68 僕の影たち
垣根縄で組まれただけの木戸が衝撃でバラバラと飛び散り落ちる。緊張が場を支配し、サラサラと風に靡く竹の葉の音しか聞こえない。
雷雅の警告に瞬時に飛び出したひなたと龍弥の影、そして煌一の影が煌一本体を抱えて後方に飛んだのは見えた。閃光が木戸にあたる直前だった。
竹藪に面していてよかった――ところどころ日が差しているが、竹の影に取り込まれた状態だ。一瞬で影を同化させ移動し、煌一の本体を運べた。煌一本体もすでに体勢を立て直し、周囲に意識を配っている。
「大丈夫……柵を境界として、こちら側に攻撃できない」
雷雅が呟いた。
「狩人がこちらに向かって来ている――八人だ」
「それは俺が呼んだ、俺の部下だ。ライガ、遠隔視か?」
煌一の問いに答えず雷雅がキッと木戸があった先を見た。そして煌一の意識に話しかける。
(狩人を止めろ。近寄らせるな)
一瞬たじろいだが、煌一はすぐに頷いた。
(その位置で――指示するまで動くな)
後半は煌一だけでなく、ひなたと龍弥にも送った雷雅だ。そして木戸があった方向に歩き始める。
「ライ!」
「タツ、動くな!」
龍弥を窘めたのは煌一だ。雷雅の命令が有効な龍弥、煌一が言わなくてもどうせ動けない。つい、言ってしまった。
「身体も影も、動かすな」
更に雷雅が命令を上書きした。
歩みを進めた雷雅が、壊れた木戸まで五十センチのところで止まる。
「初対面で『信用しろ』と言われてもね。どこをどう信用しろって言うんだ?」
誰に話しかけるのか、雷雅が苦笑する。
「内緒話は終わりだ。僕の影たちに聞かせられない話なら断る。姿を見せて、耳から聞こえる声で話せ」
すると、木戸の向こうから微かに笑い声がした。
「僕の影たちねぇ。大したもんだな、暁月雷雅――まぁ、いい。今日のところはおまえを取り戻すのは諦めよう」
笑い声と同じ声が言う。だが、姿は見えない。どこに隠れているんだ? 雷雅が視線だけを動かして周囲を見渡す。見つけられない。
「残留思念は消去していく。残念だったな――また会おう」
「待て!」
つい飛び出そうとする雷雅、
「ライ!」
龍弥の叫びに、足を止める。
「ライ、一人で行く気か?」
「いや……」
雷雅が振り返って龍弥を見る。
「一人で行こうにも、相手がどこにいるのか判らない。気配は総本部の敷地内から消えた――もう動いていい。集めた狩人は通常の配置に」
溜息混じりにそう言うと、雷雅がしゃがみ込む。
すぐに龍弥が駆け寄って、雷雅に手を貸して立たせた。
「大丈夫か?」
煌一は壊れた木戸の状況を見ている。ひなたは雷雅に止まれと命じられたところから動かない。
龍弥の手を借りて起き上がったが起き上がった途端、雷雅は再び倒れそうになった。慌てて龍弥が支える。
「ライ!」
「ごめん。凄い疲労感。眩暈って言うのかな、これ? それとも立ち眩み? こんなの初めてだ――向こうの攻撃が通らないように保護膜を張ったんだけど、思ったよりもネルギーを消耗したみたい。それでだと思うよ。結構しんどくて……アイツが退いてくれて良かった」
煌一が戻ってきて、雷雅の前で膝を折る。
「急に能力を使うからだ。だから無理するなって言ったのに……ほら、早く背中に乗れ。おぶっていく」
躊躇う雷雅、龍弥も手を貸して煌一に背負われるうち、半端なく疲弊していると実感する。身体に力が入らない。きっと、自分じゃ立つこともできない。
「煌一さん……」
自分の声が弱々しく聞こえる。
「すいませんでした。どこにいるかも掴めなかった――」
「喋るな。まずは回復してからだ。今のおまえの状況でまた来られたら、おまえを守り切れない」
「いいえ、ヤツはもうここには来られません」
「なんでそんなことが判る?」
「残留思念を消したと言ってました」
「言ってたが、それが?」
「残留思念を辿って、ヤツはあそこに来たんです」
「えっ?――いや、着いた、車に乗れるか? 話は帰ってからゆっくりだ」
ひなたが開けたドアの中に、煌一の背から降ろした雷雅を抱えるように龍弥が移した。
「ありがと――」
雷雅の声に龍弥が少し微笑んだのが見えた。そこで雷雅の意識は遠のいた。
車に揺られているのが途切れ途切れに判る。あぁ、それでいい、神影のお屋敷より陽だまりのほうが安全だ、そう思いながらまた夢に引き込まれる。さっきから夢を見ている。夢? それとも遠い記憶?
