69 マスターの過去
エビと茹で卵とブロッコリーをマヨネーズで和えたサラダ、トマトのスープ、そしてロールパンが、グラタンとともに運ばれてくる。グラタンはホワイトソース、マカロニはもちろん、チキンとニンジン、ほうれん草が使われて、かりかりトロリのチーズが香ばしく食欲をそそる。
帰り着いたときはどうなることかと心配されたが、すっかり元気を取り戻した雷雅が、グラタンを前に嬉しそうな顔をした。
「さてはライガ、好物はグラタンにハンバーグ、オムライスに唐揚げ? 子どもが喜ぶ物が好きそうだな」
煌一が、そんな雷雅を見て揶揄う。
するとひなたが、
「厳密にいえば、お子様メニューって離乳食だけでしょ? 子ども向けに香辛料や総量を減らすってのはあるかもしれないけど――好きな料理に大人も子どももあんま関係ないよね」
サラダのエビをパクリと口に入れる。
「そうだな、おまえはエビフライが大好きだよな。子どもの好きなメニューランキングの――」
「煩い、煌一、黙って食え」
ひなたに一喝され、煌一が苦笑した。
今日は一緒に食卓に着いたマスターが
「確かにお嬢さまはエビフライがお好きですよね――明日はエビフライにいたしましょう」
と言えば、
「じゃあ、カキフライもつけてよ」
と、煌一が言う。
ボソッと『カキ、苦手だ』と龍弥が呟き、煌一に睨まれて縮こまる。マスターが
「では、エビフライとカキフライ、それにイカのリングフライにいたしましょう。アジフライもお付けしますか?」
と提案し、龍弥をニッコリさせた。イカのリングフライは龍弥、アジフライは雷雅の好物、マスターは大変だ。それでも雷雅はそっと笑む。
パンをちぎって口に入れながら思った。
実行力と統率力の煌一、常識に囚われず多角的な判断をするひなた、豊富な経験と知識で柔軟に対応するマスター、そして誰よりも忠実な龍弥――頼りになる僕のチーム。だけど、このチームでは今日現れたあの男には勝てない。そして僕ではそう長くあの男を防ぎきれない――
「どうした、ライガ?」
「うん、食べ終わってからでいいよ。話さなきゃならないことがたくさんある」
心配顔のひなたに、答える雷雅の声は明るい。食事は楽しく摂るものよ――早紀の言葉を思い出している。
デザートにはスイカが振舞われ、和やかに食事が終わる。食器を片付け、雷雅と龍弥が洗い物をしているうちにマスターがコーヒーを淹れる。
ひなたも洗い物を手伝うとカウンターに来たが、『また食器を減らすおつもりですか?』とマスターに言われてしまう。マスターの声が奥にも届いたのだろう、煌一の爆笑が聞こえた。
すごすごと席に戻ったひなたが煌一に蹴りを入れたようで、奥の席では夫婦喧嘩が始まったが、カウンターの三人は見ないフリで談笑しながら作業を進め、止めに入りもしない。
言い負かされた煌一が拗ねて喫煙ブースに逃げ込んで、なかなか帰ってこない。ひなたがブースの前に行き、小さな声で謝ってる――何もなければ平和なのに、と思う雷雅だ。
洗い物を終え、コーヒーを運んでいくと、煌一とひなたは仲直りしたようで二人仲良く座っている。煌一がひなたの肩に回した腕をさり気なく解くと、ひなたが立ち上がりコーヒーを入れたマグカップをテーブルに置くのを手伝った。
マスターが近くのテーブルに保温プレートに乗せたお替り用のコーヒーを置き、砂糖壺を煌一の前に、数種のクッキーを乗せた皿をひなたの前に置く。
全員が席に着くと、ひなたが片付けてあったノートパソコンを出した。少しずつカップを寄せてパソコンを置くスペースを作る。
ひなたがパソコンを開くのを見ながら、雷雅が自分のマグカップに手を伸ばす。一口飲んでから、
「タツヤには話してあるんだけど……」
と、話し始めた――
龍弥に話した時と同じように、母から渡された書付と指輪、たびたび雷雅の前に姿を現した男、電車の中で話しかけてきた男、と、順に話を進める。途中、実物を見せるべきだったと、龍弥に頼んで部屋から書付と指輪を持ってきてもらう。
煌一が時折、何か言いたそうにしたがひなたに制されて、黙って雷雅の話が終わるのを待った。雷雅以外の声を聞いたのは、書付を見たマスターの『これは……』だけだ。思わず呟いてしまったようだ。
