80 来訪者は語る
マスターが立ち上がり、店を開けましょうと出入り口に向かった。外部から感じる気配からは、自分を隠そうとする意思が感じられない。来たよ、とでも言いだしそうな雰囲気だ。
「影ではない、そして陽でもない」
呟くように煌一が言った。
「なのに存在だけは感じる――通常の人と違い、能力を持ってないわけじゃない」
「焔なんでしょうか?」
龍弥の声は控えめだ。普通の声では外でこちらを窺う人物に知られてしまいそうな気がするのだろう。
「陽でないと決めつけるのはどうだろう? 陽であることを隠しているのかもしれない」
雷雅の言葉に、煌一が考え込んだ。
マスターは箒と塵取りを持って店を出て、しばらくして戻った。そしてそのままカウンターに入る。
「入っていいのかって、訊いてきました」
外の人物が雷雅の意識に話しかけてきたのだろう。雷雅が報告する。
「入ってもらえ……たぶん店の守りはヤツには効果がない。押し入られるよりはマシだ」
面白くなさそうに煌一が答えた。
ほどなくドアベルがチリンと鳴る。マスターが顔を上げて客に向かう。
「店はお休みなんですが……」
マスターは『すんなりとは入れないぞ』とでも言いたそうだ。アイスピックでブロックアイスを砕いている。
「お話しさせて貰ってもいいでしょうか?」
「それでは、そちらにお掛けください」
ここで揉めても意味がない。マスターがカウンター横の席を勧める。
「コーヒーでよろしいですか?」
「いえ、お気遣いは――」
「ご遠慮なく。お持て成しするよう言いつかっております」
「恐縮です」
観葉植物と衝立で遮られた奥のコーナーでは煌一をはじめ、誰も声を出さない。意識同士で相談していた。
(さて、どうする? ライガ一人で出てみるか? それともタツヤと二人?)
ひなたが悪戯そうに瞳をクルクルさせる。
(いや、俺も同席しよう)
煌一が腰を浮かせるのを、
(ここにいてください)
と、雷雅が止める。
(敵意を感じません。まずは話を聞くだけ。もちろん焔について探ってみます。何かあれば意識に話しかけて指示をください――タツヤはついてきて。前に会った時も一緒だった)
雷雅が立ち上がり、龍弥がそれに続く。心配そうな煌一と、どこかワクワクしているひなたに見送られ、観葉植物を回りカウンターの前を通って、店のメインスペースに出る。
そこに座る男は、懐かしむような優しい眼差しを雷雅に向け、ただ、雷雅だけを見ていた。雷雅の傍らに龍弥がいることに気が付かないはずもないのに、ただ雷雅だけを見た。ずっと見たかったものをやっと見ることができ、目が離せない、これがそうかと感動に震えている、そんな感じだ。
齢は三十代半ばくらいか。中肉中背、見た目だけなら平凡を絵に描いたようだ。
「先日、こちらでと言われたので、図々しく押しかけてきました――迷惑ではなかったですか?」
「いいえ、お待ちしておりました。僕の友人が同席します。問題ありませんね?」
「もちろんです」
「それと……会話はすべて声でお願いします。意識に話しかけられたら、その場で打ち切ります」
フッと男が笑った。この顔、知っている。雷雅がそう感じる。
「はい、了解しました。わたしもあなたの声が聞きたい」
母の病院や葬儀で見た男に似ている。それに別の誰かにも似ている。僕はこの男を知っている――
マスターがコーヒーを運んできて、すぐまたカウンターに戻る。どうぞ、と雷雅が男に勧め、自分もカップに手を伸ばす。今日はマグカップではなく、ソーサー付きのコーヒーカップだ。
男も自分のカップに手を伸ばしコーヒーを味わったが、その間も雷雅の顔からできるだけ目を離したくないと言わんばかりに雷雅を見る。とうとう雷雅が
「僕の顔に何かついていますか?」
と皮肉を言った。
苦笑して男が言う。
「いいえ、早紀に――早紀さんによく似ている、と……」
「お、親子ですから。母をご存じなのですね」
