93 影を壊す計画
自分を裏切れないと見縊っている妻、自分に共感していると信じている息子、二人の協力者を得た父は三人だけでも大丈夫だという兄の言葉に、迷ったものの頷きました。早紀とその子どもを手に入れて、万全の体制にしたいと思っていた父ですが早紀が見つからない以上は無理と、見つかり次第組み込めばいいと考え直したのです。
「父は影の一族に三つの勢力があり、協力しつつもどこかで対抗していることに目を付けました――三つの勢力とはご存じの通り神影・炎影・月影、これらを分断させ、一つずつ弱体化させる。我ら焔も三人、一人が一つの流派を支配すれば容易いはずだ……」
しかしこれは難航します。神影流の求心力は想像以上に強く、炎影・月影を神影に反目させるには相当の工夫を凝らした用意が必要でした。それが判った時点で無謀と判断しても奇怪しくなかったとわたしは思っています。
「しかし父は無謀と考えるどころか、むしろ心を滾らせます。かつて恋した……あるいは今も恋心を消せずにいる神影さやかさん、彼女が神影の実質当主であり、神影の求心力の中心に位置し、父から見れば影そのものの存在になっていたことが一番の理由でしょう」
冷静に考えれば、さやかさんがそんな立場なのは当然のことです。だからこそ、さやかさんは影が捨てられず、父から離れたのですから。その当然のことを『やはり』と思うと同時に、壊すことで見返してやれると父は感じたのです。自分を捨てて手に入れたもの、それを消滅させる……最大の復讐だと思った。納得できない話ではありません。
「しかし、思ったよりも難しい。さやかさんによって作り上げられた体制は盤石、なにしろさやかさんの能力は絶大――数人の影を操り、父はいろいろ調べさせたようです。そして見つけた綻び、それは神影ひなたさん……さやかさんの孫にあたる煌一さんの配偶者の存在でした」
奥の席から動きを感じる。『静かに』と制する声はひなたのものだ。煌一が怒りを抑えられず抗議しようとしたのだろうか? が、雷雅に動きも発言も禁じられているのだ、ひなたが押さえるまでもない。ならばひなたの声は牽制か?
「さやかさんとひなたさんの仲の悪さは影の中でも有名だとか……父はひなたさんを仲間に引き入れるため探しますが、これがまた掴めない。さらに調べるうち、ひなたさんの能力は強く、特殊であることも判ります。ひなたさんを手に入れた後、父がどうするつもりだったのかは判りません。が、ここでまた強い能力を持つ影の存在が父の計画の実現を阻んだ。父はますます怒りを募らせましたが、次の手を考えます」
各流派の当主を引き込むのは無理、でもひなたさんの存在を知った父は、当主が必ずしも実力者ではないと気が付きました。例えば神影家にしても、現当主・真輝氏よりその母親・さやかさんの能力のほうが断然強く、また次期当主と目される煌一氏は真輝氏を上回っていると言われる。では炎影・月影はどうか?
「炎影当主・元照氏は総本部長を務めるだけはあり能力も強く、簡単に手出しできない。次期当主・照晃氏はそこまでの能力ではないが、目端が利く……月影当主・耀流氏、当主として申し分ない能力を有しているが、影の一族全体を統率できるほどではない。そもそも月影は争いを好まない。しかし、次期当主・静流は野心家であり、能力も強いうえ特殊だ。そのうえひなたさんに横恋慕している節がある――父はまず、神影流以外、炎影・月影の次期当主を取り込み、切り崩すそうと考えました」
そこで父は、母に月影静流、兄には炎影照晃、それぞれに近付いて懐柔することを命じました。母は静流の恋愛相談を装い、兄は照晃の父親へのコンプレックスをついて信用を勝ち取ったうえで、焔である事実を告げ、それぞれを自分の影として支配することに成功しました。
「その頃、わたしは早紀をやっと見つけ出しました。清掃員として働いていた病院に早紀が入院したのです。そう、美立山病院、そこに早紀は入院したのです』
その日のうちにわたしは清掃の仕事をやめ、美立山市内を出ました。何度かわたしは父に見つけられ、その度逃げていましたが、今度ばかりは見つかるわけにはいかない。早紀の病室に赴き、一目だけでも会いたいと散々迷いましたが、大きな感情の動きは察知される可能性が強い。会いたいと思うだけでも危険です。すぐに病院を立ち去りました。
