70 災厄魂の数
煌一が腕を組み、ひなたはパソコンのキーを叩き続ける。
「ソイツはわたしたちが取り押さえていた災厄魂を開放すると引き連れ、わたしを置き去りに姿を消しました。えぇ、災厄魂は夜の暗さに紛れ、相手は人ごみに紛れて消えたのです――わたしの報告に本部は、わたしともう一人の狩人が災厄魂の捕獲に失敗しただけだと処理しました。その際、一人が落命、それだけだと。何度も訴えましたが無駄でした。神影の……大奥さまは『信じないのではなく、信じられないのだ。信じる根拠を持てないだけだ。おまえが嘘を吐いているとは思っていない』と仰いました。どこをどう探しても、陽と影、それ以外を見つけられなかったのです」
わたしの話はこれで終わりです、マスターはマグカップを手に取るとコーヒーを飲み干した。龍弥が席を立ち、サーバーを持って順番に、空いたカップに注ぎ足していった。
龍弥が座るのを待って雷雅が口を開く。
「影の本部は認めていないにしろ、陽と影以外が存在すると考えてよさそうです」
「わたしの思い違いの線も忘れてはなりません」
そうは思っていそうもないだろうにマスターが付け足した。念のためだ。
「マスターの話で、注目すべき点は二つだと思います」
雷雅の意見に、
「ほう……ライガ、その二つとは?」
煌一が面白そうな顔をする。
「一つは、敵が自らを陽でも影でもないと言ったのに災厄魂を操った点、もう一つはマスターに影がないことでマスターを狩人だと断定した点――影を伴っていたもう一人の狩人を影だと見抜けなかった」
ふむ、と煌一が再び腕を組み、ひなたがパソコンから顔を上げて雷雅を見た。
「影が男だったら感知できるが、女だと感知できないってのもあるぞ、ライガ」
「あ……なるほど、その可能性を否定する根拠がありません」
「影を従わせる能力があるのに、なぜマスターを見逃したんでしょう?」
そう言ったのは龍弥だ。
「動くなと命じられマスターは動けなくなった。そのこと、向こうだって承知しているはず」
「そこは深く考えなくてもいいかもしれない。すでに一人、しかも本人が言うには不本意に殺している。で、気が引けて撤退したってのでよくないか?」
クッキーの皿に手を伸ばしてひなたが言った。
「相手がいくつくらいだったか、マスター覚えてる?」
「わたしと同じくらいか少し上だと思います――生きていれば現在は六十に近いか多少過ぎたくらいかと」
「六十……」
雷雅が呟く。
「マスターにも一緒に神影に行ってもらえばよかった。今日、僕たちを襲ったのがマスターを襲った男に思えてきた。あぁ、どうせ姿は見えなかった。でも、声だけでも――」
「いいえ、雷雅さま。男ではありませんよ」
「えっ?」
驚いたのは雷雅だけではない。一斉に皆マスターを見る。パソコンで記録をつけていたひなたが画面を確認して
「あぁ、確かに。一度も男だなんて、マスター、言ってないね」
と苦笑した。
って、事はだ、と煌一も苦笑する。
「その女が生きてりゃ、今、判っているだけで、陽と疑わしいのが男三人女一人、合計四人ってことだな。雷雅は陽が確定だから除外だ」
雷雅の件は冗談で言ったようだ。だが、誰も笑わない。
「だけど、ライガを『取り戻す』とヤツは言った」
やはり画面を見ながらひなたが言う。
「自分は陽ではないと匂わせながら、陽であるライガを取り戻すと言う――矛盾を感じるね」
「陽と言われたこともあったって言ってました」
「陽は陽ではないものに変化するかもしれない――『言われたこともあった』ってのは相手が言ったことだ。鵜吞みにしてしまうのも危険だろう」
「電車で遭遇した男が言った『敵』は、今日襲ってきたヤツと考えていいんでしょうか?」