母を早紀と呼び捨てにした。男の来訪に気が付いた時から音を立てている雷雅の心臓が、さらに激しく脈を打つ。それともマスターが氷を砕く音が聞こえているだけだろうか? いや、たしかに心臓の音だ。
男がやっと雷雅から目を逸らし、少しだけ俯き加減になる。反対に雷雅が男を睨むように見つめる。
「早紀さんは、わたしの兄の婚約者でした」
「あ……婚約者?」
「はい」
「でしたという事は破談になった?」
「はい、兄は早紀さんに、何と言うか、逃げられました。正確に言うと、早紀さんを逃がしました」
「逃がした?」
「兄と早紀さんの結婚が、わたしたち兄弟の父の企みの一部に過ぎないことを知っていた兄は、早紀さんを巻き込むを良しとしなかったという事です」
「あなたのお兄さんは、僕の母を愛していた?」
「……はい。きっと今でも思いはあると思います」
身体が震えている――落ち着かなくちゃ、そう思ってコーヒーに手を伸ばすが、手がガタついて巧く取れない。諦めて一つ深呼吸をし、男から目を逸らした。直視したままでは言えないと思った。鼓動で氷を砕く音が聞こえなくなりそうだ。
「あなたのお兄さんが僕の父親でしょうか?」
こんなに震えているのに、声はすごく冷静に聞こえる。それともそう思っているのは自分だけで、他人には上擦って聞こえているんだろうか?
「違います」
予想外の答えに、思わず視線を男に戻す。男も真っ直ぐ雷雅を見ている。
婚約者だったが父親ではない――母には別に恋人がいた。だからこそ、この人の兄は母を逃がした? 父親ではないことに雷雅の緊張が少しほぐれ、身体から力が抜ける。ゆっくりと男に向けた視線を下した。アイスピックで氷を砕く音がすごく大きく聞こえてくる。そして思い出す。聞きたいことはこんなことじゃなかったはずだ。母の名が出て、つい脱線してしまった。
「あなたたち……あなたのお父さんとお兄さん、そしてあなたは陽ですか?」
いきなり雷雅が質問の方向を変えたからか、男はほっと息を吐く。少し残念がっているように雷雅は感じた。
「わたしは今でも陽ですが、両親と兄は陽から生み出された焔に変わってしまいました」
「そのひは焔ですね?」
「気付いていましたか」
男が笑んだように雷雅は感じた。
「影の流派に焔が干渉していることには?」
今度は男が雷雅に訊いた。雷雅がそれに答える。
「気が付いています。炎影と月影を取り込んでいますね? 総本部を襲ったのはどちらですか?」
「少し読み違いをされているようです。そのどちらでもありません。焔には、影を服従させる能力はありません。影の意思に反した行動をさせることはできないのです」
「焔には、どんな能力があるのですか? そして、三人だけですか?」
質問者は雷雅に戻った。
男はすんなりと質問に答える。こう素直だと、そのまま鵜呑みにしてもよいのか迷いもあるが、どうにも嘘を感じない。この人は僕に好意を持っている。信用したいと雷雅は感じている。そう、僕はこの人を信用したい――
「焔は、陽が持つ影に君臨する能力と引き換えに、炎を自在に操る能力を手に入れました。そのほかに影の同意があればその影と同化できる、残留思念を残した場所に意識を張り巡らせる。また、その残留思念を残し続けたり消去したりなどの能力もあるようです。他はどうも個人差のようで判りません――わたしが知る限り、両親と兄の三人だけです」
「今のお話だと、総本部を襲撃し焼き払ったのは焔以外にないように思えます。総本部には影、もしくは影が承認した人しか入れないはずです。どうやって焔は総本部に入ったのでしょう? 焔の誰による仕業なんですか? 犯人を教えてくれるのでしたよね?」
「はい、そのつもりでここに来ました――影の総本部を襲撃したのはわたしの父、父を手引きしたのは神影さやかという人物です」
奥で煌一が立てたのだろう。ガタッという音とともに勢い込んで立ち上がる気配がした。そしてマスター……
アイスピックで氷を砕く音が途切れた。




