85 届かない想い
けれど再び転機が訪れます。自分たち以外の陽と遭遇してしまったのです。
「雷雅、キミのお祖父さんのことだよ」
男が自分を見たことに気が付くが、雷雅は黙って視線を逸らしたままでいた。その祖父を、そして祖母を殺したのは、目の前にいるこの男の父親だ、そんなことを考えていた。
「母がわたしを産んだ産院でのことでした。早紀の母親もその産院で出産し、わたしが生まれた五時間後に早紀を産み落としました。かなりの難産だったそうです」
苦しむ妻に狼狽え、陽である夫はつい、守りを薄くしてしまいました。一瞬の出来事、それを父は見逃さなかったのです。
「陽の一族、しかも苗字は暁月、陽の一族の総本家……父はその夫婦に生まれた娘に目を付けました」
陽と陽になった影の間に生まれたわたしたち兄弟は、陽の能力が強いことが判っていました――影と同じで、その子の能力は生まれてすぐに予測できるものです。この辺りは神影さんに聞いてください。詳しくご存じでしょう。
「それなら陽と陽の間に生まれた子はどれほどの能力を持つだろう?……影を倒せる、そんな期待が父の復讐心を煽り立てたのです――父は暁月夫妻に近付き、かと言って自分たちが陽であることを気付かれないよう、つかず離れずの関係を保ち時を待ちました」
それからというもの父が考えるのは、どんな手段を使って影の一族を撲滅するかという事でした。その計画には母はもちろん、わたしたち兄弟や、いずれ仲間に引き込むつもりでいる早紀の両親と早紀も含まれていました。
「わたしと兄は三歳違い、わたしが中学に入学した時、兄は高校入学、そのころから父は『おまえは将来早紀と結婚すると決まっている』と兄に言うようになったそうです。『向こうの親とも話がついている』そうも言ったそうです。年頃になった兄が、他の女性と恋に落ちるのを防ぐつもりだったのだと思います」
当時の兄は早紀のことを妹のように感じていました。わたしたちは幼いころからの知り合い、幼馴染として友好な関係でした。わたしたちが小さなころは両方の家族で動物園や遊園地に遊びに行くのもよくあることでした。
「早紀はまだ中学生になったばかりだし、内緒で父親同士で決めたことだから誰にも言ってはいけないと父に言われていた兄は、わたしにはもちろん、母にさえ相談できずにいたようです。高校生にとって結婚なんて遠すぎる将来の話、決められていると言われれば反発もするし、不安も感じる。それに早紀の気持ちは? そんな思いは、兄が早紀を気に掛けるようにするのに充分なものでした。父の策略が成功したという事です」
覚醒が近づくころの兄は、早紀への恋慕を自覚していたそうです。中学時代の三年は少女を美しく劇的に変えていきます。その様子を目の当たりにしたことが、兄に恋を教えたのでしょう。
「そして兄も覚醒を迎えます。父はそんな兄に、早紀の両親、そして早紀も陽であると教えます。もちろん、三人から陽の気配が感じられはしません。けれど、陽は自分が陽であることを隠す――早紀はまだ覚醒していない、あと三年で早紀もおまえの弟も覚醒する。そうなれば、おまえは早紀と結婚し、早紀の両親とも互いに陽であると明かしあえる、その説明に兄は納得します」
存在を隠し、同族と巡り合うこともままならない陽の一族が、二家族といえ結集する。素晴らしいとは思わないか? その先にある父の企みを知らない兄が異を唱えることはありませんでした。弟よりも能力が強いおまえを、早紀の父親が選んだと言われ、早紀に思いを寄せる兄の不安は少しだけ解消されます。早紀の気持ちを気にしていた兄は、早紀の父親が味方なら早紀もきっと頷いてくれると思ったのです。早紀は随分と父親っ子でしたから……
