77 うーちゃん、歩きまわる
食中毒ってわけじゃなくて? 陽だまりで雷雅が首を傾げる。龍弥とマスターは目を見かわす。
「影にはお医者さまもいらっしゃいますから……」
マスターが遠慮がちに言う。
「だけど、出前の鰻重でしょう? 影が大勢いる場所で毒を仕込むなんて実質無理なんじゃ?」
雷雅の疑問に、
「もともと入っていたとか?」
と龍弥が言い、
「鰻寿がそんなことをして、なんの利益がございましょう?」
マスターは不服そうだ。
いや、待って、と言ったのは雷雅、
「鰻寿って信用できるお店なんでしょう? そこが随分配達に遅れた?」
あっと龍弥が雷雅の顔を見る。
「毒の混入は配達の途中?」
「ライガ、推理作家にでもなるか?」
ひなたの声がして、陽だまりに戻ってきたことが知れた。
「ライガ、キミの推理はなかなかのものだぞ。鰻寿から『配達途中で鰻重が盗まれた』と連絡があった。店員が運転中に意識を失ったらしい――気が付いたら車は車道の左側に停車していて、配達するはずの鰻重がなくなっていた」
「それで、どんな毒だったんですか? まさか、また?」
龍弥が青い顔で言う。まさか、また……死者が出たんじゃないか、心配したのだろう。龍弥の父親も含まれる可能性がある。
言いずらそうにひなたが答える。
「うん、毒と言うより……下剤だそうだ」
「下剤?」
聞いていた三人の声が揃う。
「いきなりの強烈な腹痛で次々に倒れ込んだらしい。その苦しみようから、一報は『毒薬』だったが、医師の診断で強力な下剤と特定された……蒲焼の下から粉砕された薬剤を見つけたそうだ」
「それって、味、変わらないの?」
「蒲焼の濃い味と皮の焦げで判らなかったらしい。白焼きにすればよかったか?」
「そういう問題じゃないよ」
「で、高齢者と、ウナギが苦手な数人は食べてない。犠牲者の中にも重篤な症状の者はいない。ひと安心だな――隠里の小父さんは鰻が苦手だそうだ。慌てて手配した満寿司の松花堂弁当を食べたって話だ」
チラリと龍弥を見たひなただ。
「下剤と言っても馬鹿にできない。心臓とかに持病があったりすると、命に危険が及ぶこともあるらしい。今回はそうならなくって良かった」
龍弥が俯き加減に目を泳がせる。
「煌一さまは事後処理で?」
マスターが心配そうにひなたに訊いた。
「うん、鰻寿が警察に通報したんで影だけで納められない。だが、ただの窃盗だ。神影は鰻重を受け取っていないことになってる。容器は極秘裏に処分される――鰻寿の車が止められた辺りは防犯カメラの空白地帯、通行車両の車載カメラに撮られるようなへまはきっとしていない。窃盗犯は逃げ切る。警察はお手上げだ」
「珍しいのは、だ」
と、ここで煌一が戻る。
「月影が神影の責任を追及してきたことだ」
「神影の責任?」
龍弥が驚いて煌一に問う。
「下剤を仕込まれてるなんて、思わないだろ、普通」
「危機感がたりないって言われた。ま、確かにそうだな」
と、煌一が苦笑する。
「次回からは中で調理したものを出すか、あるいは各自持参だな」
「静流がいるね……いつ来たの?」
向こうを覗いてきたのだろう、ひなたが煌一に尋ねる。
「一報を聞いて急いで来たんだそうだ。近くにいたって言ってたな」
「本体が来てるんですか?」
龍弥がイヤそうな顔をする。雷雅が補足する。
「近くにいたなんて、タイミング良すぎだね」
「ふむ……」
龍弥と雷雅を見て、煌一が唸る。
「もともと静流の住処は徒歩圏内。犬の散歩をしていたと言い、犬も連れてきている――明白には疑えない」