そう言ったのは龍弥だ。
「総本部を襲って五人を殺害し、火を放ったのはあの男で間違いありません」
これは雷雅、
「その時の残留思念を辿ってあの場所に、意識だけを送ったんだ」
と続ける。
「確かなことか?」
煌一が尋ね、
「ヤツと対峙した時、そう感じたし、消えるとき本人もそう言った。残留思念を消去するって」
雷雅が答えると、そうだな、そう言っていたな、とひなたが頷く。
「つまり、行ったことのある場所に、ヤツは意識だけを送れるってことか……」
煌一がやや上を向いて額に手の甲を当てる。煌一じゃなくたって、頭が痛くなる話だ。
「今の僕たちでは、今日襲ってきた男と遣りあうのは無茶があると思います」
「言い難いことをさらりと言ってくれる――が、その通りだな、ライガ」
「なんだっけ……光の壁? それをライが出現させても?」
「あれね、凄く体力と集中力を使うんだ、タツヤ。長時間は使えない。あの後、立っていられなくなったじゃん」
申し訳なさそうに言う雷雅に、龍弥がもっと済まなさそうな顔をする。
「まぁ、それは今日、初めて使ったからとも考えられなくもない」
取り成すひなた、だが煌一は、
「だが、今の時点ではあてにしないほうがいい」
容赦ない。
そんな煌一がふと、ひなたに尋ねる。
「今夜の災厄魂はどんな具合だ?」
「災厄魂? ちょっと待って――」
ひなたがパソコンを操作し、
「美立山市内では相変わらず災厄魂の出現はないね……今日はどこのチームが警備にあたっているんだ?」
と煌一に質問を返す。
「周辺地域は?」
ひなたを無視するわけではないだろうが、煌一が質問を追加する。
「ん? うん、今のところ、今日は出現してない」
「気持ち悪いな。美立山はまだしも、他は普通に出現していたのに、なんでぴたりと止んだ?」
「それぞれの地域の守りを強化するよう待機部隊に出動を命じた――山蔭、今日から復帰か……総本部があんなことになって、落ち着いて休んでいられなくなったかな」
パソコンで調べれば稼動状況が判って指令を下せるのなら、どこのチームが動いているかというひなたの質問に、わざわざ答える意味はない。だから煌一は無視した。あるいは、あれは画面を見ながらのひなたの独り言だ。
山蔭……初めて雷雅が災厄魂狩りを見た日、大怪我をしたという狩人だ。相当な高所から落下したと聞いている。それでも復帰できるほどには回復したんだな。よかったと思う雷雅だ。
それにしても、災厄魂が出てこなくなったのはなぜだろう?
「決戦を仕掛ける準備?」
雷雅の呟きに、周囲が雷雅に注目する。その雷雅がひなたに尋ねた。
「災厄魂は日々生まれるって言っていなかったっけ?」
「そうだな、人の心の闇に生まれたものが災厄魂に変化したり、禍津火神から剥がれ落ちて発生する」
「禍津火神……」
考え込んだ雷雅、どうかしたかと問うひなた、雷雅が何を言い出すか、他の三人は見守っている。
「いや、何か引っかかったんだけど、ちょっと置いとく――それより災厄魂なんだけど、生み出された災厄魂をアイツは集めているんじゃないか?」
グッと煌一が息を飲む。
「マスターが話してくれた女は災厄魂を連れ去ったと言った。いつか見た闇は、中に陽を隠し、災厄魂を纏っていた」
「災厄魂を集めて、一斉に攻撃させる。狩人全員を集めても太刀打ちできない数の災厄魂を出現させる――」
蒼褪めた雷雅が煌一を見る。その雷雅に煌一が頷く。
「ひなた、推定される災厄魂の発生数と実際に出現した災厄魂の数の比較検討を始めろ。そして狩人の人数と戦闘力の計算――災厄魂が上回るのはいつか、弾き出すんだ」
ひなたがキーを叩くカチカチ音が陽だまりに響いた。




