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神影ひなた の シャドウ・ビジネス  作者: 寄賀あける
第3部 愛と憎しみに導かれて

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90  流星という名

 その条件を拒むことはできませんでした。相手は早紀(さき)の父親であり、身を隠す場所も確保できる。一方、わたしも兄もすぐに父から逃げることは難しい。例え大学を辞めて家を出たところで、父は必ず自分の息子を見つけ出すはずだ。だからわたしと兄に、早紀を守ることは実質無理だったのです。


「早紀は絶句しましたが、お(なか)の子を考えて自分の父親に従うことにしたのだと思います。早紀の父親が一人でスマホを買いに行き、わたしたちはそのままホテルで待っていたのですが、早紀はわたしにしがみ付いて声を出さずに泣いていました。兄はそんなわたしたちに何も言わず、テレビをつけて見ていました。わたしと早紀に気を使ったのだと思います」


 早紀は自分の父親が戻ると泣き止んで、泣き腫らした目で真っ直ぐ自分の父親を見つめ『お世話になります』と頭を下げました。どうにも情けない話ですが、その時、やっとわたしも早紀の父親に早紀を託すのだと気が付き、早紀に(なら)って頭を下げました。


「早紀と早紀のお腹の子をよろしくお願いしますと言うわたしに早紀の父親は、安心して任せなさいと微笑みました――それからわたしたちはスマホを受け取り、互いに新しい番号を登録、音声通話はしない、連絡はSNSで必要最低限だけ、通知音はさせない、と決め、来た時同様、早紀は自分の父親と、わたしと兄は時間をずらしてホテルを後にしました。わたしが……早紀の顔を見たのはそれが最後になりました」


 男の声が途切れた。それきり母さんに会わなかったことを後悔しているんだろうか? そう思ったあと、雷雅(らいが)は微かに覚えている早紀の父親、自分の祖父のことを考えた。


 交通事故で亡くなるまで、早紀と祖父母、四人で暮らしていた。滅多に笑わないが口煩い訳でもなく、多分無口なだけだったのだろう。甘えた思い出はないが、嫌いではなかった。むしろ、好きだった。台風などで落ち着かない夜も、祖父がいれば安心できた。祖母にはよく甘えたが、頼りにしているのはやはり祖父だった。


 家で仕事をしていて、書斎に籠っていることが多かった。作家だと知ったのは小学校の高学年になってからだ。雷雅の持っていた本を見て、母がそっと『お祖父ちゃんが書いた本よ』と教えてくれた。名前が違うと言えば、ペンネームよと母は笑った。


 五歳くらいの時、夫婦で出かけていた祖父母が交通事故で亡くなる。葬式の日は雨だった。葬式の後、すぐに納骨しに行った。そして、それまで住んでいた家には帰らなかった――


「早紀はよく近況を知らせてきました。今日、初めて動いた、とか、お腹の中で走り回っている、とか……わたしはいつも素っ気ない返事しかできず、早紀は寂しかったかもしれません。伝えたいことがないわけではなかったけれど、書き連ねていくうちに『会いたい』と書いてしまいそうで、途中で消すことが多かったのです」


 臨月になり、子どもの名前を決めて欲しいと早紀からの催促がせっつくようになりました。性別が男だという事は随分前に知らせが来ていて、その時から名前をと言われていたのですが、なかなか決められずにいたのです。そんなとき、兄から話があると言われ、わたしたちはまたあのホテルで落ち合いました。すると、驚くことに、兄は早紀に会いに行け、とわたしに言いました。


「父とは話を付けた、もう早紀たちを父が探すことはない……そう言う兄に、どんな手を使ったんだと詰め寄るわたし、とうとう兄は(ほむら)になることを承知することで早紀を追わないと父に約束させたと白状しました」


 すでに両親と兄は(ほむら)となる儀式を済ませた。その際の誓詞に『早紀を追わない』と父に書き加えさせた――だから何があっても父は早紀を追えない、おまえが会いに行っても、父に早紀の居所は掴めない、そう言う兄を見つめ、やはり早紀に会いに行くなんてできないと思いました。わたしのために兄を犠牲にしてしまったと、泣くわたしを兄は笑いました。


