94 受け入れられない謝罪
考えあぐねているうちに早紀が儚くなり、兄は父の目を盗み、通夜・葬儀・納骨と近寄り過ぎないよう気遣いながら、心の中で列席し、それとなく雷雅の様子を見守りました。母親だけが頼りの雷雅、まだ十六になったばかり、どうしているか胸が苦しくなるほど心配だったのです。兄が見る限り雷雅は落ち着いていたし、煌一さんとひなたさん、そして影の狩人の若者がひっそりと寄り添い、雷雅を心身ともに守っているのが判りました。わたしや兄の出番はないのだと悟ったのです。こちらに気が付いている雷雅が、見てみないフリをしているのもわたしたちを安心させました。
軽はずみなことをしない慎重さを頼もしく思い、少なくともその時点ではこちらを敵対するものと決めつけていないことを嬉しく思い、そのくせ一度たりとも話しかけてこなかったことを寂しく思ったと兄は言っていました。話しかけてくれていれば、わたしが今日、話したことをお話ししていたと思います。こちらからは声を掛けられませんでした。焔である兄が下手に接触して、もし雷雅が影に兄を攻撃しろと命じたら、神影煌一夫妻に加えて二人の影、いくら兄でも対処できなかったでしょう。
「わたしたちの最大の失策は、雷雅が影の総本部に姿を見せることを予測できなかったことです……あの日、父は神影の様子を探りにあの場所にいた。そして影に囲まれた一人の少年を知る。影に囲まれた影ではない人物。陽だという確信はない。だが陽の可能性がすこぶる高い――父が雷雅を見つけてしまったのです」
父は、総本部から帰る雷雅の後を追跡し、この場所を突き止めました。そしてこの建物の守りの固さを知ります。焔であり影の要素も持つ父が、ここに入るにはひなたさんの許可が必要です。張り巡らされた妨害波で検知不可能、ひなたさんを見つけられなかったのはここにいたからだ、と悟ります。そして陽の少年を手に入れることもこうなっては不可能、怒りが父を動かします。
父はすぐさま影の総本部に取って返すと、そこから神影家の庭を囲むフェンスの外に移動し、さやかさんが出て来るのを待ちました。そう、父が学生の頃、さやかさんを見初めたあの庭、あのフェンスです。
「さやかさんがそこを通る確信などなかったでしょう。でも、なんの因果か、さやかさんは現れました。一目でさやかさんと判ったと父は言っていました。さやかさんもまた、一度は流した視線を戻し、父と認識したようです。付き従っていた人に離れて待つよう指示し、近付いてきたと父は言っていました」
父を陽だと思っているさやかさんにすれば、父から陽を感じないのは隠しているからとしか思いません。同じ理由で自分の周囲の影は父に反応しないのだと思ったことでしょう。実際は焔を隠していたわけです――さやかさんに父は、『話がしたい、やっと影に協力する気になった』と言ったそうです。
「さやかさんは父を疑うことなく、ただ、神影家には入れず、総本部に案内するよう影に命じ、父は用意された車に乗って総本部の門を潜り内部に潜入しました――父は息子のわたしが言うのも恥ずかしいほど愚かです。本当に、愚かとしか言えません……総本部の応接室で、さやかさんに二人きりになりたいと言って拒否されると、周囲に他の影がいるにもかかわらず自分と一緒に生きていかないかと口説きました」
もちろん、そんな馬鹿な話に耳を傾けるさやかさんではありません。『いくら陽と言えど、何倍もの影に囲まれては身動きできなくなるとご存じでしょう? 痛い思いをしたくないなら二度と顔を見せないように』と退出しようとしました。それを――
「申し訳ありません!」
再び男が土下座した。テーブルがガタリと音を立てて揺れ、雷雅は反射的に倒れないようテーブルを押さえた。
「父は火を操りさやかさんを――さやさかさんと一緒にいたメイドさんを殺害しました。そこに駆け付けた炎影元照氏と二人の狩人に火を点けて死に至らしめたのもわたしの父です」
今度は奥からなんの反応も感じない。龍弥も男を見詰めたままだ。カウンターのマスターもこれと言って反応を示さない。
