82 陽が姿を隠した理由
誰かに似てる、そう思った。そうか、その誰かは僕か。
目の前に座り、自分を見つめている男の顔をもう一度よくよく見て雷雅が思う。毎朝、鏡で見る自分、時折目に入ってくる街角のショーウインドウのガラスに映った自分、友達と笑いながら撮った写真……そこにいる僕と、この人はとても似ている。
「雷雅?」
黙り込んでしまった雷雅に、男が恐る恐る声をかける。
「いいえ――」
それに雷雅が応える。何が『いいえ』なんだろう?
カウンターに行ったきりだった龍弥がトレイを持って戻ってくる。どうぞ、と男の前に置いた皿には食べやすいよう、一つ一つにピックを刺したトリュフチョコレートが乗せられている。同じものを雷雅と自分に、そしてトレイは隣のテーブルに置き、そのまま龍弥も席に着く。座る時、そっと雷雅の肩を摩った。
龍弥は大変だな、そんな思いが雷雅に浮かぶ。マスターの心配をし、今度は僕の心配だ。でも、僕よりマスターのほうがダメージが大きいんじゃないのかな? それで僕は? 助けが必要なんだろうか?
「いいえ、なんでもありません」
そう言いながら龍弥が運んでくれたチョコレートに手を伸ばし、一粒口に入れる。甘さが口の中に広がり、心が落ち着いていく。すごく美味しいチョコレートだ。
なんでもない、そう言われた男は複雑な心境のようだ。もの言いたげな顔で雷雅を見つめているだけで、言葉を選びきれずに戸惑っている。口に残る甘さを雷雅はコーヒーで消した。
「話はだいたい判りました。総本部を襲撃したのはあなたのお父さん。月影にはあなたのお母さん、炎影にはあなたのお兄さんがそれぞれ近付いた。元凶とも言えるあなたのお父さんをなんとかしたいと思っている――影の協力を得て、あなたのお父さんをどうしたいと思っているのですか? 能力を取り上げる? まさか殺したい?」
「いや、雷雅――」
「あなたが僕の生物学上の父親だという事は判りました。まさか、親子の情で僕を動かせるなんて思っていませんよね?」
「いや、そうじゃなく、雷雅、話は終わってないんだ」
「話? これ以上なんの話? そうだ、神影さやかを殺した理由を聞いてない。あなたのお父さんが神影さやかを騙して総本部に侵入したとは聞いた。だが、そうだとしたら協力者なのに、なぜ殺す必要があったんだ!?」
「ライ――」
喋ってうちに自分がどんどん昂っていくのが判る。最後は怒鳴ってしまった雷雅の背に、龍弥がそっと手を添えた。
少し面食らったようだが、気を取り直すように咳払いをして男が言った。
「神影さやかさんについては……一緒に亡くなった四人のかた、怪我をされた多くのかたがたについては大変申し訳なく思っています。謝って許されることではありません。父をどう断罪なさろうと異を唱えるつもりはない。父を止められなかったわたしたち兄弟も同罪です」
男が辛そうに眼を閉じ、そして開けた。言葉遣いが最初に戻った、雷雅の心が閉ざされたことに反応してか?
