっておいでに見えますが?」
「はい、申し訳――」
「煌一さん」
黙っていた雷雅が割って入る。
「それを言っていたら話は進まない――僕たちは敵の奥深くに入り込める駒を手に入れた。そう思ったほうがいい」
煌一が鼻白み、龍弥が雷雅の肩に回していた手を放した。もう必要ない、龍弥はそう思ったのだろう。雷雅の目からは涙が消えている。
「そうだ、もう一つ判らないことがある」
雷雅が男を見る。
「母が入院した日、僕は災厄魂と遭遇している。僕の存在はその時点で知られていたのではありませんか?」
男も雷雅を見て答える。
「相手が陽だと判っても、災厄魂はその人の性別も年齢も認識しません。つまり雷雅と確定できない。見つけた陽をわたしかもしれないと父は思い、兄もそれに同意した――ショッピングセンターでキミと遭遇した災厄魂は兄が操っていました。キミを認識させていない。父がキミの存在を確認したのは影の総本部で間違いありません」
「そうですか……」
カップに手を伸ばし、雷雅がコーヒーを口に含んだ。男も同じようにカップを手に取る。
しばらく沈黙が場を包んだが、それを破ったのはひなただった。
「朱方さんでしたね? あなたのお話が嘘とは思いません。少なくともあなたがたにとっては真実――義祖母は他界し、わたしたちに真実を知る方法がない以上、わたしたちもあなたのお話を真実として考えたいと思います」
煌一は顔を顰めたが何も言わなかった。
「そうなると、朱方さんのお父さんの目的は突き詰めれば義祖母の心を取り返し添いたい、そんな思いに集約されるのではないでしょうか?」
「いい年をしてと呆れるばかりですが、はい、わたしもそう思います。だから計画外に影の総本部を襲ったとき、さやかさんに迫り、叶わないと知ると、事もあろうか思う相手であるさやかさんを殺めてしまった」
「かわいさ余って、なんて言葉もありますから――でも、もしそうなら、義祖母が亡くなった今、お父さんは何を求めているのでしょうか? 自分が義祖母を手に掛けたのは影のせいだとでもお思いなのでしょうか?」
「もともと父は目的を、陽と影を消滅させることとすり替えていました。もっと自由に生きていいはずだと」
「だとすると、影を殺すことが目的ではないはずですよね?」
「えぇ、多少の殺傷は仕方あるまいと考え、そのうえで影を掌握する、そう考えているようです」
「掌握したらどうするつもりで?」
「影の一族の生活を大きく変えると言っていました――母から聞いていた影の人々の暮らし、能力が高いものは狩人になることを強要され、親元からさえ引き離される。学校にも行かせて貰えない。そんな馬鹿なことはやめさせる。もちろん結婚だって本人同士の合意でと、ごく普通の生活をさせたい。シャドウ・ビジネスは廃止するか、公にする。そう考えています」
「なるほど――それで朱方さん、お父さんの考えは実現可能と思いますか?」
「それは……災厄魂や闇の存在、そのあたりをクリアする必要はあるものの、母から聞いている影の一族の暮らしが本当ならば、改善したほうがいいと思います。実現不可能ではないはずです、多くの人がしている暮らしです」
ここで黙って聞いていた煌一・マスター・雷雅・龍弥が揃って身動ぎした。
「おや……影の皆さん、雷雅も含め、実現不可能だと思っている?」
男が苦笑した。
ひなたがそんな男に質問を続ける。
「なぜ、影の暮らしが今のようになったかをご存じですか?」
「災厄魂の処理と、一部権力者のためだけにその能力を使うため、そして能力を高めるため」
ひなたが煌一と顔を見かわした。それを見て男が苦笑する
「違う、と仰りたいようですね」
「陽の一族にはそう記録されているのですか?」
「陽はずいぶん昔に影からさえも身を隠した。影に関する記録は完璧なものではありません。ところどころで遭遇した影との記録が引き継がれているにすぎないのです――そこには誤解も含まれる。もし違うのならば、お教え願いたい。記録を修正していかなければ、いつまでたっても正されません」
男がひなたを見詰めた。
ふとひなたが表情を和らげる。
「やはりライガによく似ている――いいえ、ライガが朱方さんに似ているのですよね」
ひなたの笑みに男が少しだけ硬さを消した。
「朱方さんのおっしゃる通り、影も普通に生活していけたらと、わたしも考えているのです。わたしは中学校から通うことができました。でもわたしは多少我儘を通せる立場にあり、そうでない者は学校を知識でしか知りません――この狩人は」
と、ひなたが龍弥を示す。男がチラリと龍弥を見る。
「二十ですが雷雅の護衛をさせるため年齢を偽らせ、高校一年に潜入させました。学校に通ったことはありません――先日、学校は必要かと、彼に問いました。雷雅に高校を辞めて貰うかどうかを検討していた時です。すると不要と答えました」
「それは――」
何か言おうとする男をひなたが制する。
「まぁ、お聞きください――不要と言ってから、こうも言いました。不要だからと言って辞める必要もない、と。一見不要なものが人生を豊かにする、この狩人はそう結論を出しました」
「いや……はい――」
男はひなたの言葉を肯定するか否定するか迷っているようだ。