「あの犬、静流のなんだ。いいな……」
「ひなた、家で生き物を飼うのはダメだぞ。おまえ、世話できないだろうが」
ムッとする煌一に、唇を尖らせてひなたが言う。
「うん、うーちゃんで我慢する。うーちゃんなら死なないから」
こっそりマスターが『うーちゃんと言うのは、わたしが木陰に参じる前からお嬢さま溺愛のぬいぐるみでございます』と、雷雅に耳打ちする。
ひなたの返事に物凄く嫌そうな顔で『あのボロ……』と言いかけた煌一だが、これ以上の無駄話は気が引けたのだろう、話を本筋に戻す。
「下剤の効き目はせいぜい今夜半。だけどそれまでは食わせられた連中はトイレから離れられない。ってわけで、会議はまた明日に持ち越しだ」
「仕掛けたヤツの目的って会議を遅らせることなの?」
雷雅が不思議そうに言う。
「でもそうだよね。そうじゃないなら、それこそ毒を仕込むことだってできたんだから」
「会議が遅れれば遅れるほど、影の体制の立て直しが遅れる」
「その間に何か仕掛けてくる?」
「体制が整っていないと言っても上層部だけで、さして現場には影響ない。もし、仕掛けてくるとしたらかなり大掛かりなものだ」
「さっき言った災厄魂を一斉にって?」
「そうだな。でも、いくらなんでもまだまだ先になると思うぞ」
「うん……災厄魂が出なくなり始めたのは最近だもんね」
「会議は明日再開ですか?」
龍弥が遠慮がちに訊いた。
「あぁ、十時からだ――おまえの父親は難を逃れたってのは聞いたな? 神影本家で待機している。会いに行くか?」
すると龍弥が慌てた。
「いえ、会っても話すこともないし――いや、俺……」
龍弥の反応に、煌一が俯いた。
「さっきひなたさんに、父は鰻が苦手って聞いて、そんなことも知らなかったって思って――それ以上に、そう言われるまで父の心配もしてなかった」
煌一が俯いた理由が何となく判った雷雅だった。
「そう言えばさ――」
話を変えるつもりもあって、雷雅が新たな質問をする。
「影って、動物の影には影響できないんだ?」
「うん?」
救われたように煌一の表情が明るくなる。
「通常、影の能力を作用できるのは人間だけだ。でも特殊能力を持つ影もいて、例えばひなたは動植物や物にも能力を及ぼせる。でもそんなのはごく稀だ。それに秘密にする。切り札になるからな」
いつだったか、工事中のショッピングセンターのタワー駐車場を、ひなたの運転で昇った時のことを思い出した雷雅だ。停められているほかの車にぶつかると思ったのに一切ぶつからなかった。そこに至るまでの車道でも、信号無視や無理な交差点への突入を散々したのに一切事故を起こさなかった。ひなたの能力だと感じていたが、あれは影なら誰でもできるわけではないのか。
マスターが『お嬢さまは子どものころうーちゃんを歩かせて、大人を驚かせていましたねぇ……ぼろぼろの人形が歩く姿はそれはもう――』と呟く。って、それ、なんかホラー映画みたいだぞ?
「おい、こら、犬と戯れている場合か?」
煌一がひなたを小突く。なんだ、ひなたさん、神影に行って月影の犬と遊んでいるのか。犬の本体と? それとも影と? そう思った途端、雷雅はイヤな予感に襲われる。違う、これは予感じゃない――
煌一に反応して、ひなたが覚醒したようにハッとする。煌一を見るひなたの顔が見る見る青ざめていく。
「ひなたさん、黒幕は月影ですね?」
雷雅の呼びかけにひなたが雷雅に視線を向ける。他の三人も一斉に雷雅に注目する。答えたのはひなただ。
「ライガ――裏切り者は月影だ。そして陽から生み出されたのは焔だった」




