91 暴走の始まり
兄は彗星でアキラ、父は恒星と書いてワタル、母は光彩でヒイロと言います、と男が続ける。
「その名に、聞き覚えはありませんか?」
「いいえ……朱方という知り合いは文字が違ったとしてもいません。少なくとも僕は聞いたことがありません」
「それならまずは一安心――雷雅の存在を父はなぜ知ったのか、そのあたりのお話をしていきましょう」
焔となった両親と兄……父が母と兄に命じたのは、影の仕事の妨害――そんな話を兄から話は聞いていましたが、わたしは父の計画を知らないことになっていました。また、何の準備もないまま父と対立することは得策ではないと兄に言い聞かされていたこともあり、わたしにできることは知らん顔で学生生活を送ることだけでした。
「それでも少しでも時間稼ぎができたらと思い、一年留年しました。が、これは父にこっぴどく叱られるだけでなく、兄からも失策だと苦情を言われました。幸い兄が心配した、わたしへの不信感から父が何かに勘付くということもなく、父がわたしに焔になることを強要するのを一年先延ばしさせることには成功したわけです」
早紀たちが姿をくらませて四年、わたしの学生生活も終わりを迎えることになります。父の計画は一年遅れで本格的なものに変わるはずでした。
「焔ではなく、陽でいること、それが父の計画を頓挫させるために必要と、兄はわたしに言いました。焔は陽であり影でもある。つまり、強い能力を持つ陽なら、影でもある焔を押さえることも可能、それが兄の考えでした。ですが、わたしの陽としての能力はそう強いものではありません。そんな考えがあるなら、なぜ焔になったのだと、兄を責めるようなことを言ってしまったわたしに、兄は『すまない』としかいいませんでした」
早紀を守るためだ、今更それを言わせるのかと、兄は言いたかったかもしれません。でもそれを言えば、わたしは言いたいことを言えなくなる、きっと兄はそう思い、謝るだけにとどめたのでしょう。わたしとしても、まるきりそれを察していないわわけじゃない。どのみち焔になる気もないのですし、陽で居続けることに不服はありませんでした。
「兄は積極的に父を理解する努力をしているように見せていました。ときには判っていながら、ひょっとしたら父側に寝返ったかもしれないとわたしに思わせるほどでした。もともと両親を大事にする孝行息子、そんな兄が父に従順であったとしても不審がられることはありません。そうすることで、兄は父の動きを徹底的に監視していました」
兄の情報によると、父はわたしを焔にするのは大学卒業後でいいと考えていたようです。焔にはなってもらう、だが陽として、もともとさして能力のないわたしに父は期待していなかったようです。アシスタント程度の仕事ができればいい、そんな感じでした。
「焔にならずに済ませるにはどうするか? 兄は卒業式に出たら、そのまま姿をくらませろとわたしに言いました。兄は焔の力を使い、影を見つけ出し、従わせることに成功していました。その影にわたしの卒業後の住居を用意させ、そのうえで、その影から兄と兄がさせたことの記憶を消去しました。さらにわたしの卒業式に来た兄は早紀の父と落ち合い、そこにわざと陽の気配、早紀の父の気配を残し、父がわたしを追跡できないよう細工を施しました。もちろんわたしは陽の気配を漂わせないよう細心の注意を払い、兄が用意してくれた部屋に向かったのです」
わたしの所在不明に、父は半狂乱だったそうです。父の能力は強い。その父が本気でわたしを探し出そうとすれば、血縁の絆も働いて見つかる恐れもありました。が、部屋には事前に兄と早紀の父親で壁・床・天井に護符が貼り巡らせてありました。もちろん文字使いの能力を使ったものですし、文字使いでなければ見ることすらできないものです。
「学生のうちにバイトで貯めた金で食いつなげ、二年が過ぎた頃です――兄から、『見付けた』と言って父が家を出たとの連絡が来ました。いったいどうやって見つけたのか? わたしは日々の食糧さえもインターネットで購入し、部屋から一歩も出ない生活をしていたので不思議でしたが、宅配を受け取る時にでも陽の気配を漏らしたのだろうと考え、なにしろ部屋に籠ることにしました。兄からも部屋から出るなと指示されていました――早紀の両親が事故に会ったと知ったのはその二日後でした。父が見つけたのはわたしではなく早紀の両親だったのです」
ここで少し男が寂しげな顔をしたと雷雅は感じている。男はこう続けた。
「わたしの失踪に激怒したものの、父は早々にわたしを見限っていたようです。わたしを探すより、早紀を見つけ出そうと考えたのだと思います――誓詞に因り早紀を追うことはできない。でも早紀の両親を追うことは可能だった。そうして見つけ出した早紀の両親の生活ぶりを調べるうち、早紀に子どもがいることを知り、その子の父親が陽であることに、父は気付いたのです」
早紀と雷雅の記録から、わたしについて消去していてよかったとしみじみ思います。父親が陽であることを消すことは兄の力をもってしても不可能でした。個人を特定できなくするのが精一杯だったのです。だが、父にしてみれば、父親が誰であろうとよかった。陽と陽の間にできた子、それこそ父が望んだ能力なのですから。
「しかしそれが判ったところで、父は早紀に近付けません。父が早紀を手に入れるには、早紀が自ら父のもとに来るしかない。そこで父は一計を案じます」
父は早紀の父親に、会いに行くと連絡しました。我々は新しいスマホを使っていましたが、古いスマホも生かしておいたのです。新しい端末を使っていると気づかれないための措置です。時おり父から早紀の父親の古いスマホにはメッセージが入ったようですが、のらりくらりとお茶を濁していたそうです。
「メッセージを読んだ早紀の父親が、早紀とその子どもを連れて逃げ出すはずだと父は思ったようです。早紀を追えなくても早紀の両親は追える。逃走途中の早紀の父もしくは母を捕らえれば、心配して人質のスマホに連絡してくるはず、無事に返して欲しいならば、子どもを連れて早紀が迎えに来い、そんな計画でした」
父のメッセージを受け取ると、早紀の父親は兄にすぐ連絡しました。兄の指示は早紀と雷雅をそこに残したまま夫婦でどこかに移動しろというものでした――焔になる際の誓詞で父は早紀を追えない。雷雅は兄とわたしが書いた護符で守られている。守りが薄いのは早紀の両親、ならばその二人を遠ざければ、少なくとも早紀と雷雅は守られる。まさか父が陽でも影でもない早紀の母親を巻き込んで、事を起こすことはないだろうと兄は考えたのです。ところが父は兄が考えた以上に常軌を逸していたようでした――
「早紀の父親のスマホに父は、ひっきりなしにメッセージを送りつけました。近くにいるから久しぶりに会って話をしようじゃないか、そんな内容です。早紀の父は忙しいからと断り続けましたがファミリーレストランで休んでいることを指摘されて、諦めたようです。そのレストランの駐車場にいるんだよと父からのメッセージを読んだ時、窓越しに目が合ったがあの顔は傑作だったと、のちに父が言っていたと兄から聞きました」
父は早紀の両親に早紀の様子を聞いたようです。孫は可愛いものだそうだなと言う父に、早紀の父親はもう何年も会っていない、父親が判らない男の子を産むというから追いだした、どこにいるのか判らない、連絡もない、きっと男とよろしくやっているのだろうと言ったそうです。これもあとから聞きましたが兄の入れ知恵でした。
「雷雅、キミの祖父母の事故はハンドル操作を誤ったものと言われていますが、父が影を操り崖から転落させたものです――父は話を終えた後、それじゃあ元気でと早紀の両親と別れました。でもその時、早紀の父親が運転する車の影に細工したのです」




