62 雷雅の焦り
呆気に取られた龍弥が雷雅を見つめる。
「コイツと協力する? そりゃあ、また、随分と大胆な発想だ――向こうはこっちを亡ぼすって言ってるんだよ?」
「だけどさ、影を恨んでいるとか憎んでいるとか、そんなことは一切書かれていない」
「影を絶滅させるってはっきり書いてる」
「うーーん……その『絶滅』の意味、絶滅って何を指すかってことを考え直せないかって話なんだけど?」
「影の能力の消滅を指すってか? 影が能力を失ったら、災厄魂を誰が狩る? 世の中に、凶悪犯罪が蔓延ることになるんだよ?」
「人の世の矛盾、心に潜む混沌ってさ、災厄魂や闇を言うんじゃないかな? それもまた人の姿って言ってる。災厄魂はあってはならない存在?」
「おい、ライガ、しっかりしろ。犯罪は許されることじゃない」
「人の世には警察って言う組織がある。犯罪を取り締まる役目を負ってる」
「ライ……その警察の手に負えないから影が狩るんだ――今日はもうよそう。俺たちも疲れてる。よく眠って頭をすっきりさせてから、また考えよう」
「タツヤには僕が理解できない?」
立ち上がった龍弥を雷雅が見あげる。
「いや、理解したいって思ってる――これじゃ質問と答えがチグハグか」
龍弥が苦笑する。
「たださ、俺は陽のことをもっと知る必要があると思った。今の知識じゃ、この書付を書いたヤツの苦しさが判らない――影の立場はよく判る。でも、陽の立場は判らない。陽の運命ってコイツが言っている中身を知りたいと思った」
オヤスミ、十時に起こすよ――そう言って龍弥は自分と雷雅の分、空いた二つのカップを持って雷雅の寝室から出て行った。
残された雷雅が龍弥の言葉を噛み締める。龍弥の言うとおり、はっきりしないことだらけなのに、僕は結論を出すのを急ぎ過ぎている。だけど感じる、自分の立ち位置を早く決めなければならない。目に見えないところで何かが動き始めた。その流れに巻き込まれる前に、意思を決めておかなくちゃダメだ。
(つまり……僕は焦っている)
自嘲の笑みが雷雅に浮かぶ。
(今夜の僕はその焦りを龍弥にぶつけただけだ)
もっと知らなくちゃいけないと龍弥は言った。正解だ。まだ答えは出せない。焦って出してはいけない答えだ。重要なことだ。
ベッドにゴロリと仰向けに横になる。龍弥がいてくれてよかった。僕一人なら焦りまくって、自分が焦っているとにも気が付かないうち、間違った答えを出してしまったかもしれない。落ち着かなくちゃ……このところの一連の出来事、総本部の火事とか、僕は気が立っているはずだ。落ち着かなくちゃ――
味気ない天井がいつの間にか視界から消える。雷雅は知らずのうちに、浅い眠りに吸い込まれていた。
龍弥に起こされて寝室から出るとコーヒーの香りが漂っていた。ダイニングテーブルにはちょっとしたサラダを添えたオムレツの皿が並んでいる。
「ヨーグルトにジャム、入れる?」
龍弥が訊いてくる。
「陽だまりにはいかないんだ?」
「見に行って食材持ってきた。マスターはいないし、煌一さんとひなたさん、本体はいたけど、意識はどこかに飛ばしてた。神影に行ってるんじゃないかな?」
「マスター、昼まで休めって言われてたもんね」
ジャムはトーストに、ヨーグルトにはハチミツがいいな……雷雅の答えに、トーストはもう少しで焼けると龍弥が言った途端、チンとトースターが存在を誇示するように鳴った。
龍弥が桃の皮を剥く横で雷雅がトーストにバターを塗り、ダイニングテーブルに運ぶ。ジャムを小皿にとりわけスプーンを添えた。
オムレツは中がトロトロで、
「タツヤ、料理、上手だね」
雷雅が笑んだ。