男を見て雷雅が思う。コイツ、どんなつもりで頭を下げているんだろう? 父親の悪行を父に代わって謝っているのは判る。謝りたい気持ちも判らなくもない。でも、謝られたほうはどう反応すればいい? こいつが殺したんなら、いくらでも罵れる。だけど殺したのはこいつじゃない――
「あの翌日、電車で会いましたね。あれは?」
急な雷雅の質問に、床に伏したままだった男が顔をあげる。
「あ……あれは、兄からキミがここに住んでいると聞いて様子を見に来たら、電車に乗るところを見かけてついていったんです。影の総本部を父が急襲するなんて予想外のことだし、父から聞かされていた計画とも違っていて、兄も慌ててました。わたしはキミの安全を確認したかった――陽であるわたしはお客として、このお店に普通に入れますから」
「なるほど、でも僕に店に来いと言われて退散した、という事ですね。僕は安全だと判断したのですか?」
「キミの隣に座る影は狩人、しかもかなり優秀な人だ。そして雷雅、キミの陽としての覚醒は完成に近い。能力が劣るわたしは、キミに逆らえない。焔として恐ろしい能力を持った父ともキミなら対抗できる。そう判断しました。今やキミは守られる存在ではなくなった」
「なるほど……」
少し考えてから、再び雷雅が男に質問した。
「あの日、総本部の庭から光による攻撃を受けました。あれはあなたのお父さんで間違いないですね?」
「間違いありません」
「僕の名を知っていたのはなぜでしょう? 暁月雷雅と、呼ばれました」
「早紀の両親が事故死したことはニュースでも取り上げられています。週刊誌の記事に、遺族は長女と孫とありました。フルネームで記載されていたと記憶しています」
「そっか、作家ならそんなこともあるかもしれませんね。ましてその遺族、所在不明になってしまったから、いいネタだ」
苦笑して、しばらく黙った雷雅が深い溜息を吐く。
「神影さやかたち影の五人を自分の父が殺害したと言って、土下座までして謝っているのに、僕の祖父母を殺したことに対してはなんにもないのですね」
ハッと、男が雷雅を見る。
「別に謝罪して欲しいとは思っていません、咎め立てる気もない――煌一さん、マスター、動いても喋ってもいい。来たければこっちに来てもいい」
男が緊張し、床に座り直すと正座して、背筋を伸ばす。
カウンターではマスターが落としっぱなしになっていたアイスピックを拾い、カランとシンクに放り入れた。奥の席では煌一がひなたと何かコソコソしている気配がした。
誰かが何か言い出すのを待っていた雷雅が、とうとう
「マスター、謝罪を受け入れますか?」
と、まずマスターに水を向けた。わたしですか、とマスターが軽く驚く。
「えぇ、マスターは妹さんと世話になったさやかさん、そして娘さんを殺されています」
雷雅の言葉に男の肩に力が入る。
「妹というよりわたしとしては狩人仲間――それはともかく、殺した本人からの謝罪なら考えもしますが、たとえ息子とは言え殺害に関係ない人からの謝罪など、受け入れません」
絶妙な言い回しだと雷雅が感心する。龍弥が雷雅以外には気が付かれないような微笑みかたをした。
「では、煌一さんは? ひなたさんは? この男はの父親は何人もの影を殺し、その中には煌一さんのお祖母さんもいる。影の一族で重要な役割を果たしていた総本部長もいる。親しんでいたメイドもいる――この男の謝罪を受け入れますか?」
「俺は俺の陽であるライガに従う」
煌一の声がし、
「わたしはマスターと同じ。その人の謝罪は受け入れない。謝罪して貰たって意味がない」
と、ひなたが答えた。
「タツヤ、どう思う?」
最後に意見を求められた龍弥は、雷雅を見つめて頷いただけで何も言わない。雷雅も龍弥に頷き返す。
「あいにく僕の影たちはあなたの謝罪を受け入れるつもりがないようです。椅子に戻ってください――マスター、悪いけど、コーヒーのお替りをお願いします」
カウンターから『承知しました』とマスターの声がした。