「早紀の父親はこの時点では全く関知していません――父は早紀の覚醒を待ち、早紀の父親を脅迫する気でいました。陽の一族だと知っているぞ、と。そのうえで手を取り合っていこうじゃないか、と持ち掛けるつもりだったようです。兄と早紀を結婚させれば、我ら陽は安泰だ、とね」
兄の覚醒から三年、表面上は何事もなく過ぎていきました。大学生になった兄、高校生になったわたしと早紀――兄は誰と付き合うこともなく、早紀への思いを一人育み、早紀の覚醒を待っていました。
「父が動いたのは、わたしと早紀が覚醒する誕生日の前日、早紀の父を訪ね、陽であることを理由に兄と早紀の婚約を迫ったようです。どんな話し合いが行われたかは聞いていません。ですが、早紀の父親が、早紀と兄の結婚を了承したのは確かなようです」
男がカップに手を伸ばし、口を付けようと覗き込むが空になっていた。慌てて龍弥がカウンターからコーヒーサーバーを持ってきて、三つのカップに注いだ。龍弥に会釈し、男はゆっくりとコーヒーを口に含む。
龍弥を待っていたわけではないだろうが、男が話を再開したのは龍弥が席についてからだった。
「わたしが兄と早紀の婚約を知ったのは、覚醒の翌日、覚醒によるショックが醒めていないわたしにとってその知らせは、自分の存在を消してしまいたくなるほどのものでした。救いがあるとしたら、早紀もまた陽だと言う事実、それだけでした」
わたしが中学の時、通っていた進学塾に早紀も通っていました。偶然です。どこの塾にするかは、わたしも早紀も自分で決めていましたが、示し合わせたりなどしていませんでした。
「そこでわたしは、家族に知られることなく、ますます早紀と仲良くなっていきました。受験する高校も、二人で相談して同じ学校を選びました」
男が二粒目のチョコレートを口に入れる。雷雅と龍弥もなんとなくチョコレートに手を伸ばす。溶けていく感覚と甘さ……
「交際していたわけではありません――早紀とは高校で三年間、同じクラスになりました。幼馴染のわたしと早紀は仲が良く、よく冷やかされたものです。でもそんなとき、わたしも早紀も、ただの幼馴染だと言い訳していました。少なくともわたしの言葉は言い訳でした。冗談を言い合っては笑う早紀を眩しく感じ始め、ときめきを自覚したのは高校二年の夏ごろだったと思います」
わたしたちは朝、駅で待ち合わせ一緒に登校し、帰りもその駅までいつも一緒に帰りました。友達数人と、あるいは二人で遊びに行くこともありました。わたしは心のどこかで、『きっと早紀も同じ思いでいてくれる』と思うようになっていきました。
「高校三年、進学希望の二人は同じ大学を受験すると決めていました。もうすぐ誕生日という頃です。一緒に誕生日のお祝いしようと早紀が言いました。もちろんわたしは承諾し、そして心の中で決めていました。二人が十八歳になるその日に、早紀に交際を申し込もう。好きだと告げよう――」
フッと男が苦笑する。その誕生日に不測の事態が起きたことなど、言われなくても想像がつく。
「誕生日、早朝から始まった覚醒にわたしは狼狽え、混乱し、大暴れしてしまいました。父は自分の経験から、事前にわたしに事実を告げず、覚醒に合わせて説明する方法を取ることにしていました。事前に話しても覚醒するまでは納得しないからです。待機していた両親と兄は力尽くでわたしを押さえて、温和しくさせました」
信じられないような話をされ、信じたくないのに信じている自分。信じているというより知っているが正しいですね。わたしが大きく動揺したのは言うまでもありません……その日、わたしは学校を休みました。放課後の早紀との約束、一緒に祝う誕生日、無理だと思いました。思いを伝えるのも、もう無理だ――まさか同じころ、早紀も同じ苦しみを味わっていようとは思いもよらなかったのです。
「そして翌日、さらにわたしは打ちのめされます。早紀もまた陽であり、兄と婚約した。早紀ももちろん承諾していると、父から聞かされたのです」




