72 元始、女性は
マスターの昔の話に出てきたのは女だぞ、と煌一が片頬で笑う。
「ひなた、自分で今、指輪の刻印に術を掛けたのは男だって言った」
そう言って自分を馬鹿にする煌一に、嘲るような笑いをひなたが向ける。
「間抜けめ、その女が術を掛けたとは言っていない。同じ種類だって言ったんだ」
「ちょっと待って――」
煌一とひなたが喧嘩になりそうなのを慌てて雷雅が止める。
「同じ種類……それは、陽の一族ではない何か」
雷雅の言葉に煌一もひなたも、他の二人も注目する。
「そして女性に弱い――ねぇ、日本の太陽神って女性だよね」
「うん? 天照を言っているのか?」
ひなたが答え、煌一とマスター、そして龍弥が唸る。
「陽と太陽の関係は? やはり陽は陽光を指すんじゃないの?」
「うん、まぁ、基本的にはそうだな。炎がもたらす光を指すこともない訳じゃないけどな」
「元陽を騙るヤツ等は女性には危害を加えられないか、術を掛けられない?」
「そうだとしたら」
と、言ったのはマスターだ。
「わたしを庇った狩人が命を落とすこともなかったのではないでしょうか?」
「あ……そうだよね」
引っ込みそうな雷雅をひなたが援護する。
「だが、向こうも女性だった。女性なら、同じ女に対抗できるかもしれない」
「そもそも女のほうが女に厳しい傾向があるな」
ぼそっと言ったのは煌一だ。このあたり、下手なことを言えばひなたにこっぴどく叱られそうだ。
「陽や影にはそんな傾向はないの? 女性優位、とか」
「敢えて言うなら、強い能力を発現するのは女性のほうが若干多い傾向があるかもしれない」
「神影の大奥さまやひなたお嬢さまがその一例ですね――だからと言って男性に能力の強い者がいないわけではありません。煌一さまがそうです」
ひなたの言をマスターが受けて言った。
そこで雷雅が思い出す。
「でも、僕の父親は陽だって、いつか煌一さんがスキャンした。ってことは、刻印を消したのは陽。陽でも影でもない何かではない」
「いいや、雷雅、書付を思い出せ。雷雅と早紀さんから自分の記録を消して、影には読み取らせないってあったじゃん」
「あぁ、そうか。僕の父親が陽じゃなくても不思議じゃなくなる――でも、そうなると、影は陽以外にも、命じられれば逆らえない相手がいるってことになる」
そう言いながら事態の深刻さに気が付く雷雅、影たちが押し黙る。
ちょっと貸せ、煌一が今度は書付を手に取る。
「タツの読み取りに間違いはないが……だが、そうだな、どこにもこれを書いた本人が陽だとは書いてない。意地悪な見方をすれば、陽だと思い込ませるようミスリードを狙っていると考えられなくもない」
「この文の中に出てくる陽は、一般的な陽を言っていると?」
そう尋ねながら雷雅が思う。陽はそもそも、一般的から食み出している。
「そうも取れなくもないって話だ」
煌一の返事を聞きながら雷雅が溜息を吐く。結局、何も確実なことは判らない。すべて推測で、こんな検討を続けることに意味はあるのか?