「見様見真似だけどね。マスターが作るのを見てた」
「マスター、大丈夫かな?」
「昼過ぎれば店に出てくるよ――昼まで休めって、ひなたさんの命令だ」
「煌一さん、何か言ってた?」
「いーや、なにも。俺の気配に気が付いたけど、こっちに戻ってこなかった。向こうで揉めてるのかも」
「神影じゃ、何をしてるんだろう?」
「判らない。でも、全国の影が集結してると思う」
「全国の影?」
「総本部が焼かれ、大御所二人が殺害された。影の有力者が集まって善後策を練るってのが妥当じゃない?」
「なるほど――会議ってわけだ。その会議にひなたさんも?」
「出ろって言われるだろうね…… 一番の緊急議題は総本部長の後釜。神影は煌一さんのお父さんを据えたいだろうけど、他がウンと言うか……シャドウ・ビジネスの権利者の一人、ひなたさんの発言は重視される」
「シャドウ・ビジネスって影にとってそんなに重要なんだ?」
「組織から外れてはいるんだけどね。経済的貢献度が高いし、独自の動きができる権限を持つってことで、有力な外部組織だ」
「ふぅん、なんかさ、そんな重要なこと、あのひなたさんに任せていいのかって気がする」
クスッと笑う雷雅、確かに、と龍弥も苦笑する。
「会議ってどれくらいで終わるんだろう?」
雷雅の問いに、口元に持って行ったトーストをいったん置いて龍弥が答える。
「さすがに判らない。すんなり決まるとは思えないから、結構かかると思う。下手すりゃ一日じゃ終わらない」
「今日、僕たちは神影に行けるのかな?」
「行きたいって言ってたよね。会議次第としか言えないな」
再びトーストを手にした龍弥が齧りつくのを待って雷雅が尋ねる。
「タツヤと二人で神影に行くってできない?」
咀嚼を止めて龍弥が雷雅を見た。苦笑してから食べるのを再開し、コーヒーで飲み下す。
「ライが連れてけって言うなら、連れてくさ」
愉快そうに龍弥が笑った。
食べ終わり、食器を片付けると早々に部屋を出た。店を通れば煌一たちに気が付かれるかもしれないと、外階段から出る。秋とは名ばかりの八月、もうすぐお盆だなと思いながらギラギラ照り付ける日差しの中を駅へと向かう。神道にもお盆はあって、母さんの初盆は来年になると教わったっけ――
「煌一さんとひなたさん、僕たちが店にいないのを不審に思わないかな?」
「思っても、部屋に確認しに来ないんじゃないかな? それどころじゃないはず」
ちょっとしたイタズラ気分は消せない。それでも龍弥が警戒していることに雷雅は気が付いていた。煌一たちを警戒しているわけじゃない。他の影、総本部を襲い五人を殺したうえ火を放った犯人、あるいは雷雅に付きまとう正体不明の誰か……雷雅を襲ってこない保証はない。
平日の日中だ。電車は嘘みたいに空いていて、客の数より空席のほうが多かった。他の客に遠慮して座ったことのない雷雅も気兼ねなく龍弥と並んで腰かけた。
椅子の固さに驚いていると
「電車の座席って、思ってた以上に座り心地が悪いんだね」
龍弥に先に言われた。
「ね。こんなに硬いと思ってなかった」
と、答えた雷雅だ。龍弥も普段、座らないか、あるいは電車自体、使ったことがないんだろう。
電車の揺れに雷雅がついウトウトする。龍弥は黙っているだけのように見えて、やはり警戒の気を張り巡らせている。もちろん周囲の客は、影の存在を知る者でない限り、そんな龍弥に気付くことはない。
もうすぐ目的の駅に着く、そんなとき、眠気でふらふらしていた雷雅の上体に緊張が走る。
「どうした?」
龍弥も緊張を高め、雷雅を見る。
「ヤツだ、話しかけてきた――」
雷雅が周囲を見渡した。