「そして、今日の神影のお屋敷での出来事です」
雷雅がいったん言葉を切る。それはもちろん、話が終わりという事ではない。ここからは別の話だと、雷雅が区切りをつけたのだ。
「今日のあの男は、今まで遭遇した二人とは明らかに違う。異質なものだ。異質と言うか……多分、能力が比べ物にならないのだと思う」
雷雅の言葉に煌一が思わず唸る。
「アイツは自分から僕に存在をアピールしてきた。『その影を近寄らせるな』と言ってきた。僕はすぐに対応できずに、煌一さんを危険に晒してしまいました」
煌一がぎょっとして雷雅を見るが、そんな煌一にひなたが首を振る。そんなことはないとでも煌一は言いたかったのだろう。それをひなたが今は黙って聞けと止めたのだ。
「ダメだ、ではなく『戻れ』が正解だったのだと今では思います――ひなたさんと龍弥、そして煌一さん本人の素早い動きで回避できたのは判りました。が、きっと次が来ると感じ、僕はとっさに『僕たちを守れ』と……光に命じています」
そう、あの時、竹の葉の木漏れ日が僕たちとアイツの間、総本部と神影の屋敷の敷地の境を示す柵沿いに集結して壁を作った。雷雅の記憶が蘇る。
「光の壁ができて……その中に、アイツの攻撃は入ってこられないと、うん、僕には判っていました」
「光の壁……」
ひなたの呟きに、
「はい、間違いありません。アイツがそう言ったんです。光の壁かって――十六で覚醒し、光の壁を出現させた。なんとしてでも取り戻す……あいつはそう言いました」
雷雅が答えた。
「でも、変なんです――おまえも陽の一族かって訊いたら、笑っていました。陽の一族、そう呼ばれたころもあったなって。随分と昔の話だって。影の一族、陽の一族。他にも何かあるんでしょうか? って言うより、陽は別の何かになる可能性があるという事ですか?」
雷雅の質問に、煌一とひなたが首を捻るように顔を見合わせ、マスターは素知らぬ顔でコーヒーに手を伸ばした。
そんなマスターに
「何かご存じですか?」
と訊いたのは龍弥だった。マスターがおもむろに龍弥に視線を向け、それからそっとマグカップをテーブルに置いた。
「昔……わたしがまだ、今の龍弥さまと同じ年のころの話です」
実際の体験談ではあるけれど、きちんとした裏付けや歴史的根拠がある話ではありません、影の総本部には否定された話です。だから、お話ししていいものか……と前置きしてマスターが話し始める。
「当時、世の中は好景気に浮かれ、昼も夜も多くの人が街に溢れていました。そういう時はご多分に漏れることなく災厄魂も多く、わたしたち狩人は多忙を極めておりました」
好景気の時は災厄魂も多い、これは根拠のある話ですよ、とマスターが少しだけ笑った。
「その日、わたしともう一人の狩人が、わたしたちに任された災厄魂を収容し終えた時、急に意識に話しかける声が聞こえました――あんた、影がないよ……確かにその時、連絡のため本部に行っていたわたしの影は不在、だけどそんな事よりもその声の主、そこにいる存在に気が付かなかった自分に狼狽え、相手の攻撃に、不覚にも後れを取ってしまったのです」
自分を落ち着かせるためか、マスターが深く息を吸った。
「わたしの――わたしと一緒にいた狩人は、相手とわたしの間に影ともども飛び込みました。わたしを庇ったんです。そして攻撃をまともに受けてその場に倒れました。次の攻撃があればわたしも彼女と同じ運命、ところが攻撃はなく、『そっちも影だったのか』と、聞こえました。耳から聞こえる声でした」
以前聞いた話を雷雅は思い出していた。マスターを庇って命を落とした狩人がいる。マスターは知らないが、マスターの妹だ――
「女を殺るとは不本意だ、気分が悪い、と相手は言いました。なんとか相手に一矢報いたいと思ったのですが『動くな』と言われ、身動きできなりました。わずかな知識から陽の一族と言う言葉を思い浮かべたわたしに『陽と影、それしかいないと思っているのか?』と相手は笑いました。わたしの心を読んだようです」