「少し休みませんか? そう言えば何時だろう?」
雷雅の問い掛けに、龍弥がもうすぐ二十二時だと答える。するとひなたが、
「今日のところはこれで終わりにしよう。明朝六時に再開、でどうだ?」
と提案する。六時には、災厄魂の出現に関するデータの集められる分が集まっているはずだ。
反対意見がないと見ると、ひなたがマスターにニッコリ微笑む。
「マスター、食パンある? イチゴジャムとかピーナツバター、塗ったの、食べたいな」
ありますよ、とマスターが微笑を返し、僕も俺もと雷雅と龍弥が追従する。よく食うヤツ等だと言いつつ、煌一が『俺はジャムバターがいい』と言って喫煙ブースに消えた。
マスターが席を立ってカウンターに向かうと、雷雅は座ってろと言って龍弥も席を立つ。そうはいかないと雷雅も腰を浮かすが、それをひなたが引き留めた。
「少年、久々にわたしとサシで話そうじゃないか」
ニヤニヤ笑うひなたに
「久々に『少年』って言われた」
と雷雅も笑う。
「四ヶ月足らずで雷雅は大きく変わったな」
「はい、こんなに濃い四ヶ月、僕の人生には二度とないかもしれない」
「それは甘いぞ。人生、何が起こるか知れたもんじゃない」
「マスターに言われるならまだしも、ひなたさんに言われてもピンとこないなぁ」
「こんな綺麗でまだ若いおネーさんのセリフじゃないか?」
「そういう事にしておきましょう」
クスクスと笑いあう。
その笑いをひなたが止めた。
「すまないって思ってる。こんなことにキミを引き込むなんて、思ってもいなかった」
「ひなたさん……」
「陽の一族を見つけた――あの日、わたしはどこかで得意になっていた。それがまさか、こんなことになるなんて」
「ひなたさんのせいじゃないです。ひなたさんが見つけてくれなければ何も判らないまま、僕は今頃、あいつに引き込まれていたかもしれない」
「あの公園に居た災厄魂? 違うな、キミを連れ戻すと言ったアイツか。わたしが見つけたことで、キミの存在がヤツらに知られた可能性を否定できない――キミが覚醒したことによって知られたのかもしれない。その覚醒を促したのはわたしだ」
「だから! 違います。ひなたさんのせいじゃない」
だが、雷雅だって違うという確証なんかない。ひなたが続けた。
「総本部が襲われた時、影の誰かがヤツを手引きした。そうでなければヤツは総本部に入れなかったはずだ。裏切り者の影がヤツに、キミが総本部に来たと教えたんだとわたしは考えている。そう考えればタイミングが合う」
「もしそうだとしたら、母のところに来た人、そして電車であった男、あの二人の件は説明つかない」
「確かにそうだな――だが、電車であった男は総本部を襲ったヤツとは敵対関係にありそうだ。早紀さんのところに来た男の立場は全く判らないな」
「いずれにしろ」
雷雅が決めつける。
「なるようなっただけだ。ひなたさんのせいじゃない」
力強い雷雅の言葉に、
「頼もしくなったな、ライガ。少年なんて言ったら怒られそうだな」
嬉しそうにひなたが笑う。
なんだか楽しそうだね、と龍弥が紅茶を運んでくる。
「サンドイッチはマスターが持ってくるよ」
と、カップを配る。そこへ煌一も戻り、マスターの邪魔にならないようにさっさと座った。
二枚の食パンにジャムとバター、ピーナツバターを挟んだものが半分ずつ乗った皿がそれぞれの前に置かれる。ひなたとマスターの皿は、さらにそれが半分に切り分けられていた。
「シンプル・イズ・ベスト」
ひなたの称賛も今回はシンプルだった。
食べ終わるとマスターが、少しだけだから手伝いは不要と雷雅と龍弥に部屋に戻るよう勧める。
「わたしは留守番してたので、疲れていませんから」
と、ニッコリする。
それじゃあ部屋に戻ろうかと龍弥を目くばせした雷雅をひなたが呼び止める。
「そうだ、書付、スキャナーで読み取っておく。文明の利器のほうのスキャナーね」
隣で煌一が面倒臭そうな顔をした。
「呪術がかかっている、読み取れるかね?」
雷雅が再び書付に掌を翳す横で煌一が呟く。
「やってみなくちゃ判らない」
雷雅から、裏面に文字が浮き出した書付を受け取ったひなたが、カウンター横に置かれた複合機でスキャナーに掛けてから席に戻り、終わった書付を雷雅に返す。
ひなたがパソコンの画面を確認した時、雷雅は龍弥と内階段のある扉を出ようとしていた。
「これって……」
奥の席から聞こえるひなたの声に、雷雅と龍弥が足を止める。カウンターの内側ではマスターが洗い物の手を止めた。
「ライガ、ちょっと来い」
煌一の声に、雷雅と龍弥が目を見かわした。