『ママ、流れ星! あれ、もう消えた……ママに見せたかったのに』
母親の存在を感じるのに、そこに母はいない。でも、声が聞こえる。
『雷雅、流れ星は自分よりずっと大きな星に引き込まれて、逃げられなくなって燃えて消えていくの』
『ママ、泣かないで――今度、流れ星を見つけたら、もっと早く教えるから』
交差点を左折した。陽だまりはもう直ぐだ――夢とは違う意識がそんなことを考えている。
『ゴロゴロって音がするよ? すっごく大きな音』
『雷が近づいてきているのよ』
『ボク、雷って嫌い、怖いよ』
『雷雅、忘れないで。雷が地面に落ちる瞬間――』
車が止まった。ドアが開く音がする。
「ライ、大丈夫か?」
頭の上で龍弥の声がする。そうか、龍弥に寄り掛かって僕は眠っていたんだ。上体を起こして龍弥の顔を見る。
「ライ?」
「いや、今ね、夢を見ていたような気がして」
「そうか、眠ってたもんな。でも、熟睡してる感じじゃなかった」
「うん――どんな夢か思い出そうとしたんだけど、ダメみたい」
「夢ってそんなもんだって聞くよ。目が覚めたショックで大抵は忘れちゃうんだって――ついたけど、自分で歩けそう?」
ドアを開けながら龍弥が訊いてくる。ドアの外から煌一が心配そうに覗き込んだ。
龍弥に支えられて陽だまりに入り、入り口の横の席に座らせてもらう。雷雅の様子に驚いたマスターがカウンターから出てきて『なにがあったんです?』と、悲鳴のような声を上げた。
まずは暖かいお飲み物を、とマスターが出してくれたホットミルクにハチミツを溶かしたものを飲み終えるころには、だいぶしっかりしてきた。自力でちゃんと腰かけられるようになり、ふらつき感もない。お食事はどうなさいます? と聞かれて『マカロニグラタンが食べたい』とマスターに答え、失笑を買うとともに周囲を安心させた。
それにしても雷雅には驚かされっぱなしだ、と煌一が愚痴を言う。
「でもさ、ライガの警告がなければコーちゃん、どうなってたんだろうね?」
雷雅の葛餅に黒蜜を掛けながら、ひなたがニヤリと言う。黒蜜の瓶は一つで、ひなたは次に、龍弥の葛餅に掛け始めた。グラタンは時間がかかるからと、マスターが出してくれた葛餅だ。
「さぁね、どうなっていただろうねぇ」
惚けた感じで答えた煌一だが、
「飛び散ったのを調べてみたけど、竹の木戸がへし折れて、一部は潰されてたね」
と、ぞっとすることを言う。
「すると、潰れ煌一を見損なったってことだ」
「おや、潰れてひしゃげた俺を見たかったのか?」
さすがに煌一がひなたに抗議する。クスッとひなたが笑う。
龍弥の次には自分に掛けて、ひなたは黒蜜の瓶を煌一の前に置いた。煌一の機嫌が悪くなるんじゃないかと龍弥がビクビクするが、煌一は平然と瓶を取り自分の分に掛け始めた。
そんな龍弥をちらっと見てひなたが微笑む。
「コーちゃん、怖くなるほど機嫌がいいから大丈夫」
「おーい、また悪口か?」
ニコニコ顔で言うのは煌一だ。
「機嫌もよくなるさ。ライガが……ライガが『僕の影』って言ったんだぞ。俺たちのことを」
頬張った葛餅が、柔らかく溶けてしまいそうだった――