「おまえのためだけじゃない、早紀のためだよ、と。僕が早紀を愛していること、いまさら隠したってどうせ知っているんだろう? 兄の声はどこまでも穏やかでした」


 それで名前は決めたのかい? 早紀が、おまえから返事が来ないと心配してたよ。涙が止められないわたしの肩を抱き寄せて兄は言いました。最初の贈り物だ。慎重になるのも判るけど、早く決めて早紀を安心させてあげようね。兄の贈り物という言葉に、わたしはポケットに仕舞いこんだ早紀への贈り物を思い出します。


「結婚はまだ先になる、むしろいつになるか判らない。でも思いが消えることは決してない。そんな意味を込めて、早紀に指輪を贈りたいと思っていたのです。結婚指輪は結婚できた時、また用意する。そう考えていました」


 内側に刻印されたあの指輪だ――雷雅が(へそ)の緒の下に隠されていた二本のリングを思い出す。


「それって……名前が刻印された指輪ですか?」

雷雅の問いに、男が少し微笑む。


「うん、わたしから早紀へと、名前を刻んだものだよ。知っているんだね」

「亡くなる直前、母から渡されました。臍の緒の下に隠してありました――あの指輪にはいろいろ術が掛けられていたようです。僕や女性が触ると熱く感じますし、僕以外は指を通せません」

「そうなんだね……それは早紀か、早紀の父親の仕業だよ。わたしが早紀に贈ったものにはなんの細工もしていない」


「そうだ、僕や母の記録から自分の名を消していますね。母はあなたから聞いた名前は本当の名前ではなかったと僕の影に言いましたが、それはどんな理由からでしょうか?」

「わたしの名前?」

男が怪訝そうな顔をする。


 少し考えてから男が答えた。

「兄の仕業かもしれませんね……記録を消したのは間違いなく兄です。最後に会ったホテルで施術したのを覚えています。早紀と早紀のお腹の子からわたしの記録を一時的に消すと言っていました」

「一時的に?」


「えぇ、万が一、父や、あるいは影に見つかった時の用心のためにです――兄はとても慎重です。その慎重さに助けられてばかりいます。名前の件ですが、リングにはもちろん本名を刻んでいます。早紀がキミの影に()であるわたしの存在を知られないために、本名は判らないと言ったのではないでしょうか?」

「母の意思でそう言ったのだと? そう言えばあなたのお名前を聞いていません」


 慌てて男が居住まいを正す。


「申し遅れました――朱方(あけかた)流星(ながれ)、アケは朱色の朱、カタは東西南北、方角の方、流れ星、流星と書いてナガレと読ませます」

「なるほど――それが本当なら、指輪の刻印と同じです」

疑っているわけでもないのに、なぜかそう言った雷雅だ。


「それで? 命名書を書いたのもあなたですね? さっきそう言っていた。で、裏はお兄さんと二人で書いた」

「えぇ、そうですね――そう、指輪のことを思い出したわたしは兄にどうやって渡せばいいかを相談したんです」


 兄は会いに行って自分で渡せばいいじゃないかと笑いましたが、そんなことできないと突っぱねるわたし、とうとう宅配で送ろうという事になりました。


「だったら、命名書も一緒に送ればきっと喜ばれる。提案したのは兄でした。すぐに紙と筆、墨汁を買いに行ってくれ、さぁ、早く書けと迫ります」


 雷雅にしようと思っていました。兄は『いい名だな』と言ってくれ、やっとわたしも心が決まります。もし兄に(けな)されても、他に思いつかなかったでしょうから、結局雷雅にしていたと思います


「先ほど()の特殊能力の話はしました。わたしと兄にもそんな能力(ちから)があって、俗に文字使いと呼ばれるものです。特殊能力と言っても、()には割と使い手が多くいます。影にはいないと聞いています」


 文字使いとは書かれた文字に本来とは別の意味を持たせることができる能力(ちから)で、あまりいい例が思いつかないのですが、『好きです』と書いてあるのに、実は『嫌いです』という意味だったり。別に反意を示すだけではないですし、なにしろ書かれていることと実際は別の意味だという事です。そしてそれは(まじな)い札に使って初めて効果が出るのです。


「書きあがった命名書を見て兄が言いました。裏にも何か書いて雷雅を守る護符にしよう。誰かに読まれて早紀が困らないよう、文字使いの能力(ちから)を使って書こう――あとはさっき話した通り、兄とわたしで取り合うように裏を書き、指輪とともに早紀に送りました。届いたと連絡があったのは三日後で、同時に雷雅、キミの誕生を知りました」

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