「早紀のことはすぐに兄に連絡しました。居所を知っていれば父を近付けない工夫もできます。すると兄は機が熟したのかもしれないとわたしに言いました」
母は月影、兄は炎影を獲得したと兄から聞いたのはその時です。父の執念を消し去る準備が整ったと兄が言うのです。雷雅の護符に書いた誓いが成就され、兄は早紀と雷雅に会いに行けるようになっていました。
「神影に働きかける必要はない。放っておいても神影は動くと兄は言いました――神影が独自に動き、そんな神影に兄と母が協力すること、それこそが父を改心させる一番だと兄は考えていたようです」
準備が整った、それは雷雅の護符、あの書付の効力がなくなったという事――わたしと兄の心配は、雷雅の無事と早紀の病状。とりあえず父の信用を得、いちいち行動を監視されなくなっていた兄は早紀を病院に尋ね、その病状を知ります。
「もう少しですべてが終わり、みんな笑顔で会える日が来る。そう思っていた兄を早紀の病状は打ちのめしました。早紀が生きていられるのは残り僅か――自棄を起こした兄は怒りのまま災厄魂を集め、闇を召喚し、影の狩人に見付かってビルの屋上に追い詰められてしまいます。もう何もかもどうでもいい、俺を消滅させたいならそうしろよ……そんな気持ちだったと言っていました」
いつかひなたが見せてくれた、パソコン画面の地図上の薄赤い点を雷雅が思い出す。美立山病院に突如現れたその点は駅周辺を徘徊し、小さな災厄魂の種を拾い集めて巨大化した。あれは母さんの死が近いと知った嘆きが生み出したもの――
「その兄を冷静にしたのは雷雅、キミだと言う事はもう話したね――キミを連れていけない、だけどキミはしっかりと影に守られている。しかも神影、そのうえ神影ひなただ。ならばむしろ好都合。兄と母が炎影と月影を従え、神影を従える雷雅、キミをわたしが支える、これで父を大きく上回った」
だが、キミに近付くのも難しい。ひなたさんと一緒にいるのは判ったが、早紀からも住所は聞き出せなかった。ひなたさんは早紀にすら雷雅の居所を明かさなかったようですね。早紀は陽の能力を使うことも考えたようですが、病気で弱っている自分では成功する自信がない。それよりも影を信じることだと考えたのだろうと兄は言っていました。
「そこで兄は早紀の病院で雷雅を待つことにしました。ところが雷雅はいつも影と一緒にいる。暫くの観察の後、雷雅が心身ともに健やかで、神影の保護の元、安全も保証されていると知り様子を見ることにしました」
ふと男が居住まいを正した。
「いずれ改めてご挨拶に伺うことになると思います。だけど、今、どうしても言わせてください」
男が席を立ち、床に手をつく。
「神影さん、雷雅の面倒を見てくださっていること、深く感謝しております――そして早紀の葬儀をしていただいたこと、言葉に尽くせないほどありがたく……わたしどもにはできないことでした」
深く頭を下げる男、奥からは何の反応もない。雷雅はちょっとだけひなたが鼻を啜ったような気がした。早紀の死を思い出したのかもしれない。龍弥が床に手をつく男の背に手を置き『頭を上げてください』と声をかけた。龍弥の判断か? それとも煌一かひなたが影を使って指示を出したのだろうか?
男もまた、涙を浮かべていたようだ。一緒になる日を夢見ていた女性の死を、この男はどう受け止めたのだろう? その葬儀にさえ行けなかったことをどう受け止めたのだろうか?
龍弥に頷き、その手を借りて、男が椅子に座り直す。そしてキッと前を向く。
「早紀が亡くなる少し前から美立山駅周辺に災厄魂が集中して出現したのは兄の仕業です。病院が近いから災厄魂が生まれやすいという理由で父を納得させていました。兄が始終いる場所で早紀を見つければ、兄が報告しないはずはないと考えている父の裏を書くつもりでした。ところが、まさかの事態です。影が雷雅の能力に頼り始めたのです。雷雅を前線に出すなんて予想だにしていなかった。今度は美立山周辺には行かない口実を探さなければならなくなりました」