「神影さやかさんは、そもそも父が影を憎むようになったきっかけなんです」
奥から煌一、カウンターの中からマスター、それぞれの気が動いたのを感じた雷雅がそれを制し、男に向かう。
「ここにいる影は全員神影流、しかも奥にいるのは神影さやかの孫。カウンターにいる影は、総本部襲撃で娘を亡くした。あなたの話によっては、僕は影を止めないかもしれない。それを承知のうえでお話しください」
雷雅の言葉に男は再び目を閉じた。だがそれは怖じ気づいたのではなく、心の中で謝罪を繰り返したのだと雷雅は思った。犠牲者の親族がここにいる……いくら謝意を口にしたところで、きっと上っ面に聞こえることだろう。許しを請うつもりのない謝罪は、自分の心で繰り返せばいい。
「わたしも父から聞いた話で、実際のところ、真実だと断言できません。事実はどうあれ、父はこう思っているという事でお聞きください」
やがて男は顔を上げ、こう前置きした。
「神影さやかさんとわたしの父は恋仲だったと、父が言っています――もちろん、今ではなく、ずっと昔の話です」
奥で暴れそうな煌一をひなたが制した気配がした。雷雅の命令もまだ有効なのだから、動けない煌一はさぞや焦れているだろう。
「そうだ、陽の一族が、陽であることを影にさえ隠す理由、それもお話ししていませんね。先にこちらを話しましょう。その後、神影さやかさんのことを。そのほうが判りやすいと思います」
あ、と雷雅も思う。そうだ、それも知りたい――
「陽には、影を陽に変える能力があるのです」
「影を陽に変える?」
「はい――厳密にいえば陽の能力の一部を与えられるという事です」
「陽の能力の一部とは?」
「影を統率する能力です――その力を持つことにより、影の能力を保持したまま、陽として影を統率する。けれど滅多なことではそんな必要がなかった。影は自らの任務に忠実であり、逸脱することがない。陽が、能力を委譲しなければならないようなことは起きなかった」
「それがなんで陽が影から隠れる理由になるのですか?」
「事情が変わったのは戦国時代です――影を利用することを思いついた戦国大名たちが、より強い影を望んだ。他の大名が抱える影にも影響できる、陽の能力を持った影、欲しがるのも無理ないと思いませんか?」
「いや、まぁ、そうかもしれませんが……陽、そのものを使うという事は?」
「後ろにいるしかない陽より、前線で臨機応変に動けるほうが有利です」
「しかし……影は大名の言いなりに?」
「もちろん大金が動いたし、大名からの脅しもありました。影に生まれたからと言って全てが能力者ではないのです。その者たちを質に取る大名は後を絶たなかったと容易に想像できます――その時の影の動きは今もシャドウ・ビジネスとして残っているのではないですか? 一部の有力者しか知らないし、利用できないと聞いています」
シャドウ・ビジネス――こうなると完全に裏稼業、可笑し過ぎて、泣きたい気分だ。
「だが、陽も影も、多くの人が命を落とす事態を憂慮した。このままでは我が竜の背は統一を見る前に滅んでしまうかもしれない――講じた結果、陽は身を隠すことにした。影には災厄魂を回収するという任務がある。消えるわけにはいかなかったのです。陽の一族は歴史上から消えるべく動いた。そしてそのことを影は、ほかに漏れるのを恐れ記録しなかった」
「つまり、能力を悪用されないためだったんですね――それで隠れた陽の一族は、その後どうなったんでしょう?」
雷雅の質問に寂しそうに男が苦笑した。
「ただの人として、生きていこうとしたんだと思います。けれど能力がそれを許してくれない――雷雅、キミがそうだったように、いずれ能力が目覚め、能力は自分が何者かを知らせてくる」
「僕は覚醒する前に、影に陽と認識されました。今までだってそんなことが起こりえたはずです。でも誰も見つからなかった。それはなぜ?」
「早紀の能力が病によって弱まり、書付の守りが兄の誓いの成就により失われたからでしょう。通常、目覚めるまで親の能力で陽の子どもは守られます」
「え? 母さんは結婚によって陽の一族から除外されたのでは?」
「誰がそんなことを?」
男がキョトンと雷雅を見る。
「だって、母さんは結婚で暁月の苗字を捨てた。それで陽の一族から除外されて、能力の一部を取り上げられた、って」
「能力の強い陽が、自分より能力の弱い陽の能力を制限するのは可能です。だけど早紀の場合、結婚した時は両親を亡くしていて、身近に陽はいなかったのではないですか?」
「あ……ひょっとして、母さんが影を騙した?」
すると奥からひなたの声がした。